2015.02/28 (Sat)
《渡部亮次郎の「頂門の一針」》2015(平成27)年2月27日(金)3583
より、部分転載します。
━━━━━━━━━━
河野の加齢断定症候群
━━━━━━━━━━
杉浦 正章
自らの大失政を顧みるべきだ
慰安婦強制連行の朝日大誤報のほとぼりが冷めたと思ったのか、血が騒ぐ のか元衆院議長・河野洋平が78歳にして意気軒昂だ。その発言も安倍を 「右翼政治」よばわりして、はばからない。
人間年を取って気を付けねばならぬことは「短絡」である。深く思考する 余裕がなくなるのか右か左かととかく断定したがる傾向が出てくる。これを「加齢断定症候群」と名付けたい。河野発言を分析するとこの症候群の深刻な症状が見られる。
自民党を離党 して新自由クラブを結成したときから、「左翼政治」とは言わないが「左 傾化政治の欺瞞(ぎまん)性」があって好きになれない政治家だった。
「夢よもう一度」も理解できるが、ほどほどになさった方がよいと思う。
河野の24日の名古屋発言はまず首相・安倍晋三が村山談話を継承するのか どうかについて「歴代内閣が継承してきた日本の歴史認識が10年刻みで変わることはありえない。どういう文言で談話を書くかは決まり切ったことだ」と「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の“キー ワード三点セット”をそのまま受け継ぐべきだと主張。
安倍がこれだけでカチンとくるのは必定だが、さらに加えて「自民党にはリベラルな議員もいると思うが、目立たない。これ以上「右」に行かないようにしてほしい。今は保守政治と言うより右翼政治のような気がする」とまで言い切った。これで安倍はカンカンだ。
時の自民党政権を「右翼」呼ばわりする発言を初めて聞いた。
さらに自民 党から蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われている自らの談話について「官房長官談話は誠心誠意作り上げた。はっきりとした裏付けのないものは書かなかったので「強制性」という言葉は入っていない。強制性についての文書は見つからなかったからだ。しかし、強制性が全くなかったかと言えば、 いくつか具体的なものはある」とあくまで強制性にこだわった。
それでは、反論すれば、父親河野一郎より政治力はかなり落ちるが「輝か しき」河野洋平の政治家としての人生の中で、日本をおとしめた大失政が 2例ある。
一つは小選挙区制の導入であり、他の一つは「河野談話」のあとの河野発 言である。現行の小選挙区比例代表制は、「政治家が小粒になり劣化する」と筆者は政治部長時代、自民党に意見を聞かれて反対論を述べた。
しょせんは蟷螂(とうろう)の斧のような発言であり、当然河野はこれを無視して推進。その揚げ句が今になっての大反省である。
河野は「私は大きな間違いを犯しました」とまるでISILの人質のように語る。
「私は大きな間違いを犯しました。今日の日本の政治は、劣化が指摘さ れ、信用ができるか、できないかという議論まである。そうした一つの原 因が小選挙区制にあるのかもしれない」と述べ、衆院選に小選挙区制を導入した自らの判断は誤りだったと認めたのだ。
しかし時既に遅しだ。選挙制度改革など圧倒的多数を占めた自民党がやる わけがない。 謝って済む問題ではない。政治家の劣化は国の劣化につなが りかねないのだ。
次にこれに勝るとも劣らないのが「河野談話」とこれに伴う「河野発言」 である。
朝日の「強制連行」や「女子挺身隊」の大誤報が大きく影響を与 えた1993年の官房長官・河野洋平談話は「軍による強制連行は確認できな い」が基調であり、事実強制連行を示唆する文書類は一切発見されていない。
しかし問題はこれを発表した後の河野の明らかに意図的とみられる発言に ある。
記者会見で「強制連行の事実があったという認識でよいか」と聞か れて、「そういう事実があった。結構です」と明白に認めてしまったのだ。
この発言が慰安婦問題の全てとなった。韓国のみならず欧米諸国にまで、 「韓国女性を狩り出してレイプしながら連行した」との戦後史に残る大誤報の発端となった。
この「性奴隷」説は国連人権委員会のクマラスワミ報告にも下劣な表現で 引用され、米リベラル系マスコミが報道し、米政府内にも誤認の風潮が生 じて消えない。
朝日が強制連行の誤報を認めても、いったん染みついたイメージは消えないのだ。
一政治家の判断が、これほど日本をおとしめた例を知らない。いくらノーバッジで隠居の身でもせめて現状認識だけはしっかりしてもらいたいと思うが、河野は現政権を「右翼政治」と一言で断ずる。
しかし、安倍政権が3回の国政選挙で圧倒的な国民の支持を受けたことは 何を物語るのだろうか。それは有権者が河野らが「左傾化」させた政治を、正常な姿に「復元」しようとしているからに他ならない。
河野が喜々として訪中するのは自由だが、中国の海外膨張主義に対して、 国の領土をいかにして保全するのか分かっていない。
集団的自衛権で日米 同盟を固めることに共産党と同じように反対なのか。
跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するテロリストから邦人を救出するのに 自衛隊の海外派遣が不要だというのか。
「自民党にはリベラルな議員もいると思うが、目立たない」と発言したが、目立たなくしたのは国政選挙に よる時代の淘汰(とうた)だ。 時の政権への「右翼政治」呼ばわりも小選 挙区制と同様に「私は大きな間違いを犯しました」と早く気付くことを渇 望する。
《渡部亮次郎の「頂門の一針」》2015(平成27)年2月27日(金)3583
より、部分転載します。
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河野の加齢断定症候群
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杉浦 正章
自らの大失政を顧みるべきだ
慰安婦強制連行の朝日大誤報のほとぼりが冷めたと思ったのか、血が騒ぐ のか元衆院議長・河野洋平が78歳にして意気軒昂だ。その発言も安倍を 「右翼政治」よばわりして、はばからない。
人間年を取って気を付けねばならぬことは「短絡」である。深く思考する 余裕がなくなるのか右か左かととかく断定したがる傾向が出てくる。これを「加齢断定症候群」と名付けたい。河野発言を分析するとこの症候群の深刻な症状が見られる。
自民党を離党 して新自由クラブを結成したときから、「左翼政治」とは言わないが「左 傾化政治の欺瞞(ぎまん)性」があって好きになれない政治家だった。
「夢よもう一度」も理解できるが、ほどほどになさった方がよいと思う。
河野の24日の名古屋発言はまず首相・安倍晋三が村山談話を継承するのか どうかについて「歴代内閣が継承してきた日本の歴史認識が10年刻みで変わることはありえない。どういう文言で談話を書くかは決まり切ったことだ」と「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の“キー ワード三点セット”をそのまま受け継ぐべきだと主張。
安倍がこれだけでカチンとくるのは必定だが、さらに加えて「自民党にはリベラルな議員もいると思うが、目立たない。これ以上「右」に行かないようにしてほしい。今は保守政治と言うより右翼政治のような気がする」とまで言い切った。これで安倍はカンカンだ。
時の自民党政権を「右翼」呼ばわりする発言を初めて聞いた。
さらに自民 党から蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われている自らの談話について「官房長官談話は誠心誠意作り上げた。はっきりとした裏付けのないものは書かなかったので「強制性」という言葉は入っていない。強制性についての文書は見つからなかったからだ。しかし、強制性が全くなかったかと言えば、 いくつか具体的なものはある」とあくまで強制性にこだわった。
それでは、反論すれば、父親河野一郎より政治力はかなり落ちるが「輝か しき」河野洋平の政治家としての人生の中で、日本をおとしめた大失政が 2例ある。
一つは小選挙区制の導入であり、他の一つは「河野談話」のあとの河野発 言である。現行の小選挙区比例代表制は、「政治家が小粒になり劣化する」と筆者は政治部長時代、自民党に意見を聞かれて反対論を述べた。
しょせんは蟷螂(とうろう)の斧のような発言であり、当然河野はこれを無視して推進。その揚げ句が今になっての大反省である。
河野は「私は大きな間違いを犯しました」とまるでISILの人質のように語る。
「私は大きな間違いを犯しました。今日の日本の政治は、劣化が指摘さ れ、信用ができるか、できないかという議論まである。そうした一つの原 因が小選挙区制にあるのかもしれない」と述べ、衆院選に小選挙区制を導入した自らの判断は誤りだったと認めたのだ。
しかし時既に遅しだ。選挙制度改革など圧倒的多数を占めた自民党がやる わけがない。 謝って済む問題ではない。政治家の劣化は国の劣化につなが りかねないのだ。
次にこれに勝るとも劣らないのが「河野談話」とこれに伴う「河野発言」 である。
朝日の「強制連行」や「女子挺身隊」の大誤報が大きく影響を与 えた1993年の官房長官・河野洋平談話は「軍による強制連行は確認できな い」が基調であり、事実強制連行を示唆する文書類は一切発見されていない。
しかし問題はこれを発表した後の河野の明らかに意図的とみられる発言に ある。
記者会見で「強制連行の事実があったという認識でよいか」と聞か れて、「そういう事実があった。結構です」と明白に認めてしまったのだ。
この発言が慰安婦問題の全てとなった。韓国のみならず欧米諸国にまで、 「韓国女性を狩り出してレイプしながら連行した」との戦後史に残る大誤報の発端となった。
この「性奴隷」説は国連人権委員会のクマラスワミ報告にも下劣な表現で 引用され、米リベラル系マスコミが報道し、米政府内にも誤認の風潮が生 じて消えない。
朝日が強制連行の誤報を認めても、いったん染みついたイメージは消えないのだ。
一政治家の判断が、これほど日本をおとしめた例を知らない。いくらノーバッジで隠居の身でもせめて現状認識だけはしっかりしてもらいたいと思うが、河野は現政権を「右翼政治」と一言で断ずる。
しかし、安倍政権が3回の国政選挙で圧倒的な国民の支持を受けたことは 何を物語るのだろうか。それは有権者が河野らが「左傾化」させた政治を、正常な姿に「復元」しようとしているからに他ならない。
河野が喜々として訪中するのは自由だが、中国の海外膨張主義に対して、 国の領土をいかにして保全するのか分かっていない。
集団的自衛権で日米 同盟を固めることに共産党と同じように反対なのか。
跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するテロリストから邦人を救出するのに 自衛隊の海外派遣が不要だというのか。
「自民党にはリベラルな議員もいると思うが、目立たない」と発言したが、目立たなくしたのは国政選挙に よる時代の淘汰(とうた)だ。 時の政権への「右翼政治」呼ばわりも小選 挙区制と同様に「私は大きな間違いを犯しました」と早く気付くことを渇 望する。
(転載了)
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一つ目の「小選挙区制導入」に関しての無責任発言はここでは置く。
小粒の政治家ばかりになるのと、決められない政治が続くのと、どちらがいいかということで、後者を採る。これはこれで見識のあることではないか。政治は舵を取るためにあるのだから。船頭ばかりでは船は進まない。
要は例によって、制度を生かすも殺すも国民の見識に拠るところが大なんだということだろう。
何故って政治家は国民の一票で選ばれるのだ。
岩手の小△氏だって大阪の辻×女史だって小選挙区制や比例名簿がどうこういう問題ではない。国民が大して考えもせずに、政党、候補者に安易な民が一票を投ずること自体がおかしいだけだ。いや、深く考えもしないで彼、彼女に一票を投ずる、というのが今の国政(じゃないですね、国会ですね)の体たらくを生んでいるのだ。
無駄話が過ぎた。問題は二つ目だ。
《「河野談話」とこれに伴う「河野発言」》 。
「目の付け所」はどこか。「河野談話」か。それともこれに伴う「河野発言」か。
これまた言うまでもないことで、目の付け所は「河野発言」ではないか。
談話については「河野談話」の名の通り、「『軍による強制連行は確認できな い』が基調であり、事実強制連行を示唆する文書類は一切発見されていない」というものだ。
「強制連行は確認できない→なかったとしか考えられない」本意ではないか。
ここに於いて河野談話の、「検証」に意味はあっても、「談話見直し」に、意味はないに等しい。
「確認できなかった」の発展形として「河野発言の徹底否定」ならともかく、「談話撤回」などするのは単に世界から不信を招くだけのことになる。それは偽史を作ることで自国を正当化しようとする国共と同じ扱いを甘んじて受けるということだ。
また、「河野談話」とは「河野氏の談話」ではなく、「河野氏が責任を持つ談話」なのであって、外務省なりの緻密な計算と韓国政府のごり押しとのぎりぎりのせめぎ合いの結果に作り上げた典型的な外交文書なのだ。それも、狐と狸の化かし合いで、ポイント制で言えば51対49で日本の勝ち、みたいな文書だ。
つまり、河野談話自体は問題どころか、あの時としては、「外務省、GJ!」と言われてもいいほどのものだったとさえ言える。
それを「河野発言」が一遍にひっくり返してしまった。杉浦氏は「意図的に」とまで書かれている。つまり、確信犯だった、と言われている。この時を待っていた、ということだろうか?
《記者会見で「強制連行の事実があったという認識でよいか」と聞かれて》
間、髪を入れずに、
《「そういう事実があった。結構です」と明白に認めてしまったのだ。》
確信犯、というより、周りが見えない人間ではないのか。折角作った「談話」を全く理解していないのではないか。外務省の苦心惨憺を、ちょうど加藤紘一が佐々氏の苦心の下工作を踏みにじったように、一顧だにせずひっくり返してしまったのではないか。
思い込みの強すぎる、山◇太郎と同じ、浅薄な知識、思い込みの強さ、聞く耳を持たない、という人物で、一見、「自己の信念に従って正しい道を邁進する」魅力的な政治家、と国民は捉えていたのではないか。それが証拠に未だに「サンデーモーニング」に出ているのは、まだ相当数の国民の支持があるからではないのか。
一つ目の「小選挙区制導入」に関しての無責任発言はここでは置く。
小粒の政治家ばかりになるのと、決められない政治が続くのと、どちらがいいかということで、後者を採る。これはこれで見識のあることではないか。政治は舵を取るためにあるのだから。船頭ばかりでは船は進まない。
要は例によって、制度を生かすも殺すも国民の見識に拠るところが大なんだということだろう。
何故って政治家は国民の一票で選ばれるのだ。
岩手の小△氏だって大阪の辻×女史だって小選挙区制や比例名簿がどうこういう問題ではない。国民が大して考えもせずに、政党、候補者に安易な民が一票を投ずること自体がおかしいだけだ。いや、深く考えもしないで彼、彼女に一票を投ずる、というのが今の国政(じゃないですね、国会ですね)の体たらくを生んでいるのだ。
無駄話が過ぎた。問題は二つ目だ。
《「河野談話」とこれに伴う「河野発言」》 。
「目の付け所」はどこか。「河野談話」か。それともこれに伴う「河野発言」か。
これまた言うまでもないことで、目の付け所は「河野発言」ではないか。
談話については「河野談話」の名の通り、「『軍による強制連行は確認できな い』が基調であり、事実強制連行を示唆する文書類は一切発見されていない」というものだ。
「強制連行は確認できない→なかったとしか考えられない」本意ではないか。
ここに於いて河野談話の、「検証」に意味はあっても、「談話見直し」に、意味はないに等しい。
「確認できなかった」の発展形として「河野発言の徹底否定」ならともかく、「談話撤回」などするのは単に世界から不信を招くだけのことになる。それは偽史を作ることで自国を正当化しようとする国共と同じ扱いを甘んじて受けるということだ。
また、「河野談話」とは「河野氏の談話」ではなく、「河野氏が責任を持つ談話」なのであって、外務省なりの緻密な計算と韓国政府のごり押しとのぎりぎりのせめぎ合いの結果に作り上げた典型的な外交文書なのだ。それも、狐と狸の化かし合いで、ポイント制で言えば51対49で日本の勝ち、みたいな文書だ。
つまり、河野談話自体は問題どころか、あの時としては、「外務省、GJ!」と言われてもいいほどのものだったとさえ言える。
それを「河野発言」が一遍にひっくり返してしまった。杉浦氏は「意図的に」とまで書かれている。つまり、確信犯だった、と言われている。この時を待っていた、ということだろうか?
《記者会見で「強制連行の事実があったという認識でよいか」と聞かれて》
間、髪を入れずに、
《「そういう事実があった。結構です」と明白に認めてしまったのだ。》
確信犯、というより、周りが見えない人間ではないのか。折角作った「談話」を全く理解していないのではないか。外務省の苦心惨憺を、ちょうど加藤紘一が佐々氏の苦心の下工作を踏みにじったように、一顧だにせずひっくり返してしまったのではないか。
思い込みの強すぎる、山◇太郎と同じ、浅薄な知識、思い込みの強さ、聞く耳を持たない、という人物で、一見、「自己の信念に従って正しい道を邁進する」魅力的な政治家、と国民は捉えていたのではないか。それが証拠に未だに「サンデーモーニング」に出ているのは、まだ相当数の国民の支持があるからではないのか。
ならば、我々は叩き続けるべきだろう。「引退したから云々」は言うべきではあるまい。発言を続ける限り、彼は「元官房長官」なのであって、決して過去の人ではない。
そんなことを思って、以前の日記を見たら、今回とほとんど変わらない内容の日記が・・・・。あんまり進歩してない、というか・・・退行してるような気もしますが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(略)
河野談話だって、摺り合わせ自体は見事な攻防だったと思いますよ、問題は色々あったけれど。
でも、当時の、後ろ向きの外務省にしてはホントに見事な玉虫色の表現にしたんじゃないか。
今、朝鮮語のことを知るようになるにつれ、談話の本文の見事さは、朝鮮文字だけで書かれた文章に比べて格段に意味が深く、言ってみれば韓国は日本の文章技術に翻弄されていたような気もします。
それを記者会見で河野洋平氏が発した不用意な発言が全てを引っ繰り返してしまったのではないか。
記者の度重なる質問に対し、「強制連行(拉致)があったと。(そういうことで)結構です。」みたいなこと、言ったでしょう?あれで玉虫色が全て引っ繰り返されて、思いっきりのオウンゴールにしてしまった。あれを何故糾弾しないのか、不思議に思います。
(以下略)
「日中関係改善の文書」 2014年11月11日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
繰り返しますが「引退した人だから云々」、などということは決して言うべきではないと思います。
政治に関して発言する限り、彼の発言は元「国会議員」ではなく、それよりはるかに重視される元「官房長官」なんです。
その功績(?)は「河野談話」であるべきで、決して「河野発言」ではない。
それが「河野発言=河野談話」と認識されている。とんでもないことです。
あんな浅薄な「河野発言」如きと、弱腰とはいえ精一杯の努力をした結果、辛勝する筈だった外務省(作出の「河野談話」)を一絡げにしては、いくらなんでも外務省が可哀想です。
いくら「是々非々」って言ったって、結局は切り捨てていくだけ、じゃあ最後には誰もいなくなります。
そんなことを思って、以前の日記を見たら、今回とほとんど変わらない内容の日記が・・・・。あんまり進歩してない、というか・・・退行してるような気もしますが。
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(略)
河野談話だって、摺り合わせ自体は見事な攻防だったと思いますよ、問題は色々あったけれど。
でも、当時の、後ろ向きの外務省にしてはホントに見事な玉虫色の表現にしたんじゃないか。
今、朝鮮語のことを知るようになるにつれ、談話の本文の見事さは、朝鮮文字だけで書かれた文章に比べて格段に意味が深く、言ってみれば韓国は日本の文章技術に翻弄されていたような気もします。
それを記者会見で河野洋平氏が発した不用意な発言が全てを引っ繰り返してしまったのではないか。
記者の度重なる質問に対し、「強制連行(拉致)があったと。(そういうことで)結構です。」みたいなこと、言ったでしょう?あれで玉虫色が全て引っ繰り返されて、思いっきりのオウンゴールにしてしまった。あれを何故糾弾しないのか、不思議に思います。
(以下略)
「日中関係改善の文書」 2014年11月11日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
繰り返しますが「引退した人だから云々」、などということは決して言うべきではないと思います。
政治に関して発言する限り、彼の発言は元「国会議員」ではなく、それよりはるかに重視される元「官房長官」なんです。
その功績(?)は「河野談話」であるべきで、決して「河野発言」ではない。
それが「河野発言=河野談話」と認識されている。とんでもないことです。
あんな浅薄な「河野発言」如きと、弱腰とはいえ精一杯の努力をした結果、辛勝する筈だった外務省(作出の「河野談話」)を一絡げにしては、いくらなんでも外務省が可哀想です。
いくら「是々非々」って言ったって、結局は切り捨てていくだけ、じゃあ最後には誰もいなくなります。
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