長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

189. 開創一千二百年 高野山滞在記 (三)金剛峯寺・蟠龍庭

2015-04-27 20:10:19 | 旅行

高野山行、二日目。昼食後の午後は壇上伽藍を出て少し東に戻り金剛峯寺を拝観することにした。相変わらず雨がシトシトと降り続いているが、雨の寺院建築というのも落ち着いた美しさがある。

金剛峯寺は歴史的には高野山全体をさす総称であったが現在では高野山真言宗3600余か寺の総本山であり、山内寺院の本坊としての一伽藍をいう。この寺の住職は座主(ざす)と呼ばれ、高野山真言宗の官長が就任することになっている。1593年(文禄二年)、豊臣秀吉が母、大政所の菩提を弔うために、木食応其(もくじきおうご)に命じて建てた青厳寺が現在の寺院のもとである。雨の中、ゆるい石段を登って境内に入る正門をくぐる。この正門が唯一残る秀吉時代のもので、かつてはここから出入りできるのは天皇・皇族と高野山の重職だけだったという格式の高い門。「今は誰でもくぐることができる。いい時代になったねぇ。」門をくぐると正面に檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根の複雑な曲線によって、簡素で端正な印象を受ける『主殿』が現れた。雨のせいかずっしりと重厚な姿に見えた。

入り口で拝観券を購入し順路にしたがって進んで行く。主殿中央の大広間の前まで進むと襖には群鶴描かれている。長い間、狩野派の筆によるものと言われてきたが最近の研究では江戸最初期の絵師、齊藤等室の作という説が有力になっているとのことだ。続いて『持仏の間』。本尊は『弘法大師座像』。普段は秘仏だが1200年の節目の年ということで一定期間、御開帳となっている。ここで合掌。さらに進んで『梅の間』、『柳の間』と続くが、いずれにもすばらしい襖絵が観られ思わず足を止め食い入るように眺めてしまう。この時代の絵画が好きな人にはお勧めのスポットである。

さらに順路を進み主殿の主な間を拝観してから、西に長い廊下を渡ると、旧興山寺の境内となる。ここの主要な三殿を取り囲む広い庭園に『蟠龍庭・ばんりゅうてい』と名付けられた石庭が広がっている。高野山の中で僕は個人的にとても好きな風景である。以前に来た時もこの石庭が見える廊下でしばらくの間、眺めていた記憶がある。桃山時代ぐらいのものかと思っていたら、昭和59年『弘法大師御入定1150年御遠忌大法会』の際に造営されたものだという。その大きさは我国最大のもので2340平方メートルとなっている。雲海の中で一対の龍が奥殿を守っているように表現されている。龍は四国産の青い花崗岩140個。雲海には京都産の白い砂が使用されている。

僕は竜安寺の石庭などに見られる禅宗寺院の『枯山水』の無駄のないシンプルな石庭もとても好きなのだが、この昭和の石庭もなかなか見事なものである。じっと見つめていると確かに龍がうねっているようなダイナミックな動きが見えてくるし、密教的な生命観のようなものが石の構成を通じて伝わってくるようだ。今回もこの石庭を前にして時間を長くとった。幅が狭く長い廊下を行きつ戻りつ、角度を変えてみると形がさまざまに変容してくる。雨のせいか石の固有色もよく見えて美しい。この新しい石庭も数百年後にはどんな佇まいになるのだろうか。「飽きないなぁ…このままここで時間が許す限り座っていたい」。しばらくするとバスで着いた団体さんがやってきた。廊下は狭い。名残惜しいが次の拝観者にゆずって、ここで切り上げた。順路にしたがい新別殿の大広間の休憩所に移動すると、修行僧からお茶と和菓子のサービスがあった。ここで現役の僧侶による仏教を解り易く話している「10分法話」を聴いてタイム・オーバー。今夜の宿、二つ目の宿坊『高室院』へと向かった。次回につづく。画像はトップが蟠龍庭の風景。下が向って左から蟠龍庭の風景(別角度)、金剛峯寺・正門、主殿。