日記で~す。
息子自慢!!
その四、 次男が亡くなってから間もなく15年。生まれてからNICUの保育器で一年間お世話に
なり誕生を迎える数日前に亡くなった。家内は30キロ程離れた病院へ毎日通った。僕も当時4歳の長男をつれて可能な限り出会いに行った。長男は子どもなのでNICUに入ることは出来なかったがガラス越しに何時も次男と話をしていた。次男も長男の気配を感じると振り向いて見てくれた。その時に兄弟の絆の深さに驚いた。今も私達家族の中心には次男がいて、更に深い絆が結ばれているように思う。
ある時、私のプロフィールを書いた時に、子ども3人と書いたら「4人やろ?」と言われ、それからは、4人と書いている。素直な子ども達に囲まれて私達夫婦は幸せである。
神戸市中央市民病院まで何回通ったかな・・・
当時、本当に周りの方々にお世話になりました。
大変だったのだけど、当時のことをどうしても思い出せません。
色んな経験をされたことと思います。
大変だったでしょうね。
辛かったでしょうね。
人それぞれに、過去の記憶に対する対処の方法が本能的に働くんだろうと思います。
うちは、西神医療センターで出産しましたが、そこから中央市民に搬送されました。
そこでの記憶は今でも鮮明に覚えており、下の息子の出産についても家内と相談もしました。
次男が転院して、看護婦さんも献身的に尽くしていただき、最後の時には、正面玄関からを希望すると快く承諾して頂いた上、先生方、看護婦さんに見送られて病院を後にしたのを覚えています。
家内が亡くなった次男を抱いて病院を出て、車の中でも大事に抱いて。信じれなかった。辛かった。
今まで親子4人で寝たことが無かったので、その日、自宅に帰ってから仏壇の前で私と家内が両端に、その間に長男と次男を挟んで寝たのを鮮明に思い出します。夏の暑い日でした。
それからは、お世話になった方々や同じ思いをされている方々に少しでも安らぎをと思い、
毎年、家族で7階のNICUの外部通路側に七夕やクリスマスの飾り付けをこちらからお願いしてさせていただいていました。
今は、病院も新築されその様なことは出来ませんが、以前は病院に行くのが息子に会いにいけるような気持ちで行っていました。
お世話になってから今も看護婦さんと家族でお付き合いをさせていただいています。そのとき4歳で精一杯我慢していた長男も今年19歳。年月の経つのは早いものです。
次男を知らない子ども達も私達の記憶を共有してくれています。家内のおかげだと思っています。
あの時は、一人になるのがとても辛かったことを思い出します。
一人になると涙が止まらなくて。
千春や小田さんの歌を口ずさみながら、涙して心を静めようとしたり・・・。辛かった。
私以上に家内が辛かったと思います。今も。
そして、幼いながらに長男も。
時間が経つと思い出に変わりますが、私達の心の中では時間はあの時のままです。
親より先に子が逝く辛さは・・・。
しかし、その子から様々なことを教わりました。今も教わり続けています。
そして、私達家族をしっかりと繋いでくれています。
私達家族は次男のことをどこでも伝えるようにしています。それは、次男がこの世に存在した証しとして。
播州うさぎ堂さま、有難うございました。