昨日のテレ朝の「報道ステーション」で総務大臣に就任した片山善博さんが、地方分権に関連して、問題の一括交付金の説明をしていました。
片山さんの説明の概要
・一部で言うように財源をひねり出すための一括交付金ではない。 (知事会は今までの補助金の絶対額を少なくとも減らさないように要求しているようです。)
・この制度により今までの紐付きの補助金制度を通して地方の管理に掛かっていた政府の要員の削減により経費削減が出来る。
・交付金の決定は透明でなくてはならない。
・その算出の根拠は地域の特性や住民数などの条件を入れた計算式を確立する必要がある、そうで無いとまた政治家や官僚の思惑が入って来る
・一括交付金で地方の職員の負担と責任が重くなってくる
・特に問題なのは地方の議会だ、それが巧く機能しないと住民投票によるリコールが起こるだろう
[一括交付金の問題点]
片山さんの説明に従うと一括交付金制度には次の問題が含まれているようです。
・一括交付金額の決定のためは、住民数、地域格差や地域の特殊事情などの多くの条件にを考慮に入れねばならないので、簡単な一次式で終わらぬような気がします。
それに政治家や官僚、地方自治体の首長の思惑が加わり、結局はある所で政府の決断がなければ決まらないような気がします。
それまで制度の発足はいつになるか判りません。
・一括交付金は、地方自治体の人達が皆良い人達ばかりだと言う性善説に立っていますが、必ずしもそうでないことが多いようです。
・逆に彼らが頑張って財政的に楽になってくれば、交付金が減らさせることになりはしないか、そうして地方公務員達の士気を落とさないためには唯でさえややこしい交付金決定の公式にその問題も条件を入れねばならないことになります。
・地方の生産性は首都圏や阪神周辺が高いのでどうしても地域格差が出来るが、国全体を見る責任のある政府は、地域の責任だとして放って良いのでしょうか。
それが紐付きの補助金にしたがる官僚の言い分ですが、それには一理も二理もあると思います。
特に地方の人達の問題点ですが、私の住む周辺の中間市で北九州市との合併の話しが持ち上がったとき、受け入れ側の北九州市しから中間市の議員数を約3分の1に削減しろとの要求→それに反発して議会は合併を白紙にする→それに対して(片山さんが指摘したように)住民のリコール成立→市議会は自分達が正式に住民を代表しているとして、それを否決し現在に至っています。 (飯塚市でも同じ問題が起きリコール成立、議会解散、定数削減に繋がっています。)
本来なら次回の選挙の時に否決に賛成した彼らを落とせば良いのですが、誰が否決に賛成したかの情報がありません。
考えて見ますと住民数もすくなく、まだコミュニティーが残っている田舎の場合はそうでもないと思いますが、例えば約五万人の市全体が一区での選挙では(定期的にビラを各戸に配っている共産党を除いて)候補者の人柄もその主張も殆ど判りません。 (この件について片山さんも河村たかしの「地域委員会」について触れていました。片山さんも地域の活性化には村のような狭い地域での活動が必要と認めているのでしょう。)
その意味では国会の状況が日々報道され、駅前などで本人や支援者の演説が聞かれる国会議員の候補者より地方都市の候補者のほうが市民にとってはるかに遠い存在になっています。
これで満足な地方自治が進み、一括交付金が正当に使われるのでしょうか。
一括交付金については、若し配分の方式が決まれば、若し地方自治体が巧くそれを運用して呉れればと言う難しい前提があります。
そして一括交付金制度のために、例えば社会福祉政策などが巧く機能しなかったとき、また大阪市の様に生活保護費が市の財政の大部分をしめるところへ如何に政府が関与するかなどの安全処置が決まるのに、また政府の在り方について考えの違う人達から、また議論百出で一括交付金制度はいつまで経っても、店晒しになる可能性が大きいような気がするのですが。
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参照:地方分権化と規制緩和
東京都立大学の福島隆司さんが理論的に解説しておられますので、大変参考になると思います。
地域主権改革の内実、国の責任の希薄化が社会保障を脅かす
地方分権の問題点