2015.10/31 (Sat)
日本刀を見くびる人はないでしょう。武器として凄絶な切れ味を持つものであると同時に、美術品としても認められるその姿形。
でも、買い被りはいけません。
刃物です。手入れをしなければ切れ味が落ちるし、遣えば切れなくなる時が必ず来ます。
そして、鞘から「抜かなければ」切れない。「抜けなければ」木刀以下です。
切れ味は「一つ胴」とか「二つ胴」とかいう鑑定書で分かります。胴体を一つ両断(真っ二つにする)すれば「一つ胴」。二つ重ねて一気に二つとも両断できれば「二つ胴」。こんなとんでもない切れ味の刃物は世界中に類を見ません。
でも、これは誰でもができるということではない。それなりの技術を持った人が、据え物としてやった場合のこと。一年や二年の習練くらいじゃとてもとても。できるわけがない。
それに、そんなに都合よく胴体なんか用意はできませんから。今やったら大事件です。
日本軍に支給された刀はちゃんと刀工が鍛えたものですが、サーベルに準ずるもので、軍刀拵え。軍服に刀を差す帯はないので、吊るす形です。
両手刀法用に発達した日本刀の拵えだから、斬り合いに使うというのなら、柄は九寸から一尺(大体27~30センチ)は必要ですが、この鞘を腰に吊るす形では、長い柄が邪魔になる。刀を抜いたときは抜いたときで、今度は鞘が邪魔になる。
だから必然的に白兵戦の時には片手刀法になり、左手は鞘が暴れるのを防がなければならない。
ということは、軍刀拵えでは必然的に柄を短くしなければならない。結果、十全の遣い方はできなくなります。それに加えて近代戦では白兵戦はまず行われません。
「最後の白兵戦は西南戦争だ」とまで言われることもある。「田原坂」の戦闘がそうです。それだって弾薬の尽きた西郷軍の切込みに対して、警視庁抜刀隊が立ち向かったことが言われるのであって、西南戦争全体としてみれば、銃撃戦から砲撃戦に移行している。
「片手でばっさばっさと薙ぎ倒し」、なんてのは講談でも「そりゃ言い過ぎだよ」となるでしょう。
だから基本は指揮刀という位置づけで、隊の勇を鼓舞するためのものであって、実戦に用いるものではない。片手で大きく振り上げ、合図に使う、くらいのことです。
ただし、これ、合図、ということになると例えば旗を持って振り下ろして「突撃~っ!」というのと、軍刀を振り上げて「突撃~っ!」では全く士気に差がつくでしょう?「勇を鼓舞するため」と考えたら、軍刀は効果絶大です。
刀本来の力は発揮できないのに、精神的には大きな力を発揮する。それは「武器として凄絶な切れ味を持つものであると同時に、美術品としても認められるその姿形」、という本来の力があるからです。
ところで。
力の裏付けがなければ正論は無視される。全くの無力です。
力があっても針金で厳重に鞘止めがしてあるのを相手が知っていたならば、これまた相手は傍若無人に振る舞います。
「針金、じゃないな。ただの紙縒りだな。濡れたら簡単に千切れるナ」
さんざんに吠える(威嚇する)方は、負けると分かってるから手は出さない。でも空威張りして見せなければ、自分の方の組員になめられる。
日本刀を見くびってはいけない。けど、買いかぶってもいけない。
冷静に見れば、一本の刀で(それも、恩賜の刀、という意識ですよ。軍備一切は恩賜の物。日本軍=皇軍ですから)百人斬りなど、有り得ない、となるし、彼の国の為政者だって十分に分かっていること。大陸では、そんな事件はなかった、と知っている筈です。
それでも「日本刀はよく切れるからやろうと思ったらできるだろう」、くらいは思っているかもしれない。だから、そこからのファンタジー。
見くびってはいないだろう、でも、いや「どうせ抜けやしない」と見くびっているのかな?
いや、やっぱり買いかぶっているのかも。それがあの大袈裟な抗議声明になる。
日本人はどうか。刀のことをちょっとでも知っている者は見くびってはいないだろう、力を認めたうえで、「百人斬りなんて有り得ない」、と思う。
でも、もしかしたら多くの者は買いかぶっているのかも。
「要請されたらいやと言えないだろう、戦争法案なんだから」
アメリカ、そんなに日本を頼るほど日本は強くなってるのか???買いかぶりじゃない?
刀のことなんだか、自衛隊のことなんだか、訳が分からなくなっちゃいました。
あ、「針金で鞘止めしているから、(抜かないだろう、と)見くびる」ってのは、そんなこと思うのは、あっちの勝手です。
日本には昔から「刀は鞘ごと抜いて使え」という流派もあります。
鞘ごと抜いて鞘ごと切り付ける。当然鞘が割れて、相手を切ることになる。
刀を抜くときは相手を切る時で、切るまでは鞘に納めないのだから「抜いたら納めない」、鞘止めなんか関係ない。
そういう意識での立ち居振る舞い。それが抑止力。
あれ?余計に訳が分からなくなったよ。
日本刀を見くびる人はないでしょう。武器として凄絶な切れ味を持つものであると同時に、美術品としても認められるその姿形。
でも、買い被りはいけません。
刃物です。手入れをしなければ切れ味が落ちるし、遣えば切れなくなる時が必ず来ます。
そして、鞘から「抜かなければ」切れない。「抜けなければ」木刀以下です。
切れ味は「一つ胴」とか「二つ胴」とかいう鑑定書で分かります。胴体を一つ両断(真っ二つにする)すれば「一つ胴」。二つ重ねて一気に二つとも両断できれば「二つ胴」。こんなとんでもない切れ味の刃物は世界中に類を見ません。
でも、これは誰でもができるということではない。それなりの技術を持った人が、据え物としてやった場合のこと。一年や二年の習練くらいじゃとてもとても。できるわけがない。
それに、そんなに都合よく胴体なんか用意はできませんから。今やったら大事件です。
日本軍に支給された刀はちゃんと刀工が鍛えたものですが、サーベルに準ずるもので、軍刀拵え。軍服に刀を差す帯はないので、吊るす形です。
両手刀法用に発達した日本刀の拵えだから、斬り合いに使うというのなら、柄は九寸から一尺(大体27~30センチ)は必要ですが、この鞘を腰に吊るす形では、長い柄が邪魔になる。刀を抜いたときは抜いたときで、今度は鞘が邪魔になる。
だから必然的に白兵戦の時には片手刀法になり、左手は鞘が暴れるのを防がなければならない。
ということは、軍刀拵えでは必然的に柄を短くしなければならない。結果、十全の遣い方はできなくなります。それに加えて近代戦では白兵戦はまず行われません。
「最後の白兵戦は西南戦争だ」とまで言われることもある。「田原坂」の戦闘がそうです。それだって弾薬の尽きた西郷軍の切込みに対して、警視庁抜刀隊が立ち向かったことが言われるのであって、西南戦争全体としてみれば、銃撃戦から砲撃戦に移行している。
「片手でばっさばっさと薙ぎ倒し」、なんてのは講談でも「そりゃ言い過ぎだよ」となるでしょう。
だから基本は指揮刀という位置づけで、隊の勇を鼓舞するためのものであって、実戦に用いるものではない。片手で大きく振り上げ、合図に使う、くらいのことです。
ただし、これ、合図、ということになると例えば旗を持って振り下ろして「突撃~っ!」というのと、軍刀を振り上げて「突撃~っ!」では全く士気に差がつくでしょう?「勇を鼓舞するため」と考えたら、軍刀は効果絶大です。
刀本来の力は発揮できないのに、精神的には大きな力を発揮する。それは「武器として凄絶な切れ味を持つものであると同時に、美術品としても認められるその姿形」、という本来の力があるからです。
ところで。
力の裏付けがなければ正論は無視される。全くの無力です。
力があっても針金で厳重に鞘止めがしてあるのを相手が知っていたならば、これまた相手は傍若無人に振る舞います。
「針金、じゃないな。ただの紙縒りだな。濡れたら簡単に千切れるナ」
さんざんに吠える(威嚇する)方は、負けると分かってるから手は出さない。でも空威張りして見せなければ、自分の方の組員になめられる。
日本刀を見くびってはいけない。けど、買いかぶってもいけない。
冷静に見れば、一本の刀で(それも、恩賜の刀、という意識ですよ。軍備一切は恩賜の物。日本軍=皇軍ですから)百人斬りなど、有り得ない、となるし、彼の国の為政者だって十分に分かっていること。大陸では、そんな事件はなかった、と知っている筈です。
それでも「日本刀はよく切れるからやろうと思ったらできるだろう」、くらいは思っているかもしれない。だから、そこからのファンタジー。
見くびってはいないだろう、でも、いや「どうせ抜けやしない」と見くびっているのかな?
いや、やっぱり買いかぶっているのかも。それがあの大袈裟な抗議声明になる。
日本人はどうか。刀のことをちょっとでも知っている者は見くびってはいないだろう、力を認めたうえで、「百人斬りなんて有り得ない」、と思う。
でも、もしかしたら多くの者は買いかぶっているのかも。
「要請されたらいやと言えないだろう、戦争法案なんだから」
アメリカ、そんなに日本を頼るほど日本は強くなってるのか???買いかぶりじゃない?
刀のことなんだか、自衛隊のことなんだか、訳が分からなくなっちゃいました。
あ、「針金で鞘止めしているから、(抜かないだろう、と)見くびる」ってのは、そんなこと思うのは、あっちの勝手です。
日本には昔から「刀は鞘ごと抜いて使え」という流派もあります。
鞘ごと抜いて鞘ごと切り付ける。当然鞘が割れて、相手を切ることになる。
刀を抜くときは相手を切る時で、切るまでは鞘に納めないのだから「抜いたら納めない」、鞘止めなんか関係ない。
そういう意識での立ち居振る舞い。それが抑止力。
あれ?余計に訳が分からなくなったよ。
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