平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



壇ノ浦合戦の際、源義経は有明山(JR下関駅北方)に
小松を植えて大歳神を祀りました。
そして桑の木で弓矢を作り神前に捧げ、
その矢で平知盛の率いる平家軍に開戦の矢文を射込みました。
平家軍は驚き壇ノ浦に軍船を進め、
激しい戦いになりましたが、敢えなく全滅したという。

翌年の文治2年(1186)、竹崎の漁民がこの戦勝の神を
祠に祀ったのが大歳神社の始まりとされています。
以来、武運長久の神として崇められ、高杉晋作が大歳神社の
氏子であった白石正一郎宅にて奇兵隊を結成した時、
旗揚げの軍旗を大歳神社に奉納しました。

境内には七卿落ちの画碑、維新回天の石碑、白石邸で若くして
亡くなった七卿落ちの公卿錦小路頼徳(にしきこうじよりのり)の
病気平癒を祈願して合祀された蛭子八坂神社(八坂神社)など、
明治維新の史蹟が数多くあります。

大歳神社の旧社地は、JR下関駅のすぐ北方にありましたが、
同駅開設のため、
昭和15年、現在の小山に遷座しています。

JR下関駅



正面の大鳥居は文久2年(1862)に豪商白石正一郎が
攘夷成就を祈念して奉納したものです。

この長い石段は115段あります。昔は123段あり
「一二三(ひふみ)の階段」と呼ばれていました。

源義経と大歳神社
源義経は文治元年、有明山(現JR下関駅辺りの線路敷)にて
大歳御祖神のご神霊を祀り、平家追討の戦捷の祈願を捧げました。
現社殿は昭和十五年に当地に遷座されました。
当時の階段は一二三(ひふみ)段築きお祓い坂としての祈りを込めました。
(現在はその数を留めていません) 社殿の左面には
黒御影石に源義経が弓矢を引く姿を画碑に留めています。
その雄姿をお守りに印し「勝守(かちまもり)」として授与いたしております。

維新の史跡(大鳥居)
明治維新の原動力となった奇兵隊の果たした役割は周知の通りであるが、
創設者高杉晋作を信奉して尊皇討幕の推進に全資産を投入し、
これを援助した豪商志士白石正一郎の功績は計り知れないものがある。
この正一郎は敬神の念厚く文久二年、氏神大歳神社に大鳥居を奉納して
攘夷必勝を祈念した。参道(石段)の下の鳥居がそれであるが、
終始表に出ることなく陰の力に徹した正一郎の足跡を残す数少ない史跡である。
また京都における文久三年八月の政変によって
三条実美ら勤王の公卿七人が西下し、下関巡視の際には白石邸にも宿泊した。
その七卿落ちの有様を画碑として境内に建立している。下関市





拝殿

義経戦捷(せんしょう=かちいくさ)の弓

「平家追討のため西下した義経は、平家の本陣彦島と対峙する
有明山(竹崎町)に大歳神を祭り、桑の木で弓矢を作り、
神前に供えたのちその矢を彦島に向けて射込み、戦勝を祈願したことから、
のち地元の人たちがその地に大歳神社を創建したという。」

摂社五社稲荷神社
 祭神 正一位稲荷五社大明神・上丸三社明神・
静姫明神(しずひめみょうじん)・徳姫明神(とくひめみょうじん)
大歳神社は義経戦勝祈願の足跡をもって創建されたことから、
静姫明神は(静御前)、徳姫明神は(建礼門院=徳子)を思わせます。

大歳(おおとし)神社
御祭神 木花咲耶姫神(コノハナノサクヤヒメノカミ)
大歳神(オオトシノカミ)・御歳神(ミトシノカミ)・若歳神(ワカトシノカミ)
祭日  歳旦祭 一月一日  節分祭 二月三日
例大祭 四月十三日  夏越祭 七月二十四日・二十五日
 秋祭  十月十七日 (御斎祭 旧正月十三日・十四日)
 月次祭 毎月一日・十五日 
御由来
寿永四年(一一八五年)、平家追討の任務を受けた源義経 は、
壇ノ浦の合戦 に
望んで武運の守護神と仰ぐ富士浅間の
大神の御神助を請い、平家 が布陣を整
る彦島を望む
有明山(JR下関駅東口付近)に小松を植え、篝火を焚き、
七日七夜の斎戒沐浴をして戦捷祈願をこめた。
 その後、祈念を注いだ桑の弓矢をもって平知盛 率いる
平家軍に開戦の矢文
射込んだ。
 驚いた平家軍は急遽、壇ノ浦 に軍船を進め一戦を挑んだが、
待機していた
源範頼の軍勢と義経軍との挟み撃ちに合い、
敢え無く滅亡したと云う。
 翌年の文治二年(一一八六年)、
四軒の漁民が義経の祈願の有様を畏敬し
て、
神祠を祀ったことが大歳神社の起源とされる。
 爾来、武運長久の神としての御神威は光輝を益し、
文久三年(一八六三年)、
馬関攘夷戦に際しては、
高杉晋作 の唱導により奇兵隊が氏子・白石正一郎宅
にて結成され、
維新回天の大業に勇名を馳せた。その時の奇兵隊旗揚げの
軍旗
は大歳神社に奉納された。
翌元治元年(一八六四年)折しも四国連合艦隊との
交戦となったが、
正一郎は攘夷成就を祈請して大鳥居を奉納した。
(鳥居横
詳細文有)その後下関の発展とともに
昭和一五年(一九四〇年)関門鉄道トン
ネル工事の際、
社地が鉄道線路敷地に接収され現在の高台に遷座されたが、
神威はいよいよ高く本州最西端の鎮護の神と仰がれている。
 殊に、下関において源氏 と縁のある唯一のお社であることから、
古来より勝
運の神として崇められ、現在は心願成就の
お社としても広く知られている。

摂末社 五社稲荷神社  祭日 春秋の午の日
    蛭子・八坂神社 祭日 十月十日
顕彰祭 七卿顕彰祭   祭日 三月二十七日
祈願各種
奉祭 必勝祈願 厄除開運 交通安全 厄除開運 子授 安産 
初宮詣 
社業隆昌 商売繁盛 地鎮祭 家祓 方位除 他
 各種相談承ります  
受付 083-223-0104

源氏軍が結集した満珠島・干珠島  
赤間宮宮司白石正一郎宅跡・奇兵隊結成の地  
『アクセス』
「大歳神社」〒750-0025 山口県下関市竹崎町1丁目13−284
JR下関駅東口から徒歩約8分
『参考資料』
安富静夫「水都(みやこ)の調べ関門海峡源平哀歌」下関郷土会、2004年
「下関観光ガイドブック」下関観光振興課

 



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