高野山、一人旅の第四回目は宿坊体験について。この連載、6回で完結する予定です。ブロガーのみなさん、それだけ濃い旅だったということで、もう少しお付き合いください。
『宿坊』とは、寺院が営む宿泊施設のこと。もともとは修行僧や信者のために便宜をはかってできたものである。高野山では宿坊がなかった中世以前には、山の中や御廟近くの灯篭堂前で野宿していたという。夏場ならばともかく寒い季節は山での野宿は、さぞたいへんだっただろうねぇ。現在、高野山には52ヵ寺の宿坊寺院がある。明治時代までは寺院と諸国大名の関係から地域(国)ごとに所縁坊が決まっていたという。
高野山内には一般の旅館もないではないが、この地にきたらやはり宿坊に泊まりたい。では、一般の旅館などとはどこがどう違うのだろうか。チェックイン、チェックアウトがあったり、個室にテレビがあったりする面ではなんら変わりはない。まず、ここでは和服姿の仲居さんなどはいない。ルームサービス、風呂の案内、食事の世話など全てを頭を丸めて作務衣を着た修行僧の方たちが行う。玄関をくぐって僧侶の方に丁寧に対応してもらうと「高野山に来たーっ!!」という実感がわくのである。思わず合掌なのである。
そして食事。一般料理と選択できる宿坊もあるが基本は精進料理である。肉や卵、魚介類を一切使わずに、野菜や豆、高野豆腐、海藻類のみで作られる料理である。一見、肉や魚に見えても海苔を揚げて衣を着せたりしてある。戒律により殺生、肉食が禁じられていた仏教において、修行僧へのお布施として生み出されたものである。精進料理イコール修行僧のための質素な料理という印象があるが、現在高野山で供される精進料理は、二の膳、坊によっては三の膳までがついた懐石料理といった豪華な雰囲気である。お酒は事前に注文すれば日本酒やビールを出してくれるが、ここでは昔から『般若湯(はんにゃとう)』と呼ばれ、弘法大師・空海が山中の厳しい冬に弟子たちに一杯だけ許していたということだ。ちなみに現代ではビールのことを隠語で『麦般若(むぎはんにゃ)』とも呼ぶらしい。
今回、新年正月過ぎぐらいに三泊四日で宿の予約をとったが、節目の年ということでどこも週末は満員御礼、一か所の連泊はできず、二か寺に泊まることとなった。一泊目は刈萱堂というところの近くの大明王院という宿坊。夕食の時間、大広間に入って驚いた。僕以外の宿泊客20名ぐらいが全員、外国人だった。少し離れたところにお膳がセットされているが基本、一緒に食べる。若いフランス人の男性が箸2本を掴みフォークのように使っている。僕がゆっくりと箸を使い始めると、みんなの視線がいっせいに僕の左手(ぎっちょ)に集中した。これにはこちらが緊張してしまい、つい模範的な箸の動きなどを意識してしまった。「みなさん欧米の方が多いので箸など使ったことはないんだねぇ」。後で知ったことだがこの坊の住職は英会話がペラペラなのであった。どうりで…。高野山は2004年に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録され、フランスの旅行ガイドミシュランで三ツ星となったことを契機に毎年外国人観光客がとても増えている。今回もフランス、アメリカ、スペイン、ドイツ、スウェーデン、中国、スリランカなどの旅行者と出会った。富士山、高尾山などと並び国際的な観光地となっている。
二泊目、三泊目は町の中心、千手院橋交差点の近くの高室院という宿坊。こちらは東京の寺院と関係の深い坊ということで東京、埼玉、千葉など関東方面からの宿泊者が多く外国人の姿はなかった。二泊目の夕食時、臨席した同じ千葉県から来たという夫妻と話しが盛り上がった。なんでも全国の国宝の仏像をもとめて2人で旅をしているのだという。運慶作の仏像の話では、ご主人と熱くなってしまい、気が付いたら広間には誰もいなくなっていた。こういう話は僕も好きなんだよねぇ。
最後にもう一つ、宿坊に泊まったら、ぜひ体験しておきたいのが朝の勤行である。多くの宿坊寺院では朝6時か7時から寺院内本堂において『朝勤行・あさごんぎょう』が行われる。義務ではなく自由参加だが僧侶による静粛な声明や読経の声の中に身を置き、御本尊にご焼香する。一時間弱の勤行の後は清浄な気持ちで一日を過ごすことができるのだ。まだまだ書き足りないのだが、スペースがいっぱいになってきた。続きは次回としよう。画像はトップが夕食の精進料理。下が二つ目の坊の精進料理(夕食)、大明王院の庭園、最終日、高室院前でのスナップ。