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ただの日記

風が吹く

2020年03月04日 | 重箱の隅
2015.01/09 (Fri)

 今日の≪渡部亮次郎の「頂門の一針」3561≫に面白いことが書かれてあったので、部分転載させていただきます。

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 2015/01/08 (木) 12:49

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 第47回総選挙の捉え方
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     加瀬 英明

             (略)

 静かな選挙は結果も落ち着きがある
 今回の総選挙では、久し振りに“風が吹く”ことがなかった。一部で「熱意を欠いた選挙」だったと批判しているが、私は日本国民がそれだけ成熟したと、高く評価したい。
 日本の民主政治には、周期的に“風”が吹いてきた。この30年以上、“風が吹く”ことが、際立った特徴となっていた。
 前回の総選挙では、橋下徹大阪市長の“大阪維新の会”が全国に旋風を引き起し、「政界再編の目だ」といわれた。私は異常な“維新の会”のブームに、深い不安を覚えた。
 前回はみんなの党も“風”を起したが、みんなの党は今回、泡沫のように消えてしまった。

 前回の総選挙直後に、みんなの党の浅尾慶一郎議員と会った時に、社民党が全国で獲得した票を、関東圏だけでとったと自慢したので、私が「党名がコミックのようで、不真面目だ」といったところ、「いや、党名のお蔭で、これだけとれたんです」と、蒙を啓かれた。

 浮き足立った選挙は一過性で空しい

             (略)
 小泉首相が平成13年に「自民党をぶっ壊す」といって、郵政改革を訴えた総選挙で、自民党が圧勝した。
 5年前に、民主党が「政権交替」を叫んで、鳩山由紀夫内閣が登場した時、マスコミが「風が吹いた」といって、盛んな拍手を送った。
 昭和64年の総選挙では、日本社会党が土井たか子委員長のもとで、議席を倍以上に増した。マスコミが「マドンナ旋風」と呼んで囃し立てたが、土井氏が「山が動いた」といって小躍りした。

 なぜか、日本国民は内容がよく分からない新しいものに、憧れる性癖がある。これらの“風”は、みな一過性のものだった。
 平成13年に誕生した“小泉チュルドレン”は、その後の“風”によって、芥(あくた)のように散ってしまった。5年前にバッジをつけた“小沢チルドレン”も、“風”とともに散った。

 天下の公党が候補者を公募するのも、日本だけのものだ。日本だけの、独特な奇観だ。
 橋下市長が大阪維新の会をつくって、塾生を公募したところ、国会議員を含む3326人が応募した。あの時点では、みんなの党もまだ人気が高かったが、もし塾を開設していたとしたら、維新の会によってはねられた者が、殺到したにちがいなかった。
 “風”が周期的に吹くのは、日本の民主政治が国民のあいだにしっかりとした根を、降ろしていなかったためである。

 欧米の政治の日常性を学ぶ必要がある

            (略)
 私はマスコミが、どうして「風が吹く」のを、良いことにしてきたのか、分からない。本来、日本語で“風”といったら、思わしくない言葉だった。
 よい言葉といったら、「そよ風」ぐらいのものだろう。

 「風の吹回(ふきまわ)し」「風任(まか)せ」といえば、定見がないことである。  男や女が心変わりするのを、「風吹き」といった。「痛風」「中風」もある。
 江戸時代には、「かぜを負うた」というと、物怪(もののけ)に取り憑かれたことをいった。「あの人は風に当たった」といえば、人に災いする魔風のことだった。風は疫病神であり、「風の神払い」といって、仮面をかぶって太鼓を打ち鳴らして、軒々、金品を貰い歩く辻乞食がいた。

 日本国民の国民性

 地方では風の神に見立てた人形を作って、鉦や、太鼓ではやしたてて、厄除けを行った。いまでも農村へ行くと、風害を免れて豊作になるように祈願する、風神祭が行われている。
 マスコミは、“風の魔神”なのだ。マスコミは政治屋と一緒になって、風袋をかついで、風害を撒き散らしてきた。
 これまで、政界で“風”はよい言葉になっていたが、“風”は政治を不安定なものにしてきた。
 “風頼り”で当選した若い1年生議員が、国会から追われると、きっと落魄して、“風”を恨むことになろう。

 日本国民には、熱しやすく、冷め易い欠点がある。
 煽ることが、ジャーナリズムの生業(なりわい)であることは、戦前から変わらない。マスコミは何であれ、騒ぎを好む。劣情を刺激するポルノと変わらないが、そうすることによって、紙数が増え、視聴率が上がる。
 江戸時代には、流行神(はやりがみ)現象があった。ある祠(ほこら)に詣でると、治病とか金運とか、大きな御利益があるという噂がひろまる。すると、群集がそこに殺到する。ところが、長続きしない。いつも、一過性のものだった。
 しばらくすると、ちがう祠か、寺か、社に詣でると、福運がつくという風聞がひろまる。人々が、そこへ集まる。流行神は花が咲いてぱっと散るから、「時花神」とも呼ばれた。
 マスコミは、流行神だ。そのたびに、賽銭箱が満たされてきた。

 お蔭参りは、江戸時代におよそ60(年)周期で起ったが、伊勢神宮に参詣すると大きな御利益があるという噂がひろまって、老いも若きも日常生活の規範を離れて、街路に飛び出し、奔流のように踊り浮かれて、伊勢へ向かった。

 幕末のお蔭参りと現代のお蔭参り

 最後のお蔭参りは、幕末の慶応3年に起ったが、当時の日本の人口の1割
に近かった200万人以上が、全国から伊勢を目指した。路々で周辺の家に土足であがり込み、饗応を強いるなど、狼藉を働いた。
 平成に入っても、日本ではお蔭参りが続いている。反原発デモが、その類である。
 日本では政治が国民生活から、浮き上っていた。国民が日常、政治にかかわろうとしないからだ。

 日本国民は日頃、ゲルマン民族のように規律を守って地道に生きると思うと、周期的にラテン民族のように浮かれて、空ら騒ぎする。
 アングロサクソンや、ゲルマン民族であれば、新しいものに警戒心をいだく。 かりに多少の欠陥があっても、多年使い慣れたもののほうが、安心できるものだ。ところが、日本国民は政治の場にまで、「女房と畳は新しいほうがよい」という感覚を持ち込む。

 国民の1人ひとりが、日本の持ち主であるはずだ。大事な政治の選択を、
“風”に委ねてはなるまい。
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 《日本の民主政治には、周期的に“風”が吹いてきた。この30年以上、“風が吹く”ことが、際立った特徴となっていた。》
 《私が「党名がコミックのようで、不真面目だ」といったところ、「いや、党名のお蔭で、これだけとれたんです」と、蒙を啓かれた。》
 《私はマスコミが、どうして「風が吹く」のを、良いことにしてきたのか、分からない。本来、日本語で“風”といったら、思わしくない言葉だった。よい言葉といったら、「そよ風」ぐらいのものだろう。》
 《マスコミは、“風の魔神”なのだ。マスコミは政治屋と一緒になって、風袋をかついで、風害を撒き散らしてきた。》

 上記は転載文中から改めて抜き書いたものなんですが、「風」、ということに関して、私はこれまでずっと何だか釈然としないものを感じていました。
 南洲翁が言われるような「命も要らぬ、名も要らぬ、~というようなものでなければ国のことはできぬ」という認識の中に、「風」、なんて曖昧なものがあったろうか。それこそ「状況の変化は風次第」、なんて、南洲翁が聞いたら激怒するんじゃないか。
 「神風」云々を言う人もいる。鎌倉武士の勇猛果敢な戦いぶりに八百万の神達が感応し、吹かせたのだ、と捉えられている。
 けど、神様ってのは「人智を超越した存在」なんだから、そんなチマチマした発動はないんじゃないのかな、と思います。「大魔神」見たって分かることです。魔神の暴れる時(本当は全て「神」、で「魔神」なんていないんだから、「暴れる」、じゃなくて「神威の発動」です)は、善人だとか悪人だとか関係なしに滅ぼしてしまう。
 靖国神社に鎮まる英霊達が神風を吹かせたというのなら納得もできるけれど、鎌倉時代は、まだ靖国神社、ありませんから・・・ねえ。

 神風が吹くことによって侵略軍の船は沈んだけれど、選挙、政治の場で風が吹いて背中を押されて当選する、そんな当選の仕方でできる政治って一体何なんだと思います。
 そんなあやふやなもので前出の南洲翁のいう公平無私の政治ができるのか????

 
 そうそう。「風に立つライオン」なんて題名の映画ができたんでしたっけ。
 風に立ち向かう、ってのは何だか雄々しくてカッコいいですよね。
 それに比べ「風が吹いた!」「我が党に追い風が吹いてる」なんて軟弱に見えます。
 どうも「風を頼りにしている」のはいけません。同じく「風を読む」、なんてのも心根が卑しく見える。
 大自然の中で、自分がちっぽけなものだと自覚して、謙虚に学ぼうというんなら良いんですが、「風を頼りにしている」のや「風を読む」なんてのは、「大自然」ではなく人の作った社会のことなんでしょうからね、どんなにカッコつけたって、卑しくなるんでしょう。

 敬神の念の篤い人が神社に参拝すると、拝殿の方から実に心地よい風が吹くことがあるそうです。そんなそよ風に包まれることが一度でもあれば、「風が云々」なんてことは言わなくなるんでしょうけど、「風の魔神」「流行神」たるマスコミ関係者は、そんな参拝なんかはきっとしないんでしょうからね。

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