普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

今の日本は平和か

2008-03-27 06:16:39 | 政策、社会情勢

[日本は平和か]
 21日にJR常磐線荒川沖駅周辺の無差別殺傷事件で1人が死亡、2人が重傷、5人が軽傷を負ったことについての詳細の報道があった。
 25日にはJR岡山駅・山陽線下りの2番線ホームで、電車を待っていた岡山県職員が阪府の少年から、背中を押され、約1・5メートル下の線路に転落、直後に入ってきた電車にはねられ死亡した。
 同じ25日に東京都板橋区のマンションで区立小6年の男子児童が卒業式を終えた直後にら転落死した。遺書から自殺として見られているそうだ。
 以上は26日の読売新聞の社会面の報道だ。

 荒川沖駅、岡山駅の犯人はともに極く普通の青年、少年だ。
 その動機も少年のように犯罪を冒して刑務所に入りたかったなど、普通の大人では考えつかないことばかりだ。
 これを親の責任と言っても、このような極端な事件を犯すことを未然に防ぐ訳にも行かない。
 自殺した男子児童も卒業式の直後に自殺など考えつきもしないことだ。

 暗い夜道の一人歩きと違って、多くの人のいる駅での出来事、そして二人が言う様に誰でも良い、然も突然のこととなると全く防ぎようがない。
 一般の人達は見えない敵にどうして身を護り、父兄はその子供達の自殺願望をどう発見し、未然に防ぐことが出来るのだろうか。

 この様な状況は戦前、戦後を通して生きてきた私たちの眼から見ても明らかな異常事態だ。
 私は昔から山登りをしているが、トラックでも頼めば直ぐ乗せてくれたし、登山口の家では何処の誰とも知らぬ一人旅の登山者にも快く泊めてくれた。
 田舎は勿論、街でもその周辺の家などまともに戸締りをする家は少なかった。
 都会でも、世界から日本は安全だと言われたのはそんなに古いことではない。

 今のような状態でもまだ日本は平和と言えるのだろうか。

 25日付けの読売寸評は阿久悠さんの「清らかな厭世」を次のように紹介している。
 
「近頃(ちかごろ)の流行(はや)りは妙である。ミョーと表記し、発音した方が実感できるかもしれない。次々と起こる事件の原因と結果に納得がいかない」◆「過去にも残酷な事件は数え切れないくらいあったが、事情は呑(の)み込めた。納得はしないまでも、そうか、しかし他に方法もあったろうにという思い方もできた」と続く◆が、ここ何年かはそうではなくなった。阿久さんは昨年亡くなったが、妙な世の中はますます妙だ。茨城県土浦市の連続殺傷事件でミョーを痛感する。動機も殺意も全く不可解だ◆世の中のミョーについて、阿久さんは「小さい異変を見逃してきたことが積み重なって怪物化した。それが社会の価値観、人の美意識を腐らせてしまった」という◆「少女売春を援助交際と言い換えた時」「勤勉、真面目を野暮、ダサイと笑いものにした時」「死をリセットと信じ込ませ、ゲームでその気にさせてしまった時」……これらの小異変の都度、角度がついて世は曲がって行った◆警世の名句を残して去った作詞家の鋭い見方に同感する。

 読売が書いたように、岡山駅の犯人の犯罪の動機も殺意も全く不可解だ。
 自殺した少年もいずれその動機も分析されるだろうが、普通の大人では考えつきもしなようなことになるのかもしれない。

 近頃この種の不可解しかも残酷な事件や、家庭内殺傷事件、小学生、中学生の自殺が紙面を賑わす。
 そして一部ではあるが荒れる学校、モンスターペアレンツ、急増する精神疾患の教師。

 これで日本は平和と言えるだろうか。

[躾けを忘れた日本]
 この事件の報道に関連して有名な役者の梅沢富美男さんが言っていた。
・若い弟子達を叱ると彼らは親からも教師からも叱られた経験がないため真っ青な顔をするそうだ。
・その弟子を預けた二年後に親が梅沢さんのところに来て、久しぶりに帰宅した弟子がきちんと挨拶をしたと言ってお礼を言った親に、子供のしつけをどうしていたのかと叱ったそうだ。

 梅沢さんの発言を受けて、他の人達が今の子供達は辛い経験や挫折を味わったことがないので、その経験を受けてときの衝撃が大き過ぎるのだといっていた。

・差別語が問題になったとき、その流れに乗って、マスコミは少女売春を援助交際と聞こえのよい言い方に言い換え、少女売春する人達の罪の観念を無くさせた。

・親や、教師、マスコミは勤勉、真面目な人達を少年少女がダサイと笑いものにした時誰もたしなめ無かった。

・ゲームに夢中になり、死んだ人をリセットするのに慣れて、現実にも死んでもリセットできるし信じ込みだしたとき、親も教師もスコミも何も言わなかったし、ゲーム機のメーカーもソフトの会社も何の配慮もしなかった。

 これらの事柄から浮かんで来るキーワードがある。
 甘え、甘やかしだ。
・児童生徒に対して自由、個性尊重などの理由をつけて、放任する教師。
・プライバシーの名のもとに子供に個室を与え、子供の好き勝手をさせる親。
・叱らない親や教師とそれに甘える子供。
・家庭内殺傷事件も、親子兄弟なら人に迷惑を掛けないと言う甘え。
・ゲーム機や携帯を与え、その管理をしない、または出来ない親。
・援助交際する大人とそれに応じる少女。
・真面目で勤勉な人たちを「ダサイ」と片づける少年少女を無批判に放送するテレビ。
 その様な子が成長するに連れて、世に出て挫折を味逢って今までの甘い考えが通らなくなったとき、その一部が大人の考えも及ばぬ行動を取るのではないだろうか。

 今の日本に欠けているのは子供に対する躾けではないだろうか。

[平和主義者特に日教組へ]
  平和主義者は日本は平和憲法のお蔭で、50年間戦争せずに済んだと言う。
 然し前に上げたような事件の続発する日本が平和と言えるだろうか。
 前に書いた以外にも、小中学校のイジメはなくならず、新手の携帯によるイジメも激増しているとそうだ。

 そのような社会の劣化を恐れた文科省が学校に道徳を導入しようとすると、軍国主義に繋がると称して、反対する所謂平和主義者の抵抗に逢う。

 平和主義者、護憲論者、所謂進歩的知識人の人達は、軍国化を防ぐ活動も良いし、これらの社会劣化、平和な日本を護るためにも、上記のような問題に真剣に取り組んで、文科省の道徳教育へ対案を出してもらいたものだ。

 日教組の人達も、処罰も恐れずに学校での君が代、日の丸反対すると同じかそれ以上の情熱を持って、まず第一に学校の平和、それと学校教育のあり方も大きく影響している前記の社会に起こる不祥事の問題に取り組めないのだろうか。

参照:平和主義者たちに聞いて見たいこと

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