薬師寺伽藍内を北へ向かうと 500m先には唐招提寺が有るのですが ちょっと歩き疲れているもので
手前の玄奨三蔵院を訪ねてみました
平成3年(1991年)に新築されていました
中国の唐時代(602年~664年)の僧侶で多数の経典を持ち帰り訳経を行い法相宗の開祖だそうです
国内の大本山が 興福寺と薬師寺になるとか
昭和17年(1,942年)に南京で ご頂骨が発見され 全日本仏教会に分骨 更に昭和56年(1981年)
さいたま市慈恩院から遺徳顕彰のため分骨されたことから 玄奨三蔵院伽藍が建立され安置されているそうです
インドで経典を入手するまでは中国に戻らないとの覚悟があったそうで そのことから「不東」
東、すなわち中国へ戻らないの意で 故・高田好胤和上の染筆で「不東」が玄奘塔に掲げられてました
不東の意味が判らないものでwebでアチコチ歩き回り なんとなくわかってきました
玄奘塔
撮影2010/11/19分 この時は撮影禁止だったかなぁ?
南側の門を通過すると
色んな案内が
伽藍正面
左手へ回り 伽藍内へ 受付の方に拝観券を見せると どうぞ 撮影禁止を言われる(-_-;)
じっくり目に焼き付け退出
菩提樹が
南方面を眺めると
薬師寺の東塔と西塔が
伽藍前の石塔が綺麗な彫刻が施されていたもので 架空の動物 竜でしょうか
下部には
きめ細かい綺麗な彫刻でした
2010/11/19訪問時の画像
調べてみるといろいろ分かったところですが すぐに忘れるでしょうね(-_-;)
ご覧いただきありがとうございます。
薬師寺その他編へ続く予定です
寺院建築には大手ゼネコンも力を入れているところもありますよね
平城京朱雀門・大極殿・南門などは大手ゼネラルだったと思います。
美しい建築物は眺めて居ると癒されます たまには出かけたいところです、
今朝は少し体調回復したかなぁ~少し、頭が重い・・・・(-_-;)
抜歯後、安静をしなかったの原因かも?
単なる技術面ではなく精神的な面の伝承は不可能に思えます。
カタチからそれを感じ取れるのは日本人のDNAに頼るしかないですね。