先日、私達家族のことブログに書きました。
その後、"元”若者のドラマーさんよりのコメントを
妻が見て、共感できるね。って話をし、子供について
色々話し合う中で、次男の入院中の話になりました。
妻は、時間のある限り朝から晩までNICUで子供に
つきっきりで自分の時間もつくらず、身体の弱い妻が
風邪もひかず1年近く過ごす中で、
隣の赤ちゃんのご両親は一度も見たことがないので
不思議に思っていました。
一度、赤ちゃんの容態が悪化したのでご両親に連絡をとり
病棟にきていただいたらしいです。
その時に、ご両親は「これぐらい」のことで連絡をしてこないで下さい。
と言ったらしいです。
そして、「この子が亡くなったら連絡をしてください。」
と言って帰られたらしいです。
ある日、妻がいつものように病棟に行ったとき、
隣の赤ちゃんの姿はありませんでした。
そのご両親は、娘さんとその赤ちゃんの4人家族のようでしたが、
赤ちゃんが生まれた時点から、親としてせねばならぬこと、
その前に、人間としてせねばならぬことを「”放棄”」
していました。
この世に、生を受け両親に愛情をもって育ててもらうのが
当たり前なのに、「いっぱい」「いっぱい」愛情を受けなければ
ならないのに、小さないのちを血をわけた親が「”放棄”」
したのです。
その当時、病棟で担当の看護師さんから聴いて一緒に涙ぐみました。
病院のスタッフの方は、「小さないのち」なので休むまもなく
必死で赤ちゃんに愛情をふりそそいでいるのに。
私の次男にも母親が2人います。
1人は、私の妻です。
そして、もう1人は、病院のお母さん(担当の看護師さん)です。
彼女の年齢は、妻とかわりなく家族でお世話になりました。
そして、わが子にいっぱいの「愛情」をかけてくれました。
我妻も、彼女を「病院のお母さん」として心より信頼し色んな相談を
聴いてもらいました。
私達家族、年に数回病院へ同じような境遇の方の心の「ともし火」
になればと飾り付けにお伺いします。
その時、「病院のお母さん」と出会うのを楽しみに出かけます。
3男には、彼女の名前の1文字をいただき命名しました。
3男にも名前の件は説明し理解してもらっています。
今でも、お世話になった病院へ行くと落ち着きます。なんだか我が家に
帰ったような気分になります。
いろんな事情から「小さないのち」に対する親の接し方が違うのかも
知れませんが、あまりにも身勝手な接し方や、人の道を外れた行いは
なくさねばなりません。
「小さないのち」は、親にぜんぷくの信頼を寄せているのだから。
その後、"元”若者のドラマーさんよりのコメントを
妻が見て、共感できるね。って話をし、子供について
色々話し合う中で、次男の入院中の話になりました。
妻は、時間のある限り朝から晩までNICUで子供に
つきっきりで自分の時間もつくらず、身体の弱い妻が
風邪もひかず1年近く過ごす中で、
隣の赤ちゃんのご両親は一度も見たことがないので
不思議に思っていました。
一度、赤ちゃんの容態が悪化したのでご両親に連絡をとり
病棟にきていただいたらしいです。
その時に、ご両親は「これぐらい」のことで連絡をしてこないで下さい。
と言ったらしいです。
そして、「この子が亡くなったら連絡をしてください。」
と言って帰られたらしいです。
ある日、妻がいつものように病棟に行ったとき、
隣の赤ちゃんの姿はありませんでした。
そのご両親は、娘さんとその赤ちゃんの4人家族のようでしたが、
赤ちゃんが生まれた時点から、親としてせねばならぬこと、
その前に、人間としてせねばならぬことを「”放棄”」
していました。
この世に、生を受け両親に愛情をもって育ててもらうのが
当たり前なのに、「いっぱい」「いっぱい」愛情を受けなければ
ならないのに、小さないのちを血をわけた親が「”放棄”」
したのです。
その当時、病棟で担当の看護師さんから聴いて一緒に涙ぐみました。
病院のスタッフの方は、「小さないのち」なので休むまもなく
必死で赤ちゃんに愛情をふりそそいでいるのに。
私の次男にも母親が2人います。
1人は、私の妻です。
そして、もう1人は、病院のお母さん(担当の看護師さん)です。
彼女の年齢は、妻とかわりなく家族でお世話になりました。
そして、わが子にいっぱいの「愛情」をかけてくれました。
我妻も、彼女を「病院のお母さん」として心より信頼し色んな相談を
聴いてもらいました。
私達家族、年に数回病院へ同じような境遇の方の心の「ともし火」
になればと飾り付けにお伺いします。
その時、「病院のお母さん」と出会うのを楽しみに出かけます。
3男には、彼女の名前の1文字をいただき命名しました。
3男にも名前の件は説明し理解してもらっています。
今でも、お世話になった病院へ行くと落ち着きます。なんだか我が家に
帰ったような気分になります。
いろんな事情から「小さないのち」に対する親の接し方が違うのかも
知れませんが、あまりにも身勝手な接し方や、人の道を外れた行いは
なくさねばなりません。
「小さないのち」は、親にぜんぷくの信頼を寄せているのだから。