長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

311. 友、ミラノより来る!

2017-11-10 18:37:32 | 日記・日常
9月初旬の事。イタリアのミラノに住む古くからの友人である画家のS氏が帰国し当工房を訪れた。もっと早くに画像投稿しようと思っていたら個展やグループ展が集中してしまい11月になってしまった。

S氏と僕とは美大受験の頃、東京の同じ美術研究所に通っていた頃からなのでかれこれ40年来の付き合いとなる。その後、二人とも都内の美術の専門学校へ入学、お互い絵画造形科と版画科と科は違ったが同級生となった。友と書いたが氏の方が年齢は2つ上である。美術学校卒業後お互い副手(大学でいう助手)として学校に2年間残った。つまり研究所から数えて9年間同じ学校の傘の下にいたわけである。「腐れ縁」とはこういう事かも知れない。

S氏は努力と忍耐の人で学生の頃から卒業後イタリアの美術学校に留学すると決めていて語学学校などにも通っていた。こうと決めると他にはいっさいブレないタイプの人間である。副手の任期2年間が終了した美術学校の卒業制作展の時、彼の忘れられない言葉がある。銀座のギャラリーで学生たちの作品を陳列した後、打ち上げ会の会場へと向かう途中に話しながら歩いている時のことである。春からのお互いの動きなどを確認していると「俺はイタリアに骨を埋めるつもりで行く!長島は銀座辺りでウロウロしていてくれよ。ガッハッハッハ…」と豪快に笑いながら言っていた。いや、イヤミなんかじゃない。この人はいつもこういう冗談混じりの本気の言葉をかますのである。まだイタリア留学の試験も受けていない状態の頃だった。

その後、官費留学を狙い手続きをとろうとしたが「専門学校卒は規定外」と文部省にあっさり断られ、奮起したS氏は私費で直接受験しミラノの国立ブレラ芸術学院の絵画コースに主席でパスしてしまった。本当にブレないのである。イタリアのブレラ芸術学院と言えば全生徒数が約4000人、ヨーロッパでもっとも大きな芸術アカデミーである。世界中からアーティストを目指し学ぶために学生が集まってくるのだという。その後、何人かの友人知人も留学し風の便りに氏のようすは聞いていた。そして精進の末、卒業時も主席で終了した。卒業後は一緒に留学した奥さんと2人、ミラノに残って作品制作を続け発表し、作家活動を現在まで続けているというわけである。
展覧会や私用で時折日本に帰国するので何度か東京で待ち合わせて会って飲んだりした。だいたいいつもお互いに今、制作で抱えている問題やイタリアと日本のアート・シーンの情報交換になるのだが、その時も「時間の許す限り東京のギャラリーを回るのだ」といってたくさんの作品資料を抱えていた。「俺はイタリアに骨を埋めるつもりで行く! 長島は銀座辺りでウロウロしていてくれよ」の言葉が現実になり始めたのであった。

今回はひさびさの帰国である。前回会ったのは5-6年前に開催した氏の東京汐留での個展オープニング・パーティー会場だった。8月に帰国先の実家から電話があり「今回は漠然と会うのではなく長島の工房に行って版画についていろいろとアドバイスしてほしい」という。さらに「版画を教えるという枠で美術学院の教授にノミネートされそうなのだ」ということだった。珍しいな。でもおめでたい話だ。「だいたいのところは解ったので、資料やら道具を用意しておく」ということで電話を切った。

9月7日当日、工房の最寄の駅で待ち合わせ迎えに行くといつもと変わらないいでたちのS氏が待っていた。数年前に大病をしたと聞いていたので心配していたが顔色も良く笑顔の再会となった。工房に着いてしばらく世間話やお互いの現状などを話した。氏は現在、ブレラ芸術学院で講師として教鞭をとりながら作品発表を続けている。最近発表した個展の作品集(画像)2冊をお土産にくれたのだが会場の1つは古城のような雰囲気の美術館。また作家として契約しているミラノの企画ギャラリーはモジリアニやフォンタナといった巨匠を取り扱ってきたところで氏が新作の絵画の個展をするとオープン前に出品作の半数以上を画廊側が販売してしまうのだという。我が国の画廊状況とはずいぶん違うのである。深く感心するいっぽうだった。

しばらくしてから本筋である版画のレクチャー。「特に木版画と銅版画について詳しく知りたい」ということだったので、歴史的なことや技法の事、必要な道具などについて時間の許す限り伝えて行った。S氏は基本的に真面目で熱心な人なので質問も多くその都度足りない資料も出てきて2階の書棚を探すことになった。しかし制作者同士のこういうやり取りというのは楽しくもあり、あっと言う間に時間が過ぎて行った。話し合いが一段落した頃、氏がおもむろに「普通は同業の人間にはこんなに技法的なことなども教えないと思うけど、長島のおかげで版画の世界に視野が広がったよ、今回の帰国の一番の収穫だ」と言ってくれた。

夕刻、また元の駅まで見送るとこれも氏のいつもの挨拶で「じゃあまたな!お互い作品制作を続けていればまたすぐ会えるよ。一度ミラノにおいでよ、チャオ、チャオ-ッ!!」と言って笑顔で改札をくぐって行ったのだった。



画像はトップが当工房でのS氏と僕。下が向かって左から同じく工房でS氏との1カット、S氏のイタリアでの個展作品集からほんの一部。抽象画の大作(油彩画)なのでなかなか画像ではスケールや雰囲気は伝わり難い。