普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

「現実とかけ離れた前文を前提とした憲法の問題」

2021-04-21 10:34:04 | 憲法

戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
 私は日本が抱えている下記のような大きな解決困難な問題になる何故か全て立ち止まってしまうことを纏めてみようと思い立ちました。
・現実とかけ離れた前文を前提とした憲法の問題
・止まらない少子化と殆ど役に立たない政府の対策
・ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた日本産業が何故今のように落ちぶちぶれたか
今日は下記の問題です。
「現実とかけ離れた前文を前提とした憲法の問題」
「現実無視の憲法前文」の検索で真っ先に出てくるのは私の意見。つまりこの問題であまり意見が出ていないこと。(なおネットが取り上げた私の意見は前記の検索で出ます。)
「検索でみた他の意見」
 憲法をめぐる論議では9条とならんで前文が改憲派と護憲派の主戦場になっている。前文が憲法全体の理念や立脚点を示しているからだ。
他の人の意見は問題は前文が世界観と現実の国際情勢との乖離(かいり)をどうみるかに集約できる。護憲派は国際社会を前文の理想に近づける努力こそ必要だと主張し、改憲派は国際社会が憲法の想定した方向に発展していないのだから「脱敗戦」の視点で見直すべきだと主張している。

「これに対する私の意見」
 これが米国ならともかく今の日本の実力では不可、増して国際の秩序を平気で乱す中国に通じる訳はない。問題の一つは多くの憲法学者学者が審判のように政府のやり方を批判していること。スポーツでもそうですが審判は多くの選手の中で一人か数人でいれば済みます。
 後は運営をスムーズにするように何人にもの専門の人が要ること。今回の事で言えばルール作りを補佐する専門家が要ること。それが憲法学者の役目。しかし傍目から見るの審判ばかりの憲法学者。
「その珍しい憲法専門家の意見」
 法学者の中川剛は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」の部分について、「『平和を愛する諸国民』と『全世界の国民』は憲法前文で区別されているので、平和を愛する諸国民とそうでない国民が全世界の国民のうちに存在することが前提となっている」とした上で、「憲法前文にいう『平和を愛する諸国民』はアメリカ合衆国以外にはありえない」と主張している。ただし、GHQ草案で諸国民の元となった言葉は世界の人々(peoples of the world)である。
 つまり憲法前文は的外れと指摘しています。
「産経新聞の意見」
 日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の部分について「日本国は日本人の命を自ら守るつもりはなく、すべて諸外国に委ねるという奴隷国家宣言、あるいは日本人に戦力を持たせると危険なのでそれは禁止するが、日本人以外の諸国民はみんなまともで信頼できるという事である」と主張しており、GHQの日本人に対する偏見と蔑視、差別意識が漂う」としている。
だれの意見かわかりせんが以下の意見も見つけました。
「前文を裁判で使うことは難しい!?」
 この「前文」も憲法の一部であることに違いはありません。そこで、例えば国民が「〇〇法は憲法の前文に違反しているので、無効だ!」などと、裁判所に訴えることができるのでしょうか。そもそも裁判所に訴えを起こすときには、根拠が必要です。
とにかく訴えたい!…では、裁判は認められません。裁判所も訴えられた相手方も付きあっていられない。で、特定のルールについて、それが裁判の根拠となるくらいのルールであるか否かという性質は「裁判規範性」少し難しい言い回しですが「規範」とはルールのことを意味するので、「裁判」に使用できる程度の「規範(ルール)」であるか?…というイメージでよいでしょう。で、憲法の「前文」がどうかと言いますと…結論は難しいかな…という感じです。
上で掲載したように、前文は抽象的な原理を宣言しているもので、ここから「こういう場合には〇〇だ!」などという判決を引き出すことは困難と考えられているんです。

 それにしても占領軍から英語の原文をもとに一日で作れと言われて作った文のため片言まじりのお恥ずかしい日本国憲法。その文章の修正も出来ないのですかね。憲法学者の先生たち。
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