真田幸村ゆかりの三光神社界隈の後 てくてくと大阪城方向 北へ向かい 卒業した
玉造小学校を目指して約10分ほど 玉造稲荷神社到着 ここも久しぶり
境内は見違えるほど 綺麗になってました・・・・何年も来ていないなぁ
神社の紀元を玉造稲荷神社HPより引用させていただきました(ありがとうございます)
垂任天皇18年(紀元前12年)の秋に創祀された古社。
聖徳太子が物部守屋と争われた際に戦勝祈願をされたと伝えられ、
豊臣・徳川時代には大坂城の鎮守神として崇められた。
同神社は大坂城三の丸に位置し、豊臣秀頼公奉納の石鳥居が現在
でも保存されている。
江戸時代にはお蔭参りの旅客らが旅の道中安全を祈願し、稲荷社十
五社巡では大坂の御本社として、また大坂三十三所観音巡りでは
十番札所として玉造稲荷の名が記されている。
場所は大阪市内の高台(上町大地の北、大阪城の南およそ1kmくらいの場所に
位置してます。
当時は、この地から天守閣がよく見えたのではと思います。
現在では すぐ北側に隣接する玉造小学校、高層マンション 大型スーパー、
高速道路(東大阪線)などに遮られ まったく見えないところです。
参道 右前方の道路は下り坂となっており 平地より20mくらい高い場所です。
昔の絵によると こんな記録もあるそうです。
名称が豊津稲荷社となってます。
本殿
なで子持曲石(上面)
この石をさすると子の悩みがよくなるとか つやつやしてました。
恋キツネ 変わった絵馬が使われてます
豊臣秀頼公の銅像
左側には 昭和61年に開館された 難波・玉造資料館がありました これも知らなかった・・・・ということは、もう30年も来ていないことになりますね、・・・・・
豊臣秀頼奉納の石鳥居
1995年(平成7年)1月17日に 発生した兵庫県南部地震により 倒壊し上部だけが保存さてます。
境内末社も祭ってあります
厳島神社
万慶稲荷神社
傍らのキツネ石造
何に化けようかな・・・・木の葉が・・・・・・上の木が垂れ下り
大阪城の広さがわかる地図
一番外の太い黒線が から堀で、赤い矢印部分が玉造稲荷神社の場所です
玉造稲荷神社には 歴史資料館を見たいところですが 予約が必要なので チャンスを作り見たいところです・・・・いつになるかな?
HPは http://www.inari.or.jp/です 参考までに
最後までご覧いただきありがとうございます。