CubとSRと

ただの日記

高みの見物

2019年08月12日 | 重箱の隅
 「~のオレ、高みの見物」って言葉が、ネットニュースや記事のコメント欄にほど良い感じで書き込まれている。時にそれをもじって「~のおれ、低みの見物」ってのもある。
 読んでいて、それを書き込んだ奴のセンスの良さに感心する。
 以前は、こういう書き込み方って「何だ、傍観者を気取って」、と思わないでもなかったけど。
 この頃、そういう言い方ってのは実は自分をその場に思いっきり近付けていることを自身が知らずやっているのではないか、と思うようになった。
 余裕を持って、適当に距離を取って物を言っているようだけれど、具体的に何かを採り上げて論詰しているわけではない。論詰はしていないけど、同意はしてない。同意はしてないけど、寄り添っている。
 「貴方の意見に賛成はしないが、個々の意見だ、否定することはしない」。
 
 そうやって社会は成り立っている。
 対して。
 「こんなくだらないことを、わざわざブログに挙げなくても」
 、と、自分で思う。いや、それ以前に
 「くだらないから書くのをやめとこうか」
 、と、未然に決定してしまい、行動を起こさない。
 自分のことなんだから良いだろう、と思ってそうするんだけど、「思う自分」も、「行動を起こさないと決定する自分」も、同等に発言の権利はあるわけなんだから、まずは、最初っから「こんなのくだらないこと」と決めつけてしまう、ってのはどうなんだろう。
 思いついたら、考えてみる。
 考えたら、やってみる。
 やってみたら新たな疑問が生れてくる。
 やらなければ疑問が生れる筈もない。
 疑問が浮かんで改めて考えることを繰り返さなければ、進歩・発展はない。
 「女子高生の無駄づかい」というマンガで、バカというニックネームの主人公が「ねえ、今からすごいこと言っていい?」と言う。
 大抵の場合、想像通りちっともすごくない。
 けど、これがあるから、話が始まる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする