逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



洗馬宿の近代史に関連する記事が最近市民タイムスに掲載された。著作権ウンヌンの問題は承知しながら、デジタルアーカイブとして、この記事を残しておかないと、どこかに埋もれてしまうことを恐れ、本ブログに収録しておく。(ゴメン、市民タイムスさん許して!)





新聞記事やそこに引用されている塩尻市誌にも記されていないし、レゾナックのHPにも言及されていないが、塩尻駅前に工場を構えている昭和電工⇒レゾナック塩尻工場は、1911年、この洗馬産の石灰岩と梓川水系の水力発電所(島々発電所や赤松発電所)の電力を使い、2000℃の高温に達する炭素電極電気炉でカーバイドを塩尻工場で生産した。カーバイドは水を加えればアセチレンガスを発生できるので、民生用として一昔前は夜店の照明などによく使われたが、大量に使われる産業用には、その強力な反応力を生かして、色々な化学物質の原料として便利に使われた。だが、洗馬産の石灰岩は生産量も少なく、純度もあまり高くなかった為、高度成長期には、その生産を終えた。

洗馬宿の歴史の一端を歴史に残す為、記事中の酒井さんと近日中に連絡を取り、暖かくなったら見学会などを組織できれば良いなと考えている。

-----------------------------
注記:
①私は石灰石の採掘場所は床尾だと思っていた。と言うのは、1965年の台風6号で石灰石採取の残余物=ズリが積みあがったものが崩れ、床尾で画家が死亡している災害があったからである。ところが、この記事で主要な採掘場所は洗馬の大怒田上流であることが分かった。
②平出の泉近くにある石灰岩の露頭は、私は鍾乳洞の陥没したものかとも思っていたのだが、記事によれば江戸時代の石灰岩採掘跡らしい。
③桔梗ヶ原ではブドウ栽培が盛んで最近は城戸ワインなどプレミアムの付くワインが生産されている。ひょっとして、石灰岩を含む土壌が鳴雷山から流れ出し、そのテロワールがワイン用ブドウの生産に大きな影響を与えているのではないか?
④近くの御手洗神社の石段がすべて石灰岩であり、どうしたわけかと思っていたが、同じ大怒田の数百mしか離れていない場所なので、良質でない石灰岩⇒石段としては利用価値ある廃材を使ったものでありそうだ。


⑤以下に1931年の地図と           2001年の地図を示す。
1931年地図には工場、住居と思われる個所あり。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




夜の寒い時間帯、気温は零下だけれど、1/25㈯一日限りのイベント、「平出遺跡を彩る光の旅」を覗いてきた。


遺跡公園全体に点灯した灯篭が飾られている。この寒さにも関わらず、観客は数十人は居そう、思ったより若い人や家族連れが多い。


竪穴式住居の屋根を利用したプロジェクション。


しかし、厚着をしてきたのだが、ご老体には寒さがきつ過ぎる。


20分ほどぶらついただけで、撤退してきた。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1/24㈮、スナップエンドウの種まきをしようと、用土作りのために篩っておいた土を使おうとしたら、凍っていて表面しか使えない。


しばらく日向で溶かして、籾殻を混ぜて、用土を作り、育苗ポット16個に種まき。


暖地では去年撒いた種が大きく育ち、もう花が咲いているらしいが、ここ信州ではまだ土が凍っているような気温だ。屋外では発芽温度を確保できず、種まきの時期ではないのだが、サンルーム内の自家製育苗保温箱の設定温度を15℃~20℃に設定し、


なんとか発芽させ、2月一杯はサンルームの中で育てて、春先に畑に植える予定。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「頭痛を知ろう~危険な頭痛、治せる頭痛」という講座を宗賀公民館で聴いてきた。


まず、一次性頭痛=治せる頭痛=偏頭痛や緊張型頭痛などの頭痛の原因がまだ完全には分かっていない頭痛に関して。
偏頭痛はそのメカニズムが解明されつつあり、脳の硬膜下にあり、顔や目、冷熱感を伝える三叉神経からストレスなどによりCGRP(ペプチドの一種)が放出され、中枢神経に痛みの信号が伝達される。近年CGRP関連抗体薬が開発され、偏頭痛を抑えられるようになってきた。この為、一次性頭痛は治せる頭痛になりつつある。

問題は二次性頭痛=危険な頭痛=他の病気に関連して発生する頭痛だ。いわゆる脳卒中がその大部分であるが、他にも脳腫瘍や髄膜炎なども原因となることがある。

脳卒中は大きく分けて、3類型。①脳梗塞 ②脳出血 ③くも膜下出血である。


脳卒中を予防するために、脳ドック、MRIによって脳の状態を知っておくことが大事。そして、脳卒中が疑われた時には躊躇せず救急車を呼び、専門医に見てもらうことが一番とのこと。


数年前、朝起きたら目がぐるぐる回り、吐き気がして、冷や汗が出た時、脳卒中を疑い、救急車を呼んだのは、一応正しい対処方法であったことを確認できた。もっとも検査結果は耳石による症状で、一安心したのだが、今後も類似の症状が出たら、躊躇せず救急搬送をお願いしよう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1/20㈪大寒の日と言うのに気温は8℃、2月末の気温だ。せっかくの好天、高温なので庭の梅の木の剪定を行う。まずは小梅から、


続いて南高梅の方も頑張ってやる。高所作業にならないように、高枝刈りを使って地上から切り落とす。


まだ、もう少し剪定した方がよさそうだが、もう疲れたので、おしまいに。切り落とした枝の処理が面倒くさいな。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




昨日言成地蔵尊に絵馬を奉納したのは、江戸時代にはこの地蔵尊参拝が盛んで、大層賑わっていたことを知ったからだ。
去年から始めた月一回の古文書読解講座、先日学習用に渡されたのが、下図の洗馬宿脇本陣志村家文書136号。


初心者の私にはほとんど読みこなせないのだが、先生や長く学習した人たちが読み下したのが、下図の文章である。


お役所筋の?山本与五郎から問屋の志村勘之丞宛に出された指示であるらしい。新福寺の言成地蔵尊の御開帳の際は、見世物や芝居はダメだが、渡り鳥稼業の営業や覗きからくりに関しては許可してやるので、心得違いのないよう興行せよとの指示かと思われる。

洗馬宿に関する史料のアーカイブとして、ブログに登録しておく。
はてさて、こんな文章を読めるようになるのは一体いつの事か?少なくともイタリア語やスペイン語よりは難しそうだ。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




都会の神社仏閣と違い参拝客の少ない地元の神社仏閣にはおみくじや絵馬の販売所は無い。かって一日に数百人の参拝客が居たという我が洗馬宿の言成地蔵尊とて例外ではない。そこで、自分のお願いを聞いていただくべく、絵馬の板を作ることにした。手元にあった表面の荒れた杉板にカンナを掛け、サンダーで磨いて、


家型に丸鋸で切断して、


絵馬の素板が完成した。


表に絵馬を描き、裏に願い事を書き、



参拝した方に、残りの絵馬板に、願い事を書いて、地元の神社仏閣を盛り上げてもらうべく、掲示用の板を作り、


言成地蔵尊と神明宮に奉納してきた。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1/16㈭のオンベ巡り。地区としてはほぼ一体で細い川に隔てられているだけなのだが、江戸時代から別の行政区分だった、塩尻と松本の内田。でも習俗は同じなので、細い川を渡ると、荒井のオンベにぶち当たる。


今日は遠くまでよく見える。50km離れた爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳を背景に。


常念岳、大天井岳、


荒井のオンベを後に、法船寺の駐車場で一休み。よく見ると、この位置から穂高岳と槍ヶ岳が見えるよ。


少し下って花見の交差点へ。幼稚園児がオンベ見物を終えた所。


解説役をやっていた近所の方と談笑。ここは1/14に立てたとのこと。


ご近所で協力して、来年も立ててくださいとお話した後、横山へ。


ココはちょうど丘の上で風が強いので、毎年オンベが歪んでいる。周囲には吹き飛ばされた御幣や稲花。風に負けずに、頑張ってほしい。


今年も小正月に立てられる東山山麓、内田のオンベ、合計7本を見ることができた。来年はさらに復活するオンベが増えることを願って、自宅へと帰ったのであった。
走ったのはこんなコース30km。獲得標高は300m位だろうか?



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1/16㈭、午前中の老人体操教室を終わって疲れているが、無風、快晴なので、小正月に立てられる東山山麓、内田地区のおんべ見物に出発。
南原のオンベ、山麓線の南内田立石の信号を曲がったら正面にあるオンベなので、通りがかれば、否応なしに目に飛び込んでくる。


少し短くなったとは言え、良いね。

カラフルな稲花がたっぷり付いている。


久保在家には今年もなし。


もう柱も捨てたという中村を経由して、山ノ神へ。支柱に残る榊、道祖神前の御幣と復活に期待したいですね。


例年見られる立小路のオンベへ。


真っ白な常念岳を背景にすくっと立っている。


後には鉢伏山と美ヶ原



一度東山山麓線に下って、一応赤津をチェックしようとやってきたら、ありましたよオンベ。


コロナで中断していて、最後に見たのは2020年だから5年振りだよ。やぁ嬉しい、ウレシイ。通りかかったオバサンに話を聞いたら、再開はそれなりに大変だったらしい。



県道沿いの目立つ場所にあり、しかも松本平一望のロケーション。5年振りの復活おめでとう。


もう一度、県道から山方向に登り、原村へ。穂高、常念岳を正面に見据えている。


斜め正面、松本の市街地の向こうには遠く後立山連峰も見える。


コロナの間は何本かのオンベ立てが休止していたが、少しづつ復活してて嬉しい限り。晴れ渡った松本平を見下ろす位置に数日間姿を現してくれると、新年になったなぁとおもわせてくれるのである。
回ったのはこんなコース。松本市側の内田のオンベはまた明日記事UPの予定。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1/11㈯のオンベ巡り、お昼ご飯の後は、堀金の田尻のオンベへ。ここは2020年に偶然出会った以降、一度もお目に掛かれていない場所。やはり、もうおんべはやらないのか、御柱は埃だらけで放置状態のようだ。


堀金から少し北に戻って、豊科、新田へ。



2日後に倒すようだ。


街中の国道に面した場所なので、写真撮影が難しい。


国道147号を少し南に下り、成相の町では来週の飴市に向けて、飾り付けの準備中。


その成相のオンベ。


ここも街中なので、家や電柱が邪魔をして、北アルプスとのツーショットはなかなか難しい。


豊科から一日市場へ向かう途中で、半分凍結した拾ヶ堰を越える。


一日市場の下町のオンベ、先週は無かったのだが、もう数日経っているみたいだ。


ここの建てたばかりでフレッシュなオンベも見てみたいものだ。


先週見た土村のオンベはもう10日も経っているので、御幣はほとんど風に飛ばされている。


以前、うまい事建てるところにお邪魔して、お神酒まで頂いた上町のオンベ地点。アチャー、建っていないよ。去年はあったのに、どうしたんだろう。


三郷の西村のオンベ。カインズホームが近くにできて、田舎のつながりがうすれてきたのか、やっぱりやっていない。2020年に見たのが最後だった。


最後は三郷横沢田中のオンベ。


あれぇ、今年もお会いできました。2020年に親切にオンベの場所を教えてくれたY田さん。今日は気温は数度だけれど、日差しが暖かく、風も無いので絶好の写生日和。


年に一度、会うか会えないかのY田さんともお話できて、上機嫌で帰宅の途に。梓川の河岸段丘横にも三九郎の準備中。


そして、波田の畑作地帯に来れば、遠く山形村のあたりから立ち上る数本の煙。あのうちの幾つかは、まだ時間も早い三九郎の煙かもしれない。


と1/11㈯にオンベ参りで走ったのはこんな80km、獲得標高480m、電池残2/6。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1/11㈯、朝8時、零下5度だが、空は晴れている。今日も正月第二週に立てられたオンベを求めて走り出した。途中小休止しただけで、2時間弱で一気に、烏川の扇状地、穂高の柏原へ。


常念岳を背景に、道祖神横に今年も立っている巾上のオンベ。


真っ白な山を背景に、映えるオンベだね。


セルフィーを一枚撮って、


裏側からも一枚、東山を望んで立っているおんべ。


塚原ではオンベの脇で三九郎の準備中。



斜めの横棒は竹ではなく、桑の枝か?


三九郎準備中の方に伺うと、後1時間ほどで点火するのだとか。大人の事情(消防車手配!)の為、昼前の点火とはずいぶん早いのだけれど、そこまで見ている余裕は無いので、次のオンベに向かう。


倉平のオンベは俵が3つも付いたもの。


こちらの斜め横棒は竹だった。同じく、三九郎も準備完了。


そろそろお昼の時間なので、堀金方向に戻る途中で見かけた三九郎。常念岳を背景に達磨の赤と松の緑はクリスマスツリーみたいな配色だ。


昼ご飯後の後半はまた明日の記事UPで。今日は走ったのは、こんなコースの前半。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




市民タイムスの分厚い元旦号を覗いていたら、気になる広告記事を見つけた。


まだ小学校の低学年だった頃、叔母が婦長を務めていたので、皮膚病の治療で通った丸の内病院の記事だ。温泉街にあった我が家から頻繁に出ていたバスに一人で乗り、松本城の前にあった病院に数回通っていた。その病院の沿革を見ると、

  • 1944年 - 石川島芝浦タービン松本工場診療所として開院
  • 1945年 - 現在のテレビ信州松本総局(旧本社)に、石川島芝浦タービン株式会社付属丸の内病院として開設
  • 1968年 - 田町小学校跡地に、病院新築移転(地籍は松本市開智)

石川島芝浦タービンとは、私が数十年勤めていた東芝京浜事業所にあった会社だ。東芝が70年代に資本をIHIに譲渡したので資本的にはIHIになったのだが、元は京浜事業所の蒸気タービンの部品の疎開工場として、南松本に工場を作ったのが始まりの会社が作った病院だったわけだ。

病院開設者として土光さんの名前が挙がっているが、仕事に飽きた時、資料調査の名目で、工場の図書室(誰も来ないので、休憩に最適!)の収蔵庫に籠り、土光さんの手書きの米国出張報告とかを読んだり、仕事上の選択肢に迷った週末、鎌倉の土光さんのお墓参りをしたことなどが思い出されたのだった。


松本平には、石川島芝浦タービンの名残のものや、子会社、孫会社が幾つかあるので、その内、痕跡を辿ってみようかな?

 



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




1/4㈯の初乗り、最後は一日市場のオンベ見物へ。その前に、腹ごしらえをせねば。駅前の詠月さんで、海老天せいろを500円でどうずらで。いつもながら、500円では申し訳ない、おいしいお蕎麦と天ぷらのセットでゆっくりさせてもらう。


まずは下町のオンベ地点、想定通り、ここは小正月に立てるので、オンベは無し。次は東村へ。


ありました、ありました。ここのは、飾り物に特徴があるんですよね。そして、毎年吉の方角に向けて立てるので、今年は去年の逆方向、写真に写しやす方向になってくれた。


続いて数年前、立てる所に出くわした上町の地点へ。やはりここも第二週組で、まだ立っていない。


さて、日もだいぶ傾いてきたので、松本へ帰りましょう。今日は北アルプスは雪雲に覆われてほとんど見えず、最後にちらっと常念岳と大天井岳が顔を見せてくれた。


南の方は晴れているらしく、北岳、千丈岳が見える。


走ったのはこんなコース(但し、一日市場のGPX、地図は失念)45kmくらいは走ったはず。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




1/4㈯、潜水橋で梓川を渡り、左岸へ。まず最初は花見(けみ)のおんべ地点。


ここは正月元旦に立てられるはずなのだが、2019年に見られたのみで、その後立てられる兆しが無い。脇には御柱の柱は保管されているのだが、花見集落の人口がだいぶ減っているようで、再開は難しいのだろうか?


花見からいったんすこし下り、その後、急な梓川左岸段丘をエッチら登り、大宮熱田神宮へ。立派な本殿にお参り。


黒沢川を渡る辺りでは、雪雲が里にまで押し寄せている。慎重に走り、北小倉へ。


元旦の初日の出と伴に立てられた北小倉交差点のオンベ。写真では分かりにくいが、立てる時の引き綱が信号機の下に張られている。


裏側から眺めると、元日の太陽が昇ってくる方向である、美ヶ原の方を向いて、オンベが立っている。


そして、大日と月の上には竹の枝につけられた巾着。


さて、続いては北小倉上の段のオンベ。今年の元旦の初日の出の後わざわざ立てる所を見に行った友人がFBに投稿した写真のリンクはこちら。


チョット小ぶりではあるが、こちらも素朴で良いね。


コロナの間も絶えることなく、元旦の初日の出と伴に立てられた北小倉のオンベ、やっぱり良いわ。
この後は梓川、黒沢川扇状地を下って、一日市場に行ったのだが、その記事はまた明日。
走ったのはこんなコース。(地図ダブルクリックで詳細図へ)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




年末から三賀日のカロリー過多を何とかすべく、1/4㈯に走り始めとして毎年恒例の松本平の飾りおんばしら=おんべチェックに出かける。まず最初はコロナ過以降途絶えている波田のオンベをチェックしに。上高地の入り口、波田、島々方面は半分雪雲の中だ。


2020年を最後に、コロナの影響もあり、途絶えている波田のおんべ、すでに4年間振られ続けているので、あまり期待せず、波田の町を通り抜け、下町に向かうと、家並の向こうに、ちらりと見える。やりましたねぇ、5年振りのオンベが村の入り口にそそり立っている。


5年の鬱憤を晴らすかのように、今年のオンベは飾り物の数が半端ではない。


今年はきっと良い事がありそうな予感と共に記念撮影。


続いて中町へ。ここにもありました、中町のオンベ。


下部の松飾りには、中丁と切り抜いた、御幣=オンベが飾ってある。


そして、いよいよ一番大きい、上町のオンベへ。


今まで気づいていなかったが、ここにも上丁と切り抜いたオンベが飾られている。なんか粋だね。


横棒に色紙の御幣、斜め棒に色紙の稲花。


そして、天辺には真っ白な御幣が5本。


軽トラでこれから出かける人を呼び止めて、聞いてみると1/4(土)の今朝建てたばかりだという。どうりで、オンベがちぎれておらず、端正な姿だ。


雪が薄く積もった下り坂を慎重に島々方面に降りていく。島々の赤松発電所は順調に動いているようだ。


梓川左岸のオンベを見るために、水量の少なくなった沈下橋を慎重に渡るり左岸へ。


今日は5年振りに波田のオンベを見られて、ちょっと興奮気味。次なるオンベチェックはまた明日の記事で。
走ったのはこんなコースの序盤、梓川右岸、波田地区。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ