今年の夏岩波ホールで公開になるドキュメンタリー映画「花はどこへいった」。特別上映会&トークショーがあり、観せていただいた。
題名のとおり、ベトナム戦争の反戦映画。
ベトナム戦争で米軍兵として従軍しその後フォトジャーナリストとして活躍したグレッグ・デイビス。その夫グレッグを2003年に失った坂田雅子監督が、夫の死と従軍中に浴びた枯葉剤の関係について知ろうとベトナムを訪れて撮った作品である。生前の夫の写真、映像とともに、従軍していた米兵たちのその後や、戦争後、現在のベトナムの姿を描いている。
そこに映し出されているのは、人間によるかつてない高濃度ダイオキシンの散布によって、汚染された大地と、先天的に奇形に生まれた多くの人々。
ベトちゃんドクちゃんのニュースなどで枯葉剤の影響については小学校時代から「怖い」と思ってきたが、ああした奇形児の多さと、人体に及ぼした影響の大きさに愕然とする。祖父祖母の世代が枯葉剤を浴びたのに、娘、息子世代だけでなく、孫の世代に負の遺産は引き継がれ、複数の奇形児、障害児を抱えた家族は、貧しく治療費も払えない上に世話に多くの時間を割かれ、二重三重の苦労である。そんな中で、運命を受け入れるかのように明るく生きる人々の姿に「生きる」ということを問い直される気がする。
枯葉剤を浴びた元米兵たちも、病に倒れ次々に亡くなっている。「次は自分かも」という思いを抱きながら、ベトナムの地で障害児の福祉施設を運営する一人の男性がいる。彼はアメリカに帰還した後、普通に生活を営むことができず、誰とも関わりたくなくてアラスカの隣家まで何十マイルという土地で30年という日々を、たった一人で生きた。50才半ばで自分は鬱病だったのだと気付き、アメリカに戻ってセラピーを受け、「向き合わなければ」とベトナムに行くことを決意する。
最初の日、ベトナム人に声をかけられた。「どこから来た」「アメリカから」「初めて?」「いや…、ベトナム戦争の時に米軍兵として」反応が怖くてどきどきした彼に、そのベトナム人は言ったという。「じゃあ、敵じゃないか!」そして、「ようこそ!」と彼をぎゅっと抱きしめた。
戦争は、終わっていない。彼らは闘い続けている。不自由な身体と傷付いた精神を抱えて、ある人は補償を求めて訴訟を起こし、ある人は毎日の生活苦と、ある人は加害者としての罪の意識と、みんな自分の限界や運命と闘い続ける。
地球は一つの生命体。人間はその細胞の一つに過ぎず、すべて繋がっている。その一部の細胞が自分の一部を傷つけ、滅ぼそうとする行為は、とても悲しく愚かしい。地球温暖化による人類滅亡の危機が現実的になってきたが、戦争も環境破壊も自己利益追求と命の軽視がもたらした人類の大きな過ちだ。
この作品は、そう警鐘を鳴らし、平和や生命尊重への祈りを唱えている。
今回は、多忙でお疲れのところ申し訳ないと思いつつ、某企業の社長さんをお連れした。学生時代、ベ平連で熱心に反戦運動をやっていて「花はどこへ行った」はよく聴き歌った歌だという。帰りしな「ベトナム戦争はもうすっかり過去の終わったものだと思っていたのに、頭を殴られたようだ」と仰った。この夏、今日本経済の第一線で活躍しているそうした世代の方々が、若い人たちと一緒に観て下さるといいなと思った。
題名のとおり、ベトナム戦争の反戦映画。
ベトナム戦争で米軍兵として従軍しその後フォトジャーナリストとして活躍したグレッグ・デイビス。その夫グレッグを2003年に失った坂田雅子監督が、夫の死と従軍中に浴びた枯葉剤の関係について知ろうとベトナムを訪れて撮った作品である。生前の夫の写真、映像とともに、従軍していた米兵たちのその後や、戦争後、現在のベトナムの姿を描いている。
そこに映し出されているのは、人間によるかつてない高濃度ダイオキシンの散布によって、汚染された大地と、先天的に奇形に生まれた多くの人々。
ベトちゃんドクちゃんのニュースなどで枯葉剤の影響については小学校時代から「怖い」と思ってきたが、ああした奇形児の多さと、人体に及ぼした影響の大きさに愕然とする。祖父祖母の世代が枯葉剤を浴びたのに、娘、息子世代だけでなく、孫の世代に負の遺産は引き継がれ、複数の奇形児、障害児を抱えた家族は、貧しく治療費も払えない上に世話に多くの時間を割かれ、二重三重の苦労である。そんな中で、運命を受け入れるかのように明るく生きる人々の姿に「生きる」ということを問い直される気がする。
枯葉剤を浴びた元米兵たちも、病に倒れ次々に亡くなっている。「次は自分かも」という思いを抱きながら、ベトナムの地で障害児の福祉施設を運営する一人の男性がいる。彼はアメリカに帰還した後、普通に生活を営むことができず、誰とも関わりたくなくてアラスカの隣家まで何十マイルという土地で30年という日々を、たった一人で生きた。50才半ばで自分は鬱病だったのだと気付き、アメリカに戻ってセラピーを受け、「向き合わなければ」とベトナムに行くことを決意する。
最初の日、ベトナム人に声をかけられた。「どこから来た」「アメリカから」「初めて?」「いや…、ベトナム戦争の時に米軍兵として」反応が怖くてどきどきした彼に、そのベトナム人は言ったという。「じゃあ、敵じゃないか!」そして、「ようこそ!」と彼をぎゅっと抱きしめた。
戦争は、終わっていない。彼らは闘い続けている。不自由な身体と傷付いた精神を抱えて、ある人は補償を求めて訴訟を起こし、ある人は毎日の生活苦と、ある人は加害者としての罪の意識と、みんな自分の限界や運命と闘い続ける。
地球は一つの生命体。人間はその細胞の一つに過ぎず、すべて繋がっている。その一部の細胞が自分の一部を傷つけ、滅ぼそうとする行為は、とても悲しく愚かしい。地球温暖化による人類滅亡の危機が現実的になってきたが、戦争も環境破壊も自己利益追求と命の軽視がもたらした人類の大きな過ちだ。
この作品は、そう警鐘を鳴らし、平和や生命尊重への祈りを唱えている。
今回は、多忙でお疲れのところ申し訳ないと思いつつ、某企業の社長さんをお連れした。学生時代、ベ平連で熱心に反戦運動をやっていて「花はどこへ行った」はよく聴き歌った歌だという。帰りしな「ベトナム戦争はもうすっかり過去の終わったものだと思っていたのに、頭を殴られたようだ」と仰った。この夏、今日本経済の第一線で活躍しているそうした世代の方々が、若い人たちと一緒に観て下さるといいなと思った。