CubとSRと

ただの日記

2017.02/11 (Sat)

2025年02月12日 | 心の持ち様
 昨晩、吹き荒れていた北風は、すっかり収まっている。
 静寂に重ねて、雲一つない空に、これまた見事な満月が懸かっている。
 乱視だから本当のところは分からないけど。

 雪と路面凍結の心配があって、二日ほど散歩に出ていない。
 しかし今日は新雪が積もっているから足を滑らせる心配はないだろう。
 そう思って、五時過ぎ、日課の散歩に出た。
 今日は明治以降、敗戦まで「紀元節」とされていた日だ。

 あまり昔のことで、「建国の日」がはっきりしていない。神武天皇が「建国の大業」を為された、と日本書紀に書かれているだけだ。
 文字のない昔のことだ。日本書紀に書かれているだけだから、実在したという証拠にならない。

 「年月日がはっきりしないのだから、日を定めるのは時期尚早」
 確たる証拠(出土品、文書など)がないのだから、考古学者の立場からすれば、皇族である三笠宮崇仁殿下であっても、そう仰るしかない。
 そうすると、
 「皇族でさえ否定されているのに、建国記念日を制定するなど言語道断!」
 と、反対派が我々こそ正義、とばかりに祝日に制定する(実質は紀元節の復活)ことに猛反対する。
 よくもまあ馬鹿々々しい議論をしていたものだ。
 そして、15年もかかって、やっと「建国記念の日」が制定された。

 大体、二千数百年も前に遡って、の正月一日を、「めでたい日」「新年」なんだから、これを「建国記念の日」にしよう、「紀元」節、つまり「祭」、「祭日」にしようというだけのことであって、そこら辺の国の「独立記念日」なんかとは謂れが全く違うのだ。

 今朝、「正義のミカタ」で所先生が「聖徳太子の時から遡ること1260年を紀元としよう、ということになった」という話をされていた。
 これ、暦が一回り60年で、二十一回(つまり1260年)毎に、大きな変転がある、という「讖緯説(しんいせつ)」からの計算だ。
 「神武天皇が日本を作られた」のだから、大きな変転なんだ、なら、1260年前としよう、と。
 (だから少なくとも聖徳太子の以前から日本は「在る」のだから、この時点からでも日本は1400年以上続いているわけだけど)

 この時点で、「計算したら、天皇によっては百数十歳以上の長命になる」なんて間抜けなことを言うのも、「そんなに古い筈がない。大嘘だ」と騒ぎ立てるのもナンセンスの極み、ということになる。
 要は
 「確かに建国されたからこそ国があるのであって、その日時が分からないから記念日は作れない、なんて発想の方がおかしいだろう?」
 ということだ。
 それに、誰が好き好んでこの雪の降る厳冬の日に「国家創業!」、なんてするのだ。
 しかし、だ。
 詳細はともかく、建国の理念は「新しい世界を作る」ということだ。これはどこの国でも同じだ。
 ならば、「新しい年明け」と「肇国の大業」を重ねるという考え方はなかなかのものではないか。
 正月一日を、「めでたい日」「新年」なんだから、これを「建国記念の日」にしよう。
 こんなおめでたい、じゃなかった、清々しい考え方をする国が他にあるかい?

 なんてことを思いながら、国旗を掲げた。
 また時折強く吹く寒風の中、門柱に括り付けた旗竿で、日の丸が翻っている。
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