長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

315. Bill EVANS  ビル・エヴァンスを聴く日々。

2017-12-28 17:24:49 | JAZZ・ジャズ
毎日の絵の制作のおり、朝から夕方までBGMをかけ続けている話は繰り返し投稿してきた。最近ではクラシックを聴くことが多いのだが、同じジャンルばかり聴いていると飽きもくる。食事と似ていて、たまには別の種類の料理も食べて観たくなるというのが人情というものだ。

この半年ぐらいは朝のモーツァルトに始まって夕方までクラシックにドップリと浸かった後、夜のマッタリとくつろぐ時間帯にジャズ・ピアノなどを聴いている。中でもよく聴くのが今回ご紹介するビル・エヴァンス Bill Evans(1929-1980)のアルバムである。エヴァンスは1950年代から始まるモダンジャズを代表するピアニストの1人として有名で、ドビュッシー、ラヴェルといった19世紀印象主義のクラシック・ピアノに影響を受け、印象主義的な和音、スタンダード楽曲を題材とした創意に富んだアレンジと優美でエモーショナルなピアノ・タッチを取り入れたインター・プレイといわれる演奏を続け、後進のハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレットなど多くの才能あふれるスター・プレイヤーに大きな影響を与えたことでも知られている。
代表的なアルバムはリヴァーサイド・レーベル時代に録音された天才ベーシスト、スコット・ラファロとの共演で知られる「リバーサイド4部作」である。その中でも特に名盤として名高い『ワルツ・フォー・デビイ』はこの時代のジャズを代表するアルバムで表題曲はロックやポップスなどにもアレンジされ今でも人気が高い。

僕は高校時代からジャズを聴き始めて40年が経ったが、実は上記代表作は別としてエヴァンスのアルバムをあまり聴いていなかった。マイルス・デイビスのリーダー・アルバム『カインド・オブ・ブルー』にサイドとして参加した時のクールで抑制の聴いた音、自身の多くのリーダー・アルバムに聴かれる抒情性といったものにあまり興味が持てなかったのである。僕がジャズ・ピアノ、いやジャズという音楽に長い時間求めていたのはもっと、情念的でソウルフル、ブルース感覚豊かな音だった。たとえばピアノで言えばバド・パウエルに始まりウィントン・ケリー、ケニー・ドリュー、マッコイ・タイナーといった黒人プレイヤーによる演奏。あるいはピアノ以外だったらジョン・コルトレーンやオーネット・コールマンのような激しく音のカオスの中にグイグイと引きこまれるようなタイプの音楽に強く惹かれていたのだった。
ところが、音の趣味というものも御多分に盛れず年齢と共に変化してくるものである。50才前後を境として、もっとシットリと情感を持って聴かせてくれるものが良く聴こえてきたのである。いろいろとシットリ・ジャズを聴いている中でピアノの代表選手がこのビル・エヴァンスというわけである。

最近、エヴァンスの曲だけでなく「人」についても興味を持ち、いろいろとネットで調べている。エヴァンスという人はリリカルでエモーショナルなピアノ・タッチから創造するに幸せで明るい音楽家人生を送ったものかと思い込んでいた。ところが1950年代のマイルス・コンボ時代からヘロイン、コカインなどの薬物乱用で心身共にボロボロであったようだ。特に70年代後半からは、自らが原因を作ったとされる内縁の妻、エレインの自殺や肉親として、音楽の理解者として絆の深かった兄ハリーの自殺と2人の自殺が原因でエヴァンスの破滅志向がエスカレートしていったようである。

1980年9月11日。ニューヨークのライブハウス「フアッツ・チューズデイ」に出演。演奏中に激しい体調不良となるが主催者側の演奏中止要請を振り切ってしばらく演奏を続けた。しかしとうとう演奏できない状態となり、自宅に戻り親しい友人、知人によって看護されたが容体が悪化、市内の病院に搬送され同9月15日に死去した。享年51才。プレイヤーとしては円熟期、惜しまれる死であった。

このことを知ってから数多く残されたエヴァンスの名盤を聴いていくと、それまでとは違った「人」「顔」が浮かび上がってくる。リリックでエモーショナルな輝くようなピアノ・タッチの音と音の織り成す美しいタペストリーの陰にプレイヤーの繊細さや奥深さが見え隠れし、さらエヴァンスの精神的な苦悩のようなものまで感じ取ることができるのである。

冬の寒い間、しばらくは「エヴァンス熱」が続きそうである。

画像はトップがリヴァーサイド・レーベル時代の名盤『ポートレート・イン・ジャズ』のCDジャケット。下がその他の名盤ジャケットのうちから3枚。