2014.12/19 (Fri)
PCが壊れて、販売店に持っていったら、ハードディスクが駄目みたいだから初期クレームということで製造元に送り、ハードディスクを交換、ということになった。買って二年弱。
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テレビがなければ日記が書ける、と思っていたのだが、PCがなくなって初めて、日記が書けなかったのはPCのせいだと分かった。
新しい情報を手に入れることばかり考えていた。或いは新情報が入ってくるのを当然のこととして受け入れていた。その上で「メディアリテラシーが云々」と言っている。
低回(徘徊)状態でしかなかったのだ。自分で目を凝らして問題を見つけようとしてなんかいなかったのだ。なのに自分で問題を見つけようとしていると思っていた。
甚だしい場合は「わしもそう思う」状態で、問題を見つけるどころか回答までも自分で思いついたかのように勘違いして、手に入れた情報を「持論!」と思い込んでいた。
能々見れば普段言っていることと微妙にずれているのに、凝視せず済ませてしまっていた。
この数年、「沈思黙考する」ということを実感、体感しようとしたことが本当にあったろうか。自身の立っている場所を、座標としてではなく「高み(境地)」として、客観視しようと意識したことが本当にあったろうか。
「自民が300議席超」という予想が出ている。「油断したら負ける」、と安倍首相は必死だ。なのに「バンドワゴン効果」というのを、取らぬ狸の何とやら、で期待している者もいる。昔々、朝日放送アナウンサーとして絶大な人気と知名度を誇った民社党議員中村鋭一は、その油断と皮算用の結果、一敗地にまみれた。
「自民圧勝!」?
けれど
「一人くらい行かなくたって大勢に影響、ないでしょ?だから行ったことない」
「忙しくて選挙どころじゃないもの」
「何でこんなに忙しい時に選挙するんだよ。代議士センセは庶民のことなんか分かってないんだねェ」
「投票したら景品がつく、なんて良いんじゃない?」
「ツジモっちゃん、うん、清美ちゃん。国会質疑、カッコええから投票するわ」
、みたいな太平楽言ってるのが国民の大半なんだ。
けれどそんないい加減な奴も、意を決して行く憂国の士も、「同じ一票」。
志の軽重は一切無視されて、その一票が国政を託す政治家を選出するんだ。それが民主主義だ。努力した者も怠けた者も同じ人間の価値ということだ。
だからこそ「毒を食らわば皿までも」「死なばもろとも」、の覚悟が活きてくる。
国士は、動ずることなく、それに徹する。「こんな筈じゃなかった」と一言でも言うならば「ツジモッちゃん、カッコいい!」と同列になる。
そんな「意思」の上に国政は危ういバランスを保っている。
だからこそ、「死なばもろとも」と覚悟した国民が一人でも多くなることが、確固とした国を作ることに直結する。そう思う。
国政に文句をつける(是々非々を声高に叫ぶ)のでは遅過ぎる。文句は選出の段階でつけるべきだろう。
そして、思い通りにいかなかったら、耐え忍ぶしかない。思い通りにいかなかったら「臥薪嘗胆」以外の言葉はない。
一党独裁のシナだって「主席独裁」ではない。実際は合議制、つまり「主席派独裁」だ。
日本なら言うまでもない、鎌倉の昔は言うに及ばず、建国の時から、いや、神代の昔から合議制だった。神議(かむはかり)で全てが決められてきた。国を思う気持ちの強い者が、大志を持つ私欲のない者が、国を動かしてきた。
主流派を強固なものにしなければ、次世代の党は活動の場を持てないままで終わってしまう。
(選挙後、次世代の党は大敗を喫した、と捉えられています。しかし大志のある議員が二名、国会に、それも衆院に居る、ということは今後に大いに望みがあるということだと思います。)
PCが壊れて、販売店に持っていったら、ハードディスクが駄目みたいだから初期クレームということで製造元に送り、ハードディスクを交換、ということになった。買って二年弱。
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テレビがなければ日記が書ける、と思っていたのだが、PCがなくなって初めて、日記が書けなかったのはPCのせいだと分かった。
新しい情報を手に入れることばかり考えていた。或いは新情報が入ってくるのを当然のこととして受け入れていた。その上で「メディアリテラシーが云々」と言っている。
低回(徘徊)状態でしかなかったのだ。自分で目を凝らして問題を見つけようとしてなんかいなかったのだ。なのに自分で問題を見つけようとしていると思っていた。
甚だしい場合は「わしもそう思う」状態で、問題を見つけるどころか回答までも自分で思いついたかのように勘違いして、手に入れた情報を「持論!」と思い込んでいた。
能々見れば普段言っていることと微妙にずれているのに、凝視せず済ませてしまっていた。
この数年、「沈思黙考する」ということを実感、体感しようとしたことが本当にあったろうか。自身の立っている場所を、座標としてではなく「高み(境地)」として、客観視しようと意識したことが本当にあったろうか。
「自民が300議席超」という予想が出ている。「油断したら負ける」、と安倍首相は必死だ。なのに「バンドワゴン効果」というのを、取らぬ狸の何とやら、で期待している者もいる。昔々、朝日放送アナウンサーとして絶大な人気と知名度を誇った民社党議員中村鋭一は、その油断と皮算用の結果、一敗地にまみれた。
「自民圧勝!」?
けれど
「一人くらい行かなくたって大勢に影響、ないでしょ?だから行ったことない」
「忙しくて選挙どころじゃないもの」
「何でこんなに忙しい時に選挙するんだよ。代議士センセは庶民のことなんか分かってないんだねェ」
「投票したら景品がつく、なんて良いんじゃない?」
「ツジモっちゃん、うん、清美ちゃん。国会質疑、カッコええから投票するわ」
、みたいな太平楽言ってるのが国民の大半なんだ。
けれどそんないい加減な奴も、意を決して行く憂国の士も、「同じ一票」。
志の軽重は一切無視されて、その一票が国政を託す政治家を選出するんだ。それが民主主義だ。努力した者も怠けた者も同じ人間の価値ということだ。
だからこそ「毒を食らわば皿までも」「死なばもろとも」、の覚悟が活きてくる。
国士は、動ずることなく、それに徹する。「こんな筈じゃなかった」と一言でも言うならば「ツジモッちゃん、カッコいい!」と同列になる。
そんな「意思」の上に国政は危ういバランスを保っている。
だからこそ、「死なばもろとも」と覚悟した国民が一人でも多くなることが、確固とした国を作ることに直結する。そう思う。
国政に文句をつける(是々非々を声高に叫ぶ)のでは遅過ぎる。文句は選出の段階でつけるべきだろう。
そして、思い通りにいかなかったら、耐え忍ぶしかない。思い通りにいかなかったら「臥薪嘗胆」以外の言葉はない。
一党独裁のシナだって「主席独裁」ではない。実際は合議制、つまり「主席派独裁」だ。
日本なら言うまでもない、鎌倉の昔は言うに及ばず、建国の時から、いや、神代の昔から合議制だった。神議(かむはかり)で全てが決められてきた。国を思う気持ちの強い者が、大志を持つ私欲のない者が、国を動かしてきた。
主流派を強固なものにしなければ、次世代の党は活動の場を持てないままで終わってしまう。
(選挙後、次世代の党は大敗を喫した、と捉えられています。しかし大志のある議員が二名、国会に、それも衆院に居る、ということは今後に大いに望みがあるということだと思います。)
追補
2020年、次世代の党は跡形もありません。