・授業時間外の勉強の仕方、友達との付き合い方などを教える・いじめ防止の成功例に学ぶ・学校を密閉社会にしない・不法行為があり注意しても直らないときは警察を導入する
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自民党の教育再生実行本部が発表した教育改革案の中に、いじめ問題の対策として、いじめ防止対策基本法を制定、都道府県や全ての区市町村で「いじめ防止条例」を制定を挙げています。
今日は学校内で問題になっているイジメに就いて考えて見ました。
最近良く考えるのですが、学校では決められた教科を教えるだけで、何故それを教えるのか、それに対してどう勉強すればよいのか、休み時間や放課後のどのような勉強や遊びをすれば良いのか教えてないような気がするのです。
話は少し逸れますが勉強に就いて考えて見ました。これはなんらかの形でイジメや体罰にも関係すると思うからです。
・勉強の仕方を教える
・本を良く読む、出来れば小学校に上がる前から読書の習慣を付けて置く。読書により理由:物事の理解力、想像力、考える力ができる。 (授業前の読書を進めている学校が多い)
・国語や英語は習ったらそれを応用して作文、エッセイなど書いて見て、教師に見て貰う。
・歴史は自分をその場いいるとして先生の話しを聴く。だから一回聴くだけで直ぐ覚えるし、何故そうなるのかなどの疑問が出る。
・学校で習ったことで判らないことは家に持ち帰らない。そのために先生に積極的に質問をする。良く質問する生徒には教師の関心を呼ぶ。生徒はそれが判るから一層真面目に話しを聴く。詰まり生徒としては教師と一対一で聴く気分になりよそ見、居眠りなど出来ない 。
・生徒は他の生徒から質問があれば快く答える。教えるほど正確に記憶に残る。
・数学の計算、代数などは繰り返し練習で早く正確にできるようにする。試験では80点はこれを取れる、余った時間で応用問題にゆっくり取り組める。
・単語帳を作り覚えた所とそうでない所に印をつけ集中的、そして反復的に覚える。他の学科も同じやり方で覚える。 (以上2つは公文式、蔭山式百枡計算と同じ考え方)
但しこのやり方は授業時間内で一通り話すかだけが自分の仕事、それ以上は搾取だと考えている日教組(希望的観測ですが一部)の教師でなくて、普通の熱心な教師を前提としています。
・イジメに就いての私の経験
・私と同年代で今の北九州市西部で育った人達の誰に訊いて見てもイジメを経験したり見聞した人は殆ど居ませんでした。 (正確に言えば朝鮮人や服装などが酷かった子達に余り遊びませんでしたので彼らから言えば疎外されたと思ったかも知れませんが、意識的に皆で除け者にしたことはありませんでした。)
私自身も貧乏で汚れた服、ブスで気弱で内向きな性格、その癖授業では目立って発言の多いという苛められッ子そのままでしたが、まったく苛められた記憶はありません。
その理由は今考えますと
・当時の喧嘩では一対一が原則、殴るのは平手打ちだけ、拳固、足蹴はヤクザのチンピラがやることとされていました。荒っぽい土地柄でしたので大人も子ども二人が喧嘩していても、片方が相手を抑えつけ勝負が就くまで見ていました。
・二人以上の子たちが一人の子と喧嘩するなど卑怯者扱いにされていました。
・その理由は当時男の子に良く読まれたのは勧善懲悪の講談本で、上記のような卑怯な振る舞いをするのはヤクザのチンピらか、悪者のサムライと見られていたからでしょう。
・九州男児、男は男らしく卑怯な振る舞いをしない、女は女らしく思いやりがあるのが良しとされた時代でした。
・当時の男の子は今で言えば川筋生れの麻生太郎さん、高倉健さん、亡くなった野球の仰木彬さんのなど、どう考えてもイジメとは無縁の人達を目指していたような気がします。
・もう一つの理由は当時炭坑、製鉄などの拡張期で習慣や言葉の違う余所者も受けいれる開放的な気風だったのも大きな理由の一つだと思います。
・現在では北九州市西部でもイジメが増えていますが、九州男児、卑怯者、男は男らしく女は女らしくの言葉が死語になりかけているのが大きな原因と思います。
私の知る唯一つの例外があります。娘の赴任した小倉の小学校ではイジメや学級崩壊など全く無かったそうです。
その理由は小学校と地域の連携が上手く言って、学校が地域の人達に開放されていたからだと言っていました。
私の子ども時代の地域の開放的雰囲気、学校の地域への開放。
これがイジメ防止のキーワードになるかも知れません。
・授業時間外の過ごし方について子どもに教える
それともう一つは最初に書いたように、子ども達に授業を教えるだけでなくて、その勉強法まで教えるように、少子化その他の理由で、子ども世界で暮らすルールを知らず、その訓練を受けないまま学校に入ることから考えて、休み時間や学校外での過ごし方のルールや、その心構えを教えてやる必要があると思います。
それと最初に書いたような教師、児童・生徒が一体感ができれば少なくともイジメの減少には繋がると思います。
以上イジメ対策を求めれば次のようになると思います。
・子ども世界の衰退に伴い子ども世界のルールを作り、一人を複数の人で喧嘩するのは卑怯、弱いものへの思いやりなどの考え方を生徒・児童に教える。
・そのルールはイジメ防止の成功例を参照して作る。
・学校を地域に開放し密閉社会を作らない。
学校も日本の社会組織にあることを教師・子どもも知らせる。実際に何回か指導して生徒の法律違反が止まないときは警察をいれる。
・教師・子どもの間に一体感を作る 上記の記事には書いて居ませんが、
・教師の子どもに接する時間を多く作る。
そのためにレポート提出など余分の仕事を削る。そのために市町村、教育委員会、教師の間の考え方を統一する。
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。
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自民党の教育再生実行本部が発表した教育改革案の中に、いじめ問題の対策として、いじめ防止対策基本法を制定、都道府県や全ての区市町村で「いじめ防止条例」を制定を挙げています。
今日は学校内で問題になっているイジメに就いて考えて見ました。
最近良く考えるのですが、学校では決められた教科を教えるだけで、何故それを教えるのか、それに対してどう勉強すればよいのか、休み時間や放課後のどのような勉強や遊びをすれば良いのか教えてないような気がするのです。
話は少し逸れますが勉強に就いて考えて見ました。これはなんらかの形でイジメや体罰にも関係すると思うからです。
・勉強の仕方を教える
・本を良く読む、出来れば小学校に上がる前から読書の習慣を付けて置く。読書により理由:物事の理解力、想像力、考える力ができる。 (授業前の読書を進めている学校が多い)
・国語や英語は習ったらそれを応用して作文、エッセイなど書いて見て、教師に見て貰う。
・歴史は自分をその場いいるとして先生の話しを聴く。だから一回聴くだけで直ぐ覚えるし、何故そうなるのかなどの疑問が出る。
・学校で習ったことで判らないことは家に持ち帰らない。そのために先生に積極的に質問をする。良く質問する生徒には教師の関心を呼ぶ。生徒はそれが判るから一層真面目に話しを聴く。詰まり生徒としては教師と一対一で聴く気分になりよそ見、居眠りなど出来ない 。
・生徒は他の生徒から質問があれば快く答える。教えるほど正確に記憶に残る。
・数学の計算、代数などは繰り返し練習で早く正確にできるようにする。試験では80点はこれを取れる、余った時間で応用問題にゆっくり取り組める。
・単語帳を作り覚えた所とそうでない所に印をつけ集中的、そして反復的に覚える。他の学科も同じやり方で覚える。 (以上2つは公文式、蔭山式百枡計算と同じ考え方)
但しこのやり方は授業時間内で一通り話すかだけが自分の仕事、それ以上は搾取だと考えている日教組(希望的観測ですが一部)の教師でなくて、普通の熱心な教師を前提としています。
・イジメに就いての私の経験
・私と同年代で今の北九州市西部で育った人達の誰に訊いて見てもイジメを経験したり見聞した人は殆ど居ませんでした。 (正確に言えば朝鮮人や服装などが酷かった子達に余り遊びませんでしたので彼らから言えば疎外されたと思ったかも知れませんが、意識的に皆で除け者にしたことはありませんでした。)
私自身も貧乏で汚れた服、ブスで気弱で内向きな性格、その癖授業では目立って発言の多いという苛められッ子そのままでしたが、まったく苛められた記憶はありません。
その理由は今考えますと
・当時の喧嘩では一対一が原則、殴るのは平手打ちだけ、拳固、足蹴はヤクザのチンピラがやることとされていました。荒っぽい土地柄でしたので大人も子ども二人が喧嘩していても、片方が相手を抑えつけ勝負が就くまで見ていました。
・二人以上の子たちが一人の子と喧嘩するなど卑怯者扱いにされていました。
・その理由は当時男の子に良く読まれたのは勧善懲悪の講談本で、上記のような卑怯な振る舞いをするのはヤクザのチンピらか、悪者のサムライと見られていたからでしょう。
・九州男児、男は男らしく卑怯な振る舞いをしない、女は女らしく思いやりがあるのが良しとされた時代でした。
・当時の男の子は今で言えば川筋生れの麻生太郎さん、高倉健さん、亡くなった野球の仰木彬さんのなど、どう考えてもイジメとは無縁の人達を目指していたような気がします。
・もう一つの理由は当時炭坑、製鉄などの拡張期で習慣や言葉の違う余所者も受けいれる開放的な気風だったのも大きな理由の一つだと思います。
・現在では北九州市西部でもイジメが増えていますが、九州男児、卑怯者、男は男らしく女は女らしくの言葉が死語になりかけているのが大きな原因と思います。
私の知る唯一つの例外があります。娘の赴任した小倉の小学校ではイジメや学級崩壊など全く無かったそうです。
その理由は小学校と地域の連携が上手く言って、学校が地域の人達に開放されていたからだと言っていました。
私の子ども時代の地域の開放的雰囲気、学校の地域への開放。
これがイジメ防止のキーワードになるかも知れません。
・授業時間外の過ごし方について子どもに教える
それともう一つは最初に書いたように、子ども達に授業を教えるだけでなくて、その勉強法まで教えるように、少子化その他の理由で、子ども世界で暮らすルールを知らず、その訓練を受けないまま学校に入ることから考えて、休み時間や学校外での過ごし方のルールや、その心構えを教えてやる必要があると思います。
それと最初に書いたような教師、児童・生徒が一体感ができれば少なくともイジメの減少には繋がると思います。
以上イジメ対策を求めれば次のようになると思います。
・子ども世界の衰退に伴い子ども世界のルールを作り、一人を複数の人で喧嘩するのは卑怯、弱いものへの思いやりなどの考え方を生徒・児童に教える。
・そのルールはイジメ防止の成功例を参照して作る。
・学校を地域に開放し密閉社会を作らない。
学校も日本の社会組織にあることを教師・子どもも知らせる。実際に何回か指導して生徒の法律違反が止まないときは警察をいれる。
・教師・子どもの間に一体感を作る 上記の記事には書いて居ませんが、
・教師の子どもに接する時間を多く作る。
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学ばない自由について
間違ったことを教えられると
それを打ち消すためには
学んだ時間とエネルギーの
少なくとも3倍以上かかることは
科学的な実験から証明された。
学校は今や
<学ばない自由>を教えない危険な場所だ。
<学ぶ自由>だけが生き残ったのは
教育システムが
<権威からの離脱と服従への拒否>
を自ら排除してきた結果だ。
人類の数百万年間にわたる
無知と好奇心、そして飢えが
学習システムを形成したのだが
<学ぶ自由>と<学ばない自由>
は教育システムから完全に分離された。
<学ぶ自由>と<学ばない自由>は
機敏な生得的なメカニズムから生まれる。
相補的な2つの自由は
学校に行く前から獲得されているからこそ
こどもにとって学校は
もっとも危険な場所なのだ。
http://two-pictures.net/mtstatic/
コーチングの鉄則は自己評価を上げること。女子柔道は論外、正しいコーチングを学んで欲しい。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130131/mrt13013114390004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130130/mrt13013023280017-n1.htm
などで報道されている女子柔道園田監督のパワハラ、暴力問題だが、園田監督ひとりの辞任で済まされるような問題ではない。北京オリンピックの時に、私自身がキューバ女子柔道選手達をホスト指導した時から垣間見ていた日本女子柔道の指導法の問題、私自身今回のオリンピック中継映像などでも確信していたが、講道館への配慮、監督が警視庁職員であるなど、私自身もこの問題の指摘を躊躇してきた部分があり、反省している。
コーチングの基本は、選手のエフィカシー、つまり、自己能力の自己評価を上げることに尽きる。これは鉄則だ。日本女子柔道のやり方は論外だ。
柔道創始者嘉納治五郎師範の嘉納塾長、講道館の創設期幹部を経て、柔道をオリンピック種目にするのに奔走し、念願を果たして東京オリンピックの柔道審判委員長などを歴任した、私の祖父苫米地英俊が今のオリンピック柔道界をみたら何というだろう。
http://www.tomabechi.jp/archives/51381220.html
谷亮子氏「私は暴力受けた経験ない」 再発防止策求める - 朝日新聞デジタル 2013年1月31日13時1分 http://t.asahi.com/9khl http://megalodon.jp/2013-0201-0820-20/www.asahi.com/national/update/0131/TKY201301310106.html … ←暴力団幹部の子女を殴る柔道指導者は居ないということか。
食料は人間が生きていくのに不可欠なエネルギー源ですが、同時に、食は「文化」でもあり、また味覚は8歳までに決まると言われています。
食糧を確保し、自然を守るという課題にとどまらず、豊かな社会を実現する重要なテーマとして臨むべきものが農政だと、私は思うのです。