逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



北欧旅行も10/13で最終日の10日目となり、自由行動も面倒なので、この日のみオプションの古都ポルヴォーを申し込んであった。
でもその前に、早い朝食後にホテルの近所を散歩。


歩いて15分程度のシベリウス公園へ。


公園内ではもう白樺はほぼ落葉。朝日に輝く紅葉が美しい。


書いたものの、出す機会のなかった絵葉書を、コンビニで切手を買って投函。


ホテルでバスに乗って、50kmほど離れたポルヴォーへ。途中雨も降ったが、ついてみれば秋晴れの旅行日和。

ポルヴォーはフィンランドで2番目に古い町らしい。ストックホルムからヘルシンキを経て、ペテルブルグへと続く王の道にある古都だ。ポルヴォー川沿いに立ち並ぶかっての交易倉庫。


対岸に見えるポルヴォー大聖堂近くの木々に朝日が当たり始めている。


付近の紅葉の木々を通すとこんな感じ、川面からの反射もあり、後光を身にまとえる。


橋を渡って、ポルヴォーの旧市街へ。


木造家屋の多いポルヴォーは過去何回も大火で焼失したらしい。そんな中、レンガ造りの古い建物。


石畳の道を挟んで、パステルカラーの木造建築が並んでいて、旅行者目当てのお土産屋さんやブティーク、骨董屋さんが軒を連ねている。


でもちょっと脇に逸れれば、古い石畳の坂道の両側に普通の住宅街が広がっている。


そして、そこを抜ければ、紅葉の舞う小路へ。


15世紀頃建築のポルヴォー大聖堂。スウェーデン様式のゴシック建築かな?


そこからポルヴォー川に下る石畳の小路。


絵に描いたような景色だと思ったら、脇にフィンランドの有名画家アルベルト・エデルフェルトが描いた地点との掲示があった。


やがて道は旧市庁舎の広場へと続いていく。旧市庁舎はロシア占領下に作られたので、どこかロシア風。


かっての王の道上にあったポルヴォー、王侯貴族が泊まったゲストハウス??


さらに自由時間に近所の店を冷やかす。骨董屋で昨日見たアラビア陶器のディナーセットが売られていたが、お土産には荷が重い。街中のレストランでサーモンを頂いてヘルシンキを目指す。


ホテルで自由行動の方と合流し、ヘルシンキ空港へ。空港では荷物を預けた後、連れ合いを待つ間に、先に出国をされてしまう。ライン電話で何とか合流できたが、その間に慌てた私が出国エリアで搭乗券とJALポイントカードを紛失。空港のアナウンスで名前を呼ばれて、後戻り、事なきを得て、ようやく搭乗ゲートにたどり着いた。


ここから15時間、ほぼ満席のエコノミーの忍耐訓練を経て、無事羽田に帰ってきたのであった。

歩き回ったポルヴォーの地図はこんな風。地図をダブルクリック後、拡大をしていけば、詳細地図にたどり着く。




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昨日は疲れていて、船内エンタメも見ずに早く寝てしまった。朝早く起きて一番乗りで、レストランへ。船首側に座って、海を見ながらゆっくり朝食。


オフシーズンなので乗船者はキャパの数分の一か?早朝のデッキには人影もない。


狭い航路を縫うようにして船は進む。小型潜水艦の展示された世界遺産のスオメンリナ要塞群をかすめてヘルシンキ港へ。


さあ、一晩ご厄介になったフェリーともムーミンに見送られてお別れ。


ヘルシンキで一番先に向かったのは固い岩盤を掘削して作った岩の教会。



削岩機の穴も生々しい岩壁の横にパイプオルガン。大きな透明ドームのおかげで、明るい教会内部。


教会の外の住宅の二重窓の外に取り付けられた温度計。冬は寒そうだ。


超モダンな教会の後はヘルシンキ大聖堂へ。


残念ながら、改修中で内部は見られず。大聖堂前の元老院広場にもまだ観光客の姿は少ない。


船のターミナルに近いマーケット広場に戻り、オールドマーケットへ。


室内には旅行者向けの食料品店、カフェが並んでいる。トナカイの肉料理!


屋外のマーケットには生鮮食品、魚介類、果物そしてキノコ。


続いて、3つ目の教会、ウスペンスキー寺院へ。こちらはロシア正教なので、玉ねぎ屋根の教会だ。


内部の祭壇も金ぴかで、黒大理石を使ったロシア風。12使徒とキリスト。


昼食に向かうバスの車窓から。国会議事堂の前で何やら抗議活動。


ランチはパンフライしたニシンと温野菜にレモンを掛けて。おいしかった。


ホテルにチェックイン、荷物を部屋に置いた後は自由行動。コペンハーゲンの駅での切符購入失敗に懲りて、ホテルでトラムのチケットを買い、郊外のイッタラアラビア・デザインセンターへ。煙突が残っているので分かるが、ここはかってのアラビア社(陶器メーカーの名前=所在地名=フィンランドでは昔異国風の地名が流行った)の陶器工場の跡地。


陶器やガラス器の製造はとうの昔に東南アジアに移転、残った工場跡に本社のデザイン部門と色々なフィンランドデザインを主としたブティークや工房が入っている。8階がミュージアムになっていてアラビア社の陶器とイッタラ社のガラス器の年代順の展示や代表作品のデザインが展示されているので、フィンランドデザインを堪能。



窓の外を眺めれば、今が黄葉の真っ盛り。郊外とは言え、木々が多いね。


二階のアウトレットショップに寄り、東南アジア製ではない、長期在庫で残っているフィンランド製の古いアラビアの皿とモダンなイッタラのガラス器を記念に一点づつ購入。ロイヤルコペンハーゲンとは違って、財布に優しいのがうれしい。



トラムでヘルシンキ駅へ。かってはここからペテルブルグに多くの旅客が向かっていたのだが。


晩ご飯は満席だったけれど、すぐ席の取れた中央駅のイタリアンカフェへ。


ピザとリゾットで簡単に済ませて、



夜のヘルシンキをウィンドウショッピング。


古き良きデパートの雰囲気の残るストックマンデパートの室内。


カワイイ女の子が欲しそうな顔をして覗いていたのは、紅茶のクリスマス・アドベントカレンダー。紅茶はもう沢山買ったけれど、包装が綺麗だったので、孫家族用にお買い上げ。


イッタラアラビアの製品がアウトレットの2倍近い値段で売られているのを確認して、トラムでホテルに帰還。
GPSトラッキングに失敗して、記録できたのは前半部分のみ。地図をダブルクリックすると、詳細場所が分かる。



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先週は大学卒業50周年の懇親会を幹事として推進したものの、不満の残る行事であった。今日10/27㈰は松本で高校卒業55周年の同期会があったので出席した。

その前に、半世紀前の8mm映画を集めて作られた地域映画の2作目、「まつもと日和2」を信毎メディアガーデンで見た。上映時間の私の把握に若干問題があり、目標に出かけた13時半の上演は「まつもと日和」で目的の「日和2」の方は15:30からの上演。15:10頃の入場で席はもう半分埋まっており、開演時には満席。


今回の目的であった半世紀以上前の西穂高独標山岳遭難事故の記録部分とその後の同級生の姿の部分まで見て、上映会場を16:40に途中脱出。16:47のバスで同期会会場に一人遅れて参加。

同期会は53人の参加、広い会場で2時間着席パーティーと、大勢の人と懇談する機会に恵まれた良い同期会であった。唯一残念だったのは、日和2に出演し、男泣きしていたS君を冷やかそうと思ったら、欠席だったことくらいか?


とは言え、10年前の45周年同期会と比べれば、私も含めて、皆さん年をとりましたねぇ。
10年前の松本および箱根の同期会記事のリンク



実家が徒歩10分の所にあるのだが、帰りの電車に乗り遅れないよう、20:07のバスで会場離脱。



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北欧旅行から帰ってから体調が今一。左足は2ヶ月前にひねった親指近傍が痛むし、右足は立っていると怠く、重く感じて、先週の卒業50周年懇談会でも2時間立通しの後半はだれ気味だった。エコノミー席で15時間が悪かったのかとか?左足をかばいすぎて右足の12年前に骨折した部分に疲労感が出ているのかもしれない。5年前の北米旅行後も足の不調が続いたので、その時の記録を読み直してみる。症状が改善しないようなら、5年前にお世話になった種山医院があるからと、まずは自己判断で、座骨神経や梨状筋に負担が掛からない自転車リハビリを試みることにする。(右足に力が入りにくくなっているのは過敏になっている坐骨神経と、右足の筋肉を使っていないので、筋力が落ちている→坐骨神経を刺激しない脚の回転運動で筋力回復)
10/25は近所の松本空港まで平坦路を、



今日は雲が無く、抜群のサイクリング日和、80km先の白馬連峰まで視界が広がる。



今日はお試しなので、20km、平坦路で切り上げ。


10/25の20kmに味をしめ、きょう10/26は平坦路ではなく、峠へ。



塩嶺高原別荘地の下に出たら、近頃流行りのメガソーラーが新設されていた。



標高900mのいこいの森公園では黄葉が始まっていた。


勝弦峠を越え、展望台へ。諏訪湖と八ヶ岳。


少し下った北アルプス展望点では、塩尻からは穂高連峰しか見えないが、槍の穂先が尖って見えた。


しだれ栗公園のパターゴルフ場で小休止。同年代のパターゴルフ場の常連とたった500円で半日遊べると談笑。


隣のキャンプ場も週末で、半数近くが埋まっている様子だ。


小野への下り、善知鳥峠への登り、そしてまた塩尻への下りを一気に楽しんで、平出公園で最後の小休止。


電チャリのグレートジャーニー改のおかげで、あまり強い負荷は掛けず、でも一定以上(多分数十W)の負荷をかけ続けて、筋トレ/自転車リハビリを楽しめた。
走ったのはこんなコース、37km、獲得標高570m。



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10/11、今日は半日ストックホルムで自由行動なのだが、雨、雨、雨。


ガムラスタンから橋を渡り、15分ほど歩いてセーデルマルム島へ。お目当てはこれ、北欧紅茶のお店、Tea Center of Stokholm


店内には世界各国の紅茶や緑茶、発酵茶が売られており、日本茶もあった。


日本で買う半分の値段なのに気を良くして、定番のアールグレイ、アップルティーそしてこの店のオリジナル、島の名前のセーデルブレンドをお買い上げ。


話好きの店員さん、話をしながら、我々の買ったお茶以外のお茶の香りを嗅がせてくれる。今年はまだ日本から新茶が入らないのよとか、店の内部は古く見えるけど、実は新しいとか、ブレンドは社長の秘密なので、配合の分量は分からないとか、、、興味深い世界各国のお茶の展示をじっくり眺めて退店。

雨であまり歩き回る気にならないので、近くの350年前の建物を使ったストックホルム市立博物館へ。おっと、まだ開館前だ。



セーデルマルムは小高い丘のような島。丘の上に上がるエレベーターがあったので、登ってみる。ガムラスタン、旧市街、そして渡って来た橋が見える。


11時の開館時間になったので、市立博物館に入場。博物館の絵に描かれているエレベーターに乗ったので、あのエレベーターは一種のランドマークなのかもしれない。


博物館はストックホルムの歴史を具体的な物を使って、流れにそって説明してあり、分かりやすい。



貴族の家。模型だけが残り、実物は焼失とか。



労働者の狭い、天井の低い部屋の再現。


4階ある展示を駆け足で見て、1階のカフェテリアでランチ。


昼過ぎにまたガムラスタンに戻り、ノーベル博物館前へ。10/11はノーベル文学賞の発表の日。2009年のエルサレム賞の受賞スピーチでこともあろうに、パレスチナ寄りのスピーチをして、ユダヤ人読者から総スカンを食らった村上春樹が、イスラエルの戦争行為に対する反発から、ひょっとして、今年受賞するのではないかと、発表時間に立ち寄ったのだが、、、、結果はご存じの通り、韓国人作家の韓江さんとのニュースを聞くことになった。


王宮前に来ると、修復中の建物を覆うスクリーンがユニーク。



雨の残る中、若干の買い物と、王宮の観光をして、

今夜の宿泊先/タリンク&シリヤラインのシンフォニー号へ。


狭いながらも快適な船室。一晩寝れば次はヘルシンキだ。



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ベルゲンを朝8時に出発して、空路ストックホルムへ。


繁華街から1ブロックほど入ったレストランで昼食。


頂いたのは、スウェーデン名物?のミートボール。飛行機ではランチも出なかったので、ラズベリーソースと共においしく頂きました。少なくともIKEAのミートボールの数倍はおいしかった。


ランチ後は駆け足で観光。まずは市庁舎に行って、ノーベル賞の祝賀会場を見なければ。晩餐会会場の大広間。


舞踏会会場の黄金の間。金箔貼りらしい。


外に出れば、これから行くガムラスタン方面にリッダーホルム教会が見える。


王宮横の坂を登り、衛兵の居る広場へ。雨で観光客も少ない。


ガムラスタンの町を歩き回り、


細い小路を抜け、


ウィンドウショッピングのついでに雨の中、石畳の道を散歩する。


大広場に面したノーベル博物館で雨宿り。ただいまノーベル賞発表週間の真っただ中だ。


すでに、今年の物理学、化学、医学生理学賞が発表されている。明日10/10は文学賞の発表だ。


山中さんの授賞式の時の椅子。


真鍋さんの授賞式の時のネクタイ。


郊外の大規模なコンベンションホテル?に戻って夕飯。




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昨日はベルゲン鉄道が不通でどうなることかと思ったが、今日は開通とのこと。良かった、予定通り、フィヨルド巡りの船をフロムで降りて、フロム登山鉄道へ。


車窓には滝や紅葉が広がっていく。


まだ緑色の牧草地に囲まれたカラフルな農家、遠くには滝。登山鉄道は55パーミル=5.5%の急坂を登っていく。


だいぶ登ってきました。


集落が無くなり、急流の脇をトンネルで越えていく登山鉄道。


と思っていたら、こんな所にまで人が住んでいる。


下ってくる列車を待ち合わせ。ここだけ複線だ。



鉄道でフィヨルドの上まで行き、この道をMTBで下るのが流行っているのだとか。


ヒヨスの滝で列車は5分間の観光停車。滝の上で廃墟から抜け出した赤い服を着た妖精が人を誘うのだとか。しかし、流れが細く、迫力のある写真にならない。


その理由はこれ。水力発電所がかなり水を取ってしまっているようだ。


数百メーター登って、そそり立った崖の上を走っていく。


海面から1時間かけて標高867mのミュールダール駅に到着。急いでベルゲン鉄道に乗り換えてボスへ。


森林限界より上なので、車窓には高層湿原が広がっている。春~初夏が来れば高山植物が綺麗だろうね。


やがて朝通ったボスの町が見えてきた。


伝統建築を思わせるフレイシャース ホテル。


雨が降ったり止んだりする中2時間走ってノルウェー第二の都市ベルゲンへ。


夕食前に駆け足でベルゲン観光。


ハンザ商人が作った中世の街並み、世界遺産のブリッゲンへ。



長屋になった内部には商店、レストランや工房が入居している。


今夜泊まるホテルに戻る途中で見かけたオールドホテル。


ロビーに入ると、ベルゲンの歴史を描いたフレスコ画が壁面一杯に描かれている素敵な空間。でもお高そうで、我々には無縁だね。


無機質なScandicチェーンのホテルに帰って、遅い夕飯、その後Coopでタラコソースのチューブ入りを物色。
通ったのはこんなコースの後半。地図をダブルクリックすると、経路や撮影場所が分かる。



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ハダンゲルフィヨルドの最奥部、もう北極圏も近い所まで来たので、昨日北海道でもオーロラが見えたとのニュースに半分期待して、深夜寝る前に空を見たが、曇り空で星すらも見えなかった。朝早く出発前にブラカネスホテルの周辺を散歩。


フィヨルドと言ってもあたりの山は急峻ではなく、のどかな風景が広がる。


ウルヴィックの町にある教会。デンマークから独立した1807年の記念碑/慰霊碑があった。


海抜数mの所にある水力発電所。これだけで近所の電気は賄えそう。


バスに乗って、長いトンネルを抜け大西洋側に近づいたら残念ながら雨だよ。でも自転車乗りは元気だ。


すでにシーズンオフで駐車場が閉鎖されていたが、雨の中、ツヴィンデ滝(=Twinfalls=双子滝)を見学。


ソグネフィヨルドクルーズの出発点、グドヴァンゲンに到着。崖の上から、落差755mのシェル滝が流れ落ちている。


雨が残念だが、上下レインジャケット、完全装備で乗船。オフシーズン、雨で乗客は少なく、ネーロイフィヨルド両岸に広がる紅葉を眺めながら、船旅を楽しむ。


最狭部250mのフィヨルドを縫って船は静かに進む。


とその内に雨が止み! 急峻な山(Bakkanosi 1398m)とその肩から流れ落ちる滝、そして小さな扇状地?にへばりつくBakka集落が見えてきた。


Bakkanosi山が遠ざかっていく。


東山魁夷が青緑色で描いたサーグ滝も黄色に色づいている。


海に流れ落ちる小さな滝は数限りなくあり、写真に撮りきれない。


切り立った男性的なネーロイフィヨルドから女性的なアウルランフィヨルドへ。山頂には昨日降った雪。

2時間の船旅の終点フロムの町。


十何階建ての巨大なクルーズ船も泊っている。それほど水深が深いのだ。


乗って来た船、Future of the Fjords号、随分静かに、かつゆっくり進むなぁと思っていたら、電気推進船だった。太い充電ケーブルで充電中。


あいにくの雨、その後曇りと天候には恵まれなかったが、比較的レアなオフシーズンの紅葉に包まれたフィヨルドクルーズで、ニュージーランドのミルフォードサウンドとは一味違ったクルーズになった。
通ったのはこんなコースの前半。地図をダブルクリックすると、経路や撮影場所が分かる。



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あまり政治的なことは書かない当ブログではあるが、、、、

入学式、卒業式の無かった1974年卒業組としては、入ったこともない安田講堂で大学主催の周年祝賀式典が行われるというので参加した。
総長の祝辞/話は味気ないもので、研究、教育の中でSDGsとか、ダイバーシティ、インクルーシブネスを対話を通じて実現していくというような話であったが、うわべだけで、あまり内実の伴っていないような気がした。
①今年話題になっている授業料値上げの話はほとんどなし。
②卒業50周年生を代表して答辞を述べた人物の選定がどうなされたのか?少なくとも50周年生を取りまとめた、懇親会幹事に事前相談や通知があってもよさそうなものだが。
③式典の様子は写真撮影や録画禁止だそうだでブログに載せることもできないし、、、、
在校生や将来の入学者に代わって、50年前のように「授業料値上げ反対」と叫びたい衝動を、大人の判断で抑え込んだのであった。
新聞報道によれば、大学当局は値上げに関する「話し合い、ヒアリング」を1回だけ形式的に行ったようだが、学生からの反発が地下でくすぶっているようだ。学生にも知恵ものが居るのだろう。こんな看板が講堂の前には立っていた。


ご丁寧に看板には撤去の警告が張られている。


引き続いて行われた、私も幹事を務めた卒業50周年記念懇親会のほうは盛大に完了。50年振りに会うクラスメートも居て、半年間の準備が実り感慨深いものであった。2時間の立食宴会の最後まで残った出席者で集合写真を撮影して、会合は終わり。


しかし、みんな老けたなぁ!2時間立ち続けられず、帰ったのも居たなぁ。それに女性が少ないなぁ!3000人卒業して、集まったのはこれだけかぁ。爺さんに連れられて三田会に行ったことがあるけど、人数の差にビックリだね。

-------------  追記 -----------------
チキンな私と違って、撮影禁止など無視して、講堂内部を撮影し、私に送ってくれた友人がいたので、式典時の写真をUPしておく。




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10/7、DFDSのフェリーはあまり揺れず、ゆっくり眠りにつくことができた。朝一番で大食堂へ行き、船首の席を確保して、両側に広がるオスロフィヨルドを眺めながら、のんびりと朝食。


狭いフィヨルドを何隻もの船が抜けてゆく。


島々に家が見えて来たら、さあ、そろそろ下船だ。


バスの中からオスロ市内の観光名所をグルっと巡ってからついたのはノルウェーの彫刻家ヴィーゲランの作品が並ぶ公園。


夫婦時代を描いた作品群の中で、妻を投げ飛ばす夫?。


だいぶ紅葉が進んでいる。シーズンオフに来たけれど、この紅葉を見れただけでもOKか。


遠くには、ノルディックの国、スキージャンプ台が見える。


人間が積み重なった塔の前で、


紅葉の前にまだ咲き残るバラの花。


バスをオスロのメインストリート、カール・ヨハン通りで下車。少ない自由時間、ある方は買い物やグルメに、我々はノーベル平和賞が授与されるオスロ市庁舎へ。

数日後に発表された平和賞が日本の被団協に授与されることになるなどとは、知る由もなく、式場となる大広間で記念写真。


目についた壁画の一部、

市庁舎を出て、左側の国立劇場前へ。イプセンの像とビヨルンセンの像が並んでいるのを発見。


そそくさと昼食を食べ、オスロ大学を散歩。今年の新入生がイスラエルの戦争行為反対の小集会をやっていた。


王宮も見てみたいが時間が無い!何しろこれからバスで365km走って、ハダンゲルフィヨルドまで行かねばならないのだから。

さあ、長いクローデレン氷河湖の横を走って。


ふと、横を見れば、ここは水力発電のメッカ、ロータリーの真ん中に高落差水車のランナが飾ってある。


ベルゲン鉄道、イェイロ(Geilo)のレトロモダンな駅でトイレ休憩。


凄い駅だけれど、一日に数便しか通らないのね。でも冬になると、この駅は周辺のスキー場への客で大賑わいなのだとか。
何々?列車番号に二重線、バス代替運転なのね?とこの時は何も気づいていなかった。


標高が1000mを越えてくると、冬の寒さをしのぐ為なのか?屋根が深々と草に覆われている家が増えてくる。

周りにはもう雪の降った跡。シーニックロードなのだが、今は荒涼とした標高1250m地点を越えていく。


そんな所で、添乗員の電話が鳴る。ベルゲン鉄道が森林火災の為、不通。そうさっきの掲示板だよ。明日はフィヨルドクルーズの後、フロム鉄道からベルゲン鉄道に乗り換える予定なのだ。ベルゲン鉄道に乗るのはその区間には道路が無い為なに、、、、不通ならバスで大回りするしかない??? まあ、♪その内、なんとか成るだろう♪

標高1250mから地獄の底に突き落とすような急斜面を下って、落差182mのヴォーリングフォッセン(Vøringfossen)滝へ。



さらにぐんぐん海まで標高を下げて、ハダンゲルフィヨルドへ。夕暮れのクルーズ船の中ではもう夕食かな?


長いハダンゲル大橋を渡って、対岸フィヨルドの崖の岩盤の中に突っ込んで行くと、トンネル中に突然現れたロータリー分岐路。


ロータリーを右に曲がって、ウルビックのオールドホテル、ブラカネスホテルへ。


ハイシーズンには数百人が泊まる大きなホテル。船着き場には水上飛行機も止まっている由緒あるホテルが、今日は我々14人の貸し切りだぁ。マネージャーに聞くと、このホテル10月末に営業を終え、再開は4月からとか?上高地の帝国ホテルと同じで、冬の間、従業員はスキー場で働くのだそうだ。
広いレストランの片隅で、白身魚のクリームソース、イクラ飾りをおいしく頂きました。


移動距離が400kmにも及んだ一日、観光には少し気ぜわしく、移動中は雨で、景色がくすんでしまったが、まだ元気だ。回ったのはこんなコース。地図クリックで拡大すれば、オスロ市内なども見られる。



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昨日は観光バスでコペンハーゲンの主要観光スポットを回ったので、今日はのんびりとローゼンボー公園周辺を歩いて回ろうとSydhavnの駅へ。切符を買おうとプラットホームにある唯一の券売機にVisa タッチを持って向かうも、券売機が何も反応しない。画面がデンマーク語から英語にすらならなくて、どうしたものか? 無賃乗車を見つかると数万円の罰金だと聞いていたし、一日の始まりからついていないと途方に暮れていたら、周りのオジサンが「券売機の写真を撮って、後で清算しな」と助言あり。なるほど!
その内に、券売機の修理屋さんが到着して、中を開けると、印字シートが無くなっていて、動作しなかったようだ。


早く切符をくれよと言うも、時間がかかるとの不愛想な返事。まもなく電車が来たので、切符なしで乗車する。市内のNorreportで下車するも、駅は無人駅で切符の買いようが無く、無賃乗車!
まだ朝早く、ローゼンボー城は開いていないので、早朝のローゼンボー公園へ。私のコンデジではうまく撮影できない、幻想的な朝霧の中、広大な園内散歩。


季節は日本より数週間は早い、もう晩秋なのだが、Rosenborg=「バラ城」の名の通り、四季咲きのバラが綺麗に咲いている。


もう紅葉が始まっている木もあり。公園の向こうはかっての貴族の館が高級マンションになっているのか?



ヘラクレスパビリオン。今は小奇麗なカフェになっているようだ。


長い並木道の両側にアンデルセンの像とか、北欧風のドラゴンや杭の立ち並ぶ児童公園、そして王の庭などが広がっている。一日こんな庭でボーとして居たいが、そんな訳にもいかない。お濠と吊り橋で囲まれたローゼンボー城正門に行くも、門は開いていない。


ご入場は裏門からのようだ。で、ぐるっと回って裏門からお濠の中へ。


それほど大きな宮殿ではないものの、見て回る部屋、お宝は数限りない感じ。


冬には光の少ない北国、とにかく日光が欲しかったのだろう、鏡を多用したサンルームにはまだ秋の光があふれている。


窓の外では、衛兵と軍楽隊が式典の分列行進の練習中。


随分なお値段の付きそうなデンマーク食器。


華やかな、そしてゴシップに満ちたであろう舞踏会が開かれた4階の大広間。


今度は地下に潜って、クリスチャン4世の王冠とか、


指輪の数々とか、値段のつけようもないお宝を眺めて、


今日のローゼンボー観光は終わり。
再びNorreport駅に戻り、Sydhavn行の切符を買おうと、2つある自動販売機にVisaカードをかざし、英語に切り替え、目的駅を押して、これで今度こそ正しく切符が買えると、ホットしたのも束の間、この表示だ。


もう一台の券売機でも、同じ反応、どうなってるのこれ???
途中、中央駅で途中下車して、駅内散歩。さすが首都の中央駅、昔の鉄骨構造をうまくリノベしていて雰囲気抜群、人と店でにぎわっている。ランチを食べるなら、ここにすれば良かった。


宿に戻って、荷物をピックアップ、今晩お世話になるDFDSのフェリーターミナルへ。


豪華客船という訳ではないが、去年乗った新潟⇔小樽のラベンダー号よりは2周りほど大きなフェリー船で、コペンハーゲンからオスロに向かう。泊まったのは一応、窓側で外の見えるコンパクトな室内。


夕日に霞むハムレットの舞台、クロンボー城を眺めながら、船は北へと向かっていくのだった。


歩き回ったのはこんな経路、時間があればもっと他も回りたかったのだが、、、、


地図ダブルクリックで拡大、縮小自由。



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横浜に住んでいた時は空港まで簡単に行けたし、複数の代替経路もあったのでそれほど余裕も持たず出かけられた。信州からだと、羽田とは言え、集合時間に余裕を持って出かけなければ、、、、と午後2時に家を出たら、チェックイン一番乗り。


ラウンジで時間をつぶし、21:50のAY-0062でヘルシンキへ。2時間半乗り継ぎ待ちの後、7:25発のAY-0951でコペンハーゲンへ。着陸態勢に入ると、スウェーデンとデンマークを結ぶ橋の手前に沢山の洋上風車が見える。


午前中にコペンハーゲン観光の名所をバスで効率よく回っていく。最初は人魚姫の像。世界三大ガッカリともいわれているが、私にはそれなりに来て良かったと思われる銅像であった。


続いてアマリエンボー宮殿前広場へ。王族も在宅らしく、国旗が翻っている。


10時になっても衛兵交代が始まらない。さらに待つこと10分、ようやく交代が始まりました。


アンデルセンが毎週!火曜日に食事に来ていたコリンズ家の前で。


街はまだ緑色が多いが、一番早く紅葉するツタが赤くなり始めている。


コペンハーゲンの街並みと言えば必ず出てくるニューハウンへ。


まだ午前中なのにも関わらずずいぶんの人出だ。



なかなか良い写真が撮れなかったが、橋の上から撮った奴。



市庁舎前広場でアンデルセンの像とか、市庁舎の飾り物を見る。


振り返れば、ビル横の温度計は10℃ほど。でも天気予報を現す黄金の人形は自転車乗り=サイクリング日和だ。


ランチは名物オープンサンド。オヒョウのフライとエビ卵サンドの下に黒パン。


食後の自由時間には連れ合いの大好きなお買い物へ、ストロイエまで散歩。



もうデンマークでは作っていないタイ製のロイヤルコペンハーゲンですら2桁ほど値段が違っていて、手が出ません。見るだけ。



40年ほど前に横浜元町やソルバングで買ったイヤープレートを探すも、数が多すぎて見つけられず。これだって随分なお値段になっている。


続いて、お隣のジョージ・ジャンセンで台所小物をお買い上げ。


何とか連れ合いの買物欲を満たしてから、少し郊外のスカンディック・シューハウネンにチェックイン。


時差分を含めて長~い一日。何とか元気に観光ができた。



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コロナもだいぶ収まってきたので、5年振りの海外旅行へ。自分で計画するのが面倒だったので、夏のハイシーズンを避け、オフシーズン直前の北欧へのパッケージツアーに参加した。


デンマークにて、



オスロの市庁舎にて、今年はここで被団協が平和賞を受賞することになった。


今回の旅行のハイライト、フィヨルド観光。


オフシーズンで観光客もあまり多くなく、ちょうど紅葉の時期に当たり、大正解。


スウェーデンへ。


雨にたたられたが、平和賞以外の晩餐会が行われる市庁舎ほかを見学。文学賞の発表される10/10だったので、村上春樹を期待していたのだが、残念でした。


最後にフィンランドで今が盛りの紅葉を楽しんで帰国。


2週間のブログ休止の穴を埋めるべく、旅行記をUPしていく予定。



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以前、コロナ過の中、松代に泊まりに行ったのだが、施設が閉鎖されていて、見学できなかった松代の大本営地下壕跡を、8/28㈯、生協のツアーで見物してきた。平和教育の一環なので、参加費1100円と超格安で塩尻からのあご脚つきバスツアー。


見学したのは、3つの地下壕中最大の上図の㋑の象山地下壕。下図正面左の山の中だ。



政府機関を移転させる計画だったので、縦横にトンネルが掘られている。


ヘルメットを被り、いざ地下壕の中へ。


天井に残る掘削機のドリルビット。


こうやって穴を開け、ダイナマイトで発破してトンネルを掘った。幅4m、高さ2.7m。所々落盤の可能性のある見学通路は補強されている。


通行止めの金網の向こうには、落盤した岩が転がっている。


所々に穴を開け、木を打ち込み、その先に碍子を付けて、電気配線していた。


掘削した岩を運び出すためのトロッコの枕木を取り外した跡が生々しい。


真っすぐ掘るための、測地目標点。


横穴の状態1


横穴の状態2


見学場所、入り口から数百メーター入った最奥点、15Bの位置にて、説明を聞く。


発破用の削岩機で掘った穴。


内部に30分も居ると、上着とカッパを重ね着していても寒さがこたえる、さあ帰りましょう。


外にでて、ほっと一息。向こうに見える三角山の手前が舞鶴山、天皇御座所として準備され、現在は地震観測所として使用されている、舞鶴山地下壕がある場所だ。その左の山の下が皆神山地下壕。


松代は真田の城下町。近所にはまだ武家屋敷の跡が残っている。


今日は時間が無いので、ちらっとお庭を見て、


負け戦の中で、日本人、朝鮮人を狩り集め1年の突貫工事でこれだけのものを掘り上げている。ポツダム宣言を受諾せず、徹底抗戦していたら、ここでどんな血生臭い戦いが起こったのだろうとか? こんな固い岩盤でなく、砂地の地下にこの数百倍の地下壕が掘られたガザ地区の地下トンネルに潜むパレスチナ人を殲滅するとイスラエルは言いおるが、絶対に無理だよね! とか、色々な感想が頭の中を駆け巡った一日であった。

戦争と言う狂気が、どんなものを生み出すのか、考える起点になる設備、未見の方にはぜひ見学をお勧めする。






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