今年も東京の専門学校、A美術学院で『変容・Metamorphosis』という授業を4月から今月まで集中して担当した。内容は昨年と同じくイタリアのマニエリスムの画家、ジョゼッペ・アルチンボルトの変容表現をテキストに生物のシルエットの中に自然物を置き換えたり、いくつかの生物を構成、合体し新たな自分の変容生物を想像してもらうというもの。
こうした表現・イメージは現在、サブカルチャーなど、いたるところに氾濫しているので、学生さんたちの課題への反応や理解も早い。1クラス3日の授業だが、初日のガイダンスを終えると、スケッチブックに次々とアイディアを描いていく。早い人は一日目の午後には本画に着色を始めている。この美術学校に非常勤講師で呼ばれて7年目となる。最近の画学生の様子を観ているととても真面目である。出席率も良いし、講師への質問も多い。その点はいつも感心してしまう。それから女子の比率が高く元気がいいのも最近の傾向である。「世の男子は何に夢中になっているんだろうねぇ」
自分が学生だった頃を授業の合間に思い浮かべることがある。今から30数年前、とても自慢できたものではない。長い芸大の油絵科の受験に区切りをつけ、版画という世界に活路をみいだそうと当時、西東京にあった美術学校の版画科に入学した。当時この学校の版画科では「イメージ・ドローイング」に重点を置く指導をしていたのだが、長い間、受験絵画で現実のモノを描写することに慣れきってしまった頭では何を表現していいのかピンとこない。煮詰まった僕は一年間ぐらい学校の授業に真面目に出席せず、美術館や画廊を回って自分探しをしていたことを思い出す。ただ放課後に学生が自主的に開いていたコンパ(ようするに飲み会)には参加していた。一年生の一学期が終わる頃、あまり出席率が悪いので3人の専任教官に呼び出されて個人面談となったのだが、先生の一人に「長島、酒を飲んでから来てもいいから、授業に出席してくれよ…」とまで言わせてしまったのを、その面談の部屋の状況と共によく憶えている。
ともあれ、今年も一年生の4クラス、100人強の瑞々しい変容生物が生まれた。この手法で一枚の作品を描いたことを手と眼でしっかりと記憶し、どこかで思い出してほしい。アート、デザイン、アニメ、映像、コマーシャル等、さまざまなジャンルのどこかできっと応用できるはずである。画像はトップが美術学校の中庭。下がアルチンボルト作「フローラ」の部分、教室の風景、同時期に開講していた「環境と表現」という授業の実習風景。