4月10日、高野山の二日目。宿坊、大明王院で朝を迎えると太平洋岸を北上中の低気圧のため雨天である。今日は今回の登山の第一の目的である壇上伽藍内、金堂で行われる法会『大曼荼羅供』に参列する。
朝食を済ませると身支度を済ませカッパと傘をさしてまっすぐに壇上伽藍に向かった。金堂前にたどりつくと雨の中、大勢の人が入場を待つ列ができていた。入場には特別、資格や券などはいらないので一気に集まっているようすである。若い修行僧たちが人員整理に忙しそうだ。そして今回は開創1200年記念と東日本大震災の被災者慰霊祭も兼ね合わせている。毎年この日に執り行われる『大曼荼羅供』は高野山の諸法会の中で最も起源が古く、重要な法会に位置づけられるもので、弘法大師・空海自らが修法したと伝えられている。そしてこの日は僕の母親の5回目の祥月命日でもある。
堂内に入り来場者が順番に座っていくのだが動けないというほどでもない。9時30分。しばらくすると静寂な堂内にホラ貝やドラ、シンバル、太鼓の音が鳴り響き法会が始まった。すでに本尊の薬師如来を中心に左右に天井から金剛界、胎蔵界の大曼荼羅が掲げられ、中央の壇には導師の高僧が登っていてその周囲にはきらびやかな袈裟を着用した職衆がスタンバイしている。そして導師の修法が始まると職衆たちの声明が始まった。声明とは真言や経文に節をつけて唱えられる仏教儀式の古典音楽(声楽)だが、キリスト教のグレゴリア聖歌と類似点が比較されることが多い。高野山に限らず比叡山や東大寺のものも有名で、それぞれ少しずつ節回しが異なっている。のびやかなで澄み切った僧侶の声に聴きいっていると、はるかかなたの浄土世界や天界に引き込まれていくようでもある。そしてクライマックスは総勢30名ほどの参加僧侶による読経となる。二つの大曼荼羅の周囲をグルグルと歩きながら経典を唱えていく様は荘厳で迫力がある。神聖な儀式なので当然なのだが堂内の写真撮影などは関係者以外は禁止となっていて、画像でお見せできないのが残念である。
真言宗は古来から『曼荼羅宗』とも言われ、実はこの両界曼荼羅が本当の意味での本尊だということである。向って左が『金剛界曼荼羅』で1461の仏菩薩が描かれ、向かって右の『胎蔵界曼荼羅』には414の仏菩薩が描かれている。曼荼羅の説明をつづっていくとスペースが足りなくなるが、最近、書物で読んだ内容で印象に残っているものがあった。それは胎蔵界曼荼羅には仏菩薩以外にも実に多くのさまざまな世界が描かれている。仏の世界とは相反するような地獄や修羅、人間の地上世界。それから獣や鳥、魚などの生物たち。珍しいところでは西洋占星術の星座まで。つまりこの世界、宇宙の縮図を表しているのだとも伝えられている。そしてその思想には「宇宙生命のもとでは人間を含めたすべての生きとし生けるもの、物質世界までも平等であって差別されるものは何一つなく、全てが関係し合い結びついていて、始まりもなく終わりもない」という意味があるのだという。うーん、これって現代科学で言えば環境との共生を説くディープ・エコロジーや宇宙物理学とも重なっていくような世界観である。
つまり、僕の斜め前で法会に立ち会っている厚化粧の大阪のおばちゃん風の女性やその隣のフランス人ツーリストの仲睦まじいカップルも、お堂の外に出て周囲の山の樹木やその間を飛び交う鳥たち、足元の草花、石ころまでもが平等であり関係しあって成立しているということなんだなぁ…深くて大きい曼荼羅世界には優等生も落ちこぼれも存在しないということだ。
僧侶の読経が終了し、はじまりと同じような静寂さがもどったかと思っていると約二時間に及ぶ法会も無事終了した。なんとも言えない充足感。特別な信仰をしていたわけではないが、生前、神仏に対する熱い思いを持っていた母も喜んでいることだろう。今日はこの天気なので、町にもどって昼食をとってから寺院巡りを続けることにしよう。次回につづく。 画像はトップが法会が行われた金堂の正面。下が向って左から宿坊に咲いていた樹木の花。アプローチから見た壇上伽藍、金堂の裏手。