鎌倉と言うと、神社仏閣を巡ることが多かった。でもよく考えると源頼朝以降、鎌倉に150年間も幕府があったのに、今の鶴岡八幡宮と鎌倉駅の間に有ったはずの幕府の史跡は見たことがない。都のあった奈良や京都には色々残っているのに、もっと年代が後の鎌倉になぜ残っていないのか?戦乱は一つの原因だが、もう一つ津波できれいさっぱりなくなったのも原因なのかもしれない。
ボランティアで観光案内をしている体操教室のOさんにお願いして、晩秋の鎌倉で源氏、北条の夢の跡を巡ってみた。
鎌倉駅に集まったのは15人、私を含めて、皆ひまな!おじさん達だ。
人通りの多い小町通りを避けて、、
新装なった段葛に。これは今も残る鎌倉幕府の遺産ですね。
八幡宮では倒れた銀杏の古株から、新しい芽がでているようだ。
なんか今年の紅葉はいまいちのよう。
さて、ここからは行ったことの無い場所へ。源頼朝時代の幕府があったと推定される八幡宮の東側、清泉小学校の横を山側に一直線で源頼朝の墓へ。
それほど大きくないし、墓もあまり古くない感じ。実は源氏の末裔を自称する?島津家が江戸時代に整備した墓なのだそうだ。
続いて、ここから100mほど東にある北条義時を祭った法華堂跡へ。何も無い! でそこを少し登ると北条義時と大江広元の墓がある。実はこれも北条の血を引くと自称した?毛利家が整備したらしい。
山を下り、北条氏の館跡の宝戒寺へ、さらに東山に登り、新田義貞に攻められた鎌倉幕府/北条執権数百人が自決した腹切やぐらへ。
この後、若宮幕府があったと推定される場所に来るも、なにも痕跡はないので、当然写真もない。
と、こう見てくると、武士の残したものは鎌倉にはほとんど残っていなことに気が付かされた。
秋の好天に恵まれ1万3千歩を歩いた半日だった。