akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

酒田東高東京亀城会同窓会

2007-06-16 | 活弁
母校、酒田東高の東京亀城会同窓会。
卒業したばかりの18才から80才までの卒業生が集う年に一度の会でした。

今年はアトラクションとして、私の活弁ライブをということになり、『血煙高田馬場』(昭和3年)と『大学は出たけれど』(昭和4年)を語らせていただきました。
『大学は出たけれど』の活弁台本は、今回のための特別バージョン。東京で苦労し成功してきた先輩たちには懐かしさと敬意を、大学に入ったばかりの後輩たちには励ましを送るつもりでー
酒田中学校(現酒田東高)を卒業して上京し、大学を出た(けれど就職できない)主人公の物語に。野本徹夫(高田稔)も、許嫁町子(田中絹代)も、上京してくる母親も、庄内弁で、会社での面接シーンなどは、少し訛りの抜けきらない共通語にしてみました。
もう普段は使わないような方言もあえて使ってみましたが、皆さんよく笑って下さっていたので、ほっとしました。

大河内伝次郎、田中絹代、飯田蝶子らの登場に、すぐに反応して下さるのは古参の大先輩たち。旧制酒田中学校の最後の卒業生である東京亀城会の会長さんは、『血煙高田馬場』を、小学校の頃、酒田の映画館で父親と一緒にご覧になった記憶が蘇ったと仰っていました。
皆さんに楽しんでいただけて何よりでしたし、こうした機会を与えていただいたことに感謝しています。

終了後は、同期や後輩たちと「『大学は出たけれど』に出ていた公園だよの~」などと日比谷公園を歩き、松本楼、銀座で杯を交わして帰りました。
コメント (2)
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