19日の宿泊ホテルはリッツカールトン大阪です。
マットはいつものように、爺はレギュラー・婆はソフトにセットしてありました。
婆のマットはソフト 爺のマットはレギュラー
昨日、歌舞伎を見るとてフロントに鍵を預け、玄関のタクシー乗り場に行くとドアボーイさんは連絡を受けていたらしくタクシーの運転手さんに行き先を告げていました。運転手さんは爺婆が乗ると、道頓堀の松竹座でよろしいかと確認されました。チェックイン後すぐに歌舞伎を見に行くとフロントには言いましたが、その情報はドアマンさんまで伝わっていました。またもや「さすが」と感心しました。
さて、二日目は、遷都1300年の奈良に向かいました。
行く途中、街の中で、埋蔵文化財の発掘調査が行われていました。
奈良国立博物館へ。初めて入館しました。本館だけの展示でしたが、見応えは十分でした。
国立奈良博物館内には、説明・解説をされる(退官された大学の先生のような)ボランティアの方がいました。ちょっと疑問があり聞いてみました。阿弥陀仏の印相のルールについてです。
我が家の檀那寺は海徳寺といい、本尊は阿弥陀如来座像「国宝(重要文化財)丈六阿弥陀如来座像」と言われます。丈六の大仏で別名「大浜大仏」と言われます。廃仏毀釈の時伊勢の神宮寺から来ました。角谷大十(4代前の市長さんの多分お爺さん(お父さんかも)になる方)が尽力されたそうです。
不謹慎かも知れませんが、この大仏さん阿弥陀さんだろうか?と実は思っているんです。釈迦如来ではないだろうかと思っているんです。印相が施無畏印と与願印のような気がしているんです。
施無畏・与願印 下品上生印
ボランティアの方には阿弥陀仏の印相のルールについてお尋ねしました。
平安以前は必ずしもそうではないが、平安時代以後は阿弥陀仏は必ず親指と他の指とで輪を作る印をしている。阿弥陀の九品来迎印とは限らないが左右どちらかの手は必ず「輪」を作り印を結んでいるそうです。もし、指が「輪」を作っていないのなら釈迦如来の可能性はあります。場合によっては薬師如来で、薬壷が失われているかも知れないと言われました。
だが、本地仏思想からいえば、やはり阿弥陀仏の可能性はあるとのことでした。伊勢神宮の本地仏は阿弥陀仏とも一時言われていますから(大日如来と言われることが多い)。
また、光背のことは爺は全くの素人なので分かりませんが、大浜大仏の光背に化仏がたくさん彫られています。それを見ると阿弥陀仏の別名である無量光仏と解釈も出来ないこともないですね。悪まで爺の勝手な解釈です・・・。
海徳寺へ行ってしっかり印相を見てきます。その後疑問が解けなかったら、奈良国立博物館に再度行って聞いてみようと思います。質問をしたその時、名刺を下さいと言われた。調査後キチンとしたお答えをしますので、住所氏名が分かれば連絡します、という事でした。私的な旅なので、名刺は持っていなかったので、お礼を言って帰ってきました。
奈良博内の喫茶店で、紅茶と抹茶ケーキで休息しました。味は普通でした。
奈良博の喫茶店は、爺の期待に対して「さすが」はありませんでした。だが、簡潔に的確なお答えを戴いたボランティアの方には、「さすが」があったと思いました。もちろん、リッツでも「さすが」がありました。1年に一度しか利用しないのですが、リッツのスタッフは、情報を共有して顧客満足度を上げていました。綿桂でもそんなシステムが作りたいですね。爺が生きてるうちにできるかな?!
西川のシステム室の次長と近々、顧客管理ソフトについて、話し合う場を持つ予定です。次代の専門店として生き残るためにも、より顧客満足度を高める必要があります。一人ひとりの眠りに合った寝具を寝方をご提案可能となるのが目標です。
リッツカールトンを利用するのも、こうした意味(顧客満足度)で参考になるからです。でも、リッツとて100%完璧ではありません。だが、来るたびに新しい発見があります。
「さすが・・・」と感動のある接客がWatakeiでもできるように日々努力をしないといけません。・・・
今日からお仕事です。お客様の「快眠」のために、頑張ります。
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