2014.11/12 (Wed)
古今著聞集だったか、宇治拾遺だったのか、どうもうろ覚えなんだが、昔々、夢占いの話を読んだ記憶がある。
先に書いて置くと、夢占いというのは夢の中身自体よりも、それを聞かされた人が夢をどう解くか(説き明かすのか)ということの方が大事なんだそうです。俗にいう「夢解き」、ですね。
考えてみれば、何となし似たような発想はどこにでもある。洋の東西を問わない。
眠り姫(眠りの森の美女)の話なんかは魔女が呪いをかけた、すぐに別の魔女がその呪いを詳しく説明するように呪いの上乗せをする。
そうすることで、呪いを解けるようにしてしまう。それで、数百年後眠り姫は目覚める。
日本だって形は違うけれど
「お前の生み出す命を毎日、五百、奪い取ってやる」
とイザナミノミコトが呪いを掛けますよ。
そしたら、イザナギノミコトが
「それなら私は毎日、千五百の命を生み出そう」
と応える。それで呪いを抑え込んでしまう。
否定するんじゃなくって、受け入れながらも、何かを加えて負の連鎖を断ち切ってしまう。
夢占いも、夢解き次第で良くもなれば悪くもなる。どっちにでも向かっていく。
要は夢を見た本人の今後の意向を後押しするのが夢占いであって、言ってみれば「前向き人生相談」にしなきゃなりません。
さて、或る貴族が都を股にかけて立っている夢を見た。自分の二本の足の下に大きな都が広がっている。
目が覚めて、
「これは吉兆の夢に違いない。私もいよいよ天下を動かすような立場になるのかもしれない」
そう思った。
思ったけれど、「こりゃ、正夢だ!」と騒いではならん。自分で夢解きをしたら夢で終わってしまう。
親しい人、又は信頼する人に解いてもらうのが一番なんだそうです。
でも、こんな良い夢はとにかく早くに解いてもらわなければ!
で、早速妻に夢のことを話した。
ところが、この妻が凡庸というかなんというか・・・・。
期待していたのは
「都を股に掛けるとは何とも見事な夢ですね。これは言うまでもなく天下を動かすことになる、というお告げなのでありましょう」
、みたいな目出度い夢解きだったのに、そんなことは一切言わず、
「それはまた、大変なことでござりましたなあ~。さぞかし股が痛かったことでござりましょう。」
・・・・・・。
夢というのは本人の希望、「かくありたい」、或いは「こうなるのは嫌だ」という思いを、脳が無意識下に働いて見せるものがほとんどで、第六感というのはそれらの五感の結集に与えられる何らかの直感です。
だから、まずは本人が夢を見たことを意識すること。
で、現実の世界への働きかけが意図的なものとなる。良い夢を見たら、そのことの実現のために何ができるか、とまでは考えずとも、まずは気分の良さが一挙手一投足、顔の表情、言葉の調子にも表れてくる。
だったら、その意識づけのために「良い夢解き」をする。ってのは理に適っています。
だけど、この貴族の妻はそれができなかった。
「さぞかし股が痛かった~」とやったから、お笑いのセンスは大したものですけどね。
夢解きは一回だけです。笑わされた(であろう)貴族はどうしたか。
そりゃあもう、言うまでもない。
「ああ、こいつに言うんじゃなかった」
と思ったんだとか。
考えてみれば、どっちもどっち、ですよね。この貴族だって折角の夢を、人を選べばいいものを、ついうっかり凡妻に喋ってしまったわけです。似たもの夫婦、同レベル夫婦ですか。
久し振りの日中首脳会談。
「関係改善のための文書」を見て、ああだこうだと色々に夢解きが為されたんだけれど、安倍・習両氏のトップ会談の結果を今度はどう解こうとしているんでしょうか。
夫に凡庸な未来を拓かさせてしまったこの貴族の妻の方が、よっぽど良い夢解きをしているような気がする。
何しろ日本の大方のメディアは、貴族の妻のように「股が痛かったでしょう」みたいな夫の身の事を心配する心根はこれっぽっちも持ってないみたいですから。
古今著聞集だったか、宇治拾遺だったのか、どうもうろ覚えなんだが、昔々、夢占いの話を読んだ記憶がある。
先に書いて置くと、夢占いというのは夢の中身自体よりも、それを聞かされた人が夢をどう解くか(説き明かすのか)ということの方が大事なんだそうです。俗にいう「夢解き」、ですね。
考えてみれば、何となし似たような発想はどこにでもある。洋の東西を問わない。
眠り姫(眠りの森の美女)の話なんかは魔女が呪いをかけた、すぐに別の魔女がその呪いを詳しく説明するように呪いの上乗せをする。
そうすることで、呪いを解けるようにしてしまう。それで、数百年後眠り姫は目覚める。
日本だって形は違うけれど
「お前の生み出す命を毎日、五百、奪い取ってやる」
とイザナミノミコトが呪いを掛けますよ。
そしたら、イザナギノミコトが
「それなら私は毎日、千五百の命を生み出そう」
と応える。それで呪いを抑え込んでしまう。
否定するんじゃなくって、受け入れながらも、何かを加えて負の連鎖を断ち切ってしまう。
夢占いも、夢解き次第で良くもなれば悪くもなる。どっちにでも向かっていく。
要は夢を見た本人の今後の意向を後押しするのが夢占いであって、言ってみれば「前向き人生相談」にしなきゃなりません。
さて、或る貴族が都を股にかけて立っている夢を見た。自分の二本の足の下に大きな都が広がっている。
目が覚めて、
「これは吉兆の夢に違いない。私もいよいよ天下を動かすような立場になるのかもしれない」
そう思った。
思ったけれど、「こりゃ、正夢だ!」と騒いではならん。自分で夢解きをしたら夢で終わってしまう。
親しい人、又は信頼する人に解いてもらうのが一番なんだそうです。
でも、こんな良い夢はとにかく早くに解いてもらわなければ!
で、早速妻に夢のことを話した。
ところが、この妻が凡庸というかなんというか・・・・。
期待していたのは
「都を股に掛けるとは何とも見事な夢ですね。これは言うまでもなく天下を動かすことになる、というお告げなのでありましょう」
、みたいな目出度い夢解きだったのに、そんなことは一切言わず、
「それはまた、大変なことでござりましたなあ~。さぞかし股が痛かったことでござりましょう。」
・・・・・・。
夢というのは本人の希望、「かくありたい」、或いは「こうなるのは嫌だ」という思いを、脳が無意識下に働いて見せるものがほとんどで、第六感というのはそれらの五感の結集に与えられる何らかの直感です。
だから、まずは本人が夢を見たことを意識すること。
で、現実の世界への働きかけが意図的なものとなる。良い夢を見たら、そのことの実現のために何ができるか、とまでは考えずとも、まずは気分の良さが一挙手一投足、顔の表情、言葉の調子にも表れてくる。
だったら、その意識づけのために「良い夢解き」をする。ってのは理に適っています。
だけど、この貴族の妻はそれができなかった。
「さぞかし股が痛かった~」とやったから、お笑いのセンスは大したものですけどね。
夢解きは一回だけです。笑わされた(であろう)貴族はどうしたか。
そりゃあもう、言うまでもない。
「ああ、こいつに言うんじゃなかった」
と思ったんだとか。
考えてみれば、どっちもどっち、ですよね。この貴族だって折角の夢を、人を選べばいいものを、ついうっかり凡妻に喋ってしまったわけです。似たもの夫婦、同レベル夫婦ですか。
久し振りの日中首脳会談。
「関係改善のための文書」を見て、ああだこうだと色々に夢解きが為されたんだけれど、安倍・習両氏のトップ会談の結果を今度はどう解こうとしているんでしょうか。
夫に凡庸な未来を拓かさせてしまったこの貴族の妻の方が、よっぽど良い夢解きをしているような気がする。
何しろ日本の大方のメディアは、貴族の妻のように「股が痛かったでしょう」みたいな夫の身の事を心配する心根はこれっぽっちも持ってないみたいですから。
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