CubとSRと

ただの日記

終わらせない

2019年08月08日 | 重箱の隅
 半年くらい前だったか、7月31日に所属するSNSが閉鎖される、と知った。
 開設されて数週間の頃に入会して十年。
 
 そしてその日が来た。
 当然翌日にはなくなっていると思っていた。
 「なくなっている」と思いはしても、「もしかして」という頼りない期待は、ある。
 一日に「おっ、まだある!」と喜び、二日には「あれ?」となり、三日目には「どういうこと?」
 「あれはデマだったのか?」なんてことは思いもしなかった。
 そして、こう思った。
 
 「書き込めるなら、それができる間中、書き込んでいたらいいじゃないか」
 「ここに書く日記は、ただ日常のことを書いているようで決してそうではない。ここで得た知識、考え方を用いて考えを深めるために書いてきたつもりだ」
 「だからここは、消えるまでは勉学の場だ」。
 7月31日から一週間余りが過ぎた。
 自身の確認のために、半年前の日記をもう一度。
 ~~~~~~~~~~~~
 いやあ、どうも。酔っ払いです。
 今年になってから、毎日飲んでいます。
 朝の御神酒、夕の晩酌、と、日に2回。
 それはさすがにどうかと思って、正月三が日(いや?5日間?)でやめたけど、以降、一日一回にしたから、と安心して毎日飲んでました。
 けど、「これではいかん」、と思って25日、一念発起して3日に一回、ということにしました。
 26、27と飲まず、28日は大手を振って飲む。
 29、30と飲まず、月末31日、踏ん反り返って飲む。
 一応、3日に一度、というパターンの2回目。
 その酔っぱらった頭、酔眼でこれを書いてるわけですが。
 寂しいですね、あと半年で所属しているSNSが終わる。
 ここのおかげでウツにならずに済んだ。
 田舎に帰るために仕事を辞めて、当然収入がなくなって、いつまで続くか分からない父との二人暮らし。
 四十年ぶりに帰った田舎で、知り合いもない。つまり話し相手もいない。
 家から気晴らしに遊びに出ることもできない。
 そんな中で、ホントに偶然、ここが開設されたんです。
 入会しようか、どうしようかと数日迷って、名前だけでもと決心した。
 日記を読むだけのつもりが、他の参加者の日記を見ると、みんな真直ぐで 
 「『何も知らないのだから』、ここで色々と知って、考えてみたい」。
 そういう「気」が横溢していた。 
 そんな参加者の考え方や、現在の社会の捉え方を少しずつ知っていくことができた。
 おかげで、家の中で起こる毎日の出来事を、ともすれば近視眼的に捉えてしまいそうになるのを冷静に見ようとすることができた。
 
 「客観的に、冷静に」、見ようとすることで、「本当におかしいのは何なのか」を考えようとする。修身斉家治国平天下、だ。ちっとも大袈裟なことじゃない。まずは「~しよう」という姿勢からだ。
 当初、そのSNSにはその姿勢があった。
 そのSNSが、あと半年で終わる。
 初期の目的は達成できたということだろうか。
 これからは個々人が外に出て、ということだろうか。
 「書を捨てよ。街に出よう」?
 優れた考え方を追い求める。
 どれが一番優れているのかと、汗牛充棟の書物を読む。
 優れた考え方は一つではない。いくつもある。
 考え方は多くの考えから見出された「方式」だ。
 方式の集合体は集合体でしかない。「一番優れている考え方」ではない。
 書は読むべきだが、終わりがない。
 だからどこかで一大決心して、得た「考え方」で「考え」なければならない。
 「考え」て行動しなければならない。
 それが
 「書を捨てよ。街に出よう」。
 目的は達成されたか。




コメント
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