一般国民から国会・政府まで空気に流され、レッテルに動かされて来た日本
5日の読売新聞の特集「日本蘇えれ・プロ軽視の大衆社会」で気になる記事を見つけました。
「政治主導・脱官僚」を掲げた民主党政権が事業仕分けを始めたが当時の世論調査では71%の人が「評価する」答え政権浮揚に効果を上げた。
当時経産省から「新エネルギー・産業技術総合開発機構」に出向していたUさんが携わる次世代プロセッサー開発計画は仕分けで中止になった。
現在はスーパーコンピューターの重用部品として実用化されつつあるが日本は置いてけばりだ。
月に300時間の産業をしている若手官僚この「政治ショー」官僚叩きの的になった。
Uさんは飲食店の客から「民主党に期待したのに官僚のせいで駄目になった」と罵られついに心が折れて経産省を辞めた。
人々が専門家よりネットの口コミをより信頼する。
信義も責任の所在も不明な言説が影響力を持ち、社会の思考力を奪ってゆく。
プロの見解を軽んじ素人の目線を尊ぶ風潮はポピュリズムの土壌となる。
それに対して慶大教授の細谷雄一さんが概略次のように書いています。 (括弧内は私の意見です。)
インヌーネットの普及は質の高い低い情報を等価値にする「情報の平等化」→「良貨が悪化を駆逐」→空気や感情に流される大衆社会が蔓延が起こる。そのために
・専門家の権威を回復すること (前回の経済問題で書いたように自説に囚われるだけで、大衆の納得する意見を出さない人も多い)
・一人一人が感情と理性の緊張感を持続、理性による判断をすること
・メディアは世論に迎合せず正しいことは評価し間違いや不正を監視すること (朝日新聞のように自社の主張に拘ったり、世論を煽るように週刊誌も多い。安倍~麻生政権時の朝日を始めとする反自民キャンペーン、一方次期政権獲得の可能性の高い民主党のマニフェストへの無批判、それがもたらした惨憺たる現況。)
・インターネットでの匿名性の暴力を許さない倫理が必要で規制する法整備も必要かもしれない (特にツイッターでは私の見ている範囲では暴力的なツイートは余り見ませんが、原発関係や東北地方での広域ガレキ処理では文字通りのデマや風評被害を起こすツイートを良く見かけるが、酷いものはツイッター同志の批判が大切。)
[私の意見]
細谷さんの意見に従って考えれば彼の考える専門家もメディアもインターネットの意見も全面的に期待出来ないとすれば、残りは2番目の一人一人が理性による適正な判断をするしか道は無いような気がします。
読売の記事の対象の官僚問題に就いては、私は何度も公務員制度や官庁組織の合理化は徹底的にやるが、官僚の能力や意欲を活かして使うべきだと書いて来ました。
そのためには今はどうなっているか知りませんが、橋下さんの言う官僚の40歳定年制度でなくて、真面目に働く人は能力により処遇が違うのは当然としても、大企業並みに定年になるまでの身分は保障して、意欲を向上させ思う存分働くようにするのは当然です。 特に月400時間の残業など使い捨て紛いの本人の身体に悪い影響を与え、家庭崩壊に繋がるような慣行は直ぐにでも廃止できるような制度の合理化を図るべきです。
・空気に流されないこと、物事や人にレッテルを貼らないこと
一人一人が理性による適正な判断をするための前提条件は
・空気に流されないこと
読売では官僚のUさんが「民主党に期待したのに官僚のせいで駄目になった」と罵られた例を挙げていましたが、私もそれほどないですが、民主党政権誕生直ぐに前原さんがマニテフェストで約束したとして八ツ場ダムの建設中止を発表したとき、もっと慎重にことを進めるべきと意見に何人かの民主党贔屓の人と思われる人達からの批判を浴びたことがあります。そして現在は建設再開へ変更。民主党批判をしても反論は何も無し。
現在の例を上げれば原発は危ないから前後の見境もなく止めろ止めろの大合唱。
詰まり彼らは反原発の空気に流されているのです。
そして反原発が選挙に有利だとして「生活」の公約に取り入れた選挙至上主義の小沢さん。詰まり国民は反原発の空気に乗ると読んだのでしょう。
・物事や人にレッテルを貼らないこと
レッテルを貼ると自ら、競馬で使う斜眼帯を付けたことになります。
自分の主張に都合の悪い景色が見えないように目の両側を塞ぐ道具です。
「天下り」?人事の風通しを良くし、真面目な官僚に大企業並みの生活保障をすることでやる気を持たせます。
民主党は天下り禁止したお蔭で組織がピラミツト型から台型にかわり人件費が増えた畳め、「出向」に名前を変えて事実上の「天下り」を認めなくては成りませんでした。
「官僚」?前述のように月に自らの健康を侵し、家庭崩壊の危機を乗り越えておそらくサービス残業をする人達もいます。
特に福島第一の大事故で政治家、マスコミ、一部の国民は挙って「原発」、東電を始めとする「電力会社」、「原子力村」を悪と決めつけました。
彼らは福島第二や女川は無事停止したことを見ようとしません。
その一方で「原発安全神話」をでっち上げたとして、政府始め関係者を批判しました。現実は厄介な原発を引き受けて貰うのに地域の多額の補償金を払っているのを目を瞑って。に。
そして原発は悪の空気の中で、関係者のレッテル貼りの中でどうしたか。
一番典型的な例は私が何度も言う、政府・国会の事故調査委員会です。
原発のごく一部しか知らない半素人の大学教授(事故の発端は外部電源、緊急電源、給水、計装機器、配管など原子炉以外の設備から起こっているのに)他の一般学科の教授、とそれこそ全く素人の地域代表。
これで本当の事故調査が出来る訳ありません。
彼らは事故発生後の混乱の批判で作られた空気で報告の多くを事故後の処理の拙さに当てました。
「原子力村」批判の中で作られた原子力規制委員会による、原発前提の再開の前提となる安全基準の作成に、事故調査委員会の報告は殆ど役にたってないと思います。
その混乱の中で一番現場を知っているそして原発の怖さ一番身に沁みて感じている原発の運転、保全関係者は完全な蚊帳の外。
これで物事が上手く進む筈はありません。
正に政府や国会がまでがマスコミやネットで貼られレッテルや、作られた空気に動かされて来たのが今までの事故後の処理でした。
私たちは原発問題だけでなく全ての点で「プロの見解を重んじ」て「ポピュリズムの罠」に嵌まらないように注意すべきと思います。
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5日の読売新聞の特集「日本蘇えれ・プロ軽視の大衆社会」で気になる記事を見つけました。
「政治主導・脱官僚」を掲げた民主党政権が事業仕分けを始めたが当時の世論調査では71%の人が「評価する」答え政権浮揚に効果を上げた。
当時経産省から「新エネルギー・産業技術総合開発機構」に出向していたUさんが携わる次世代プロセッサー開発計画は仕分けで中止になった。
現在はスーパーコンピューターの重用部品として実用化されつつあるが日本は置いてけばりだ。
月に300時間の産業をしている若手官僚この「政治ショー」官僚叩きの的になった。
Uさんは飲食店の客から「民主党に期待したのに官僚のせいで駄目になった」と罵られついに心が折れて経産省を辞めた。
人々が専門家よりネットの口コミをより信頼する。
信義も責任の所在も不明な言説が影響力を持ち、社会の思考力を奪ってゆく。
プロの見解を軽んじ素人の目線を尊ぶ風潮はポピュリズムの土壌となる。
それに対して慶大教授の細谷雄一さんが概略次のように書いています。 (括弧内は私の意見です。)
インヌーネットの普及は質の高い低い情報を等価値にする「情報の平等化」→「良貨が悪化を駆逐」→空気や感情に流される大衆社会が蔓延が起こる。そのために
・専門家の権威を回復すること (前回の経済問題で書いたように自説に囚われるだけで、大衆の納得する意見を出さない人も多い)
・一人一人が感情と理性の緊張感を持続、理性による判断をすること
・メディアは世論に迎合せず正しいことは評価し間違いや不正を監視すること (朝日新聞のように自社の主張に拘ったり、世論を煽るように週刊誌も多い。安倍~麻生政権時の朝日を始めとする反自民キャンペーン、一方次期政権獲得の可能性の高い民主党のマニフェストへの無批判、それがもたらした惨憺たる現況。)
・インターネットでの匿名性の暴力を許さない倫理が必要で規制する法整備も必要かもしれない (特にツイッターでは私の見ている範囲では暴力的なツイートは余り見ませんが、原発関係や東北地方での広域ガレキ処理では文字通りのデマや風評被害を起こすツイートを良く見かけるが、酷いものはツイッター同志の批判が大切。)
[私の意見]
細谷さんの意見に従って考えれば彼の考える専門家もメディアもインターネットの意見も全面的に期待出来ないとすれば、残りは2番目の一人一人が理性による適正な判断をするしか道は無いような気がします。
読売の記事の対象の官僚問題に就いては、私は何度も公務員制度や官庁組織の合理化は徹底的にやるが、官僚の能力や意欲を活かして使うべきだと書いて来ました。
そのためには今はどうなっているか知りませんが、橋下さんの言う官僚の40歳定年制度でなくて、真面目に働く人は能力により処遇が違うのは当然としても、大企業並みに定年になるまでの身分は保障して、意欲を向上させ思う存分働くようにするのは当然です。 特に月400時間の残業など使い捨て紛いの本人の身体に悪い影響を与え、家庭崩壊に繋がるような慣行は直ぐにでも廃止できるような制度の合理化を図るべきです。
・空気に流されないこと、物事や人にレッテルを貼らないこと
一人一人が理性による適正な判断をするための前提条件は
・空気に流されないこと
読売では官僚のUさんが「民主党に期待したのに官僚のせいで駄目になった」と罵られた例を挙げていましたが、私もそれほどないですが、民主党政権誕生直ぐに前原さんがマニテフェストで約束したとして八ツ場ダムの建設中止を発表したとき、もっと慎重にことを進めるべきと意見に何人かの民主党贔屓の人と思われる人達からの批判を浴びたことがあります。そして現在は建設再開へ変更。民主党批判をしても反論は何も無し。
現在の例を上げれば原発は危ないから前後の見境もなく止めろ止めろの大合唱。
詰まり彼らは反原発の空気に流されているのです。
そして反原発が選挙に有利だとして「生活」の公約に取り入れた選挙至上主義の小沢さん。詰まり国民は反原発の空気に乗ると読んだのでしょう。
・物事や人にレッテルを貼らないこと
レッテルを貼ると自ら、競馬で使う斜眼帯を付けたことになります。
自分の主張に都合の悪い景色が見えないように目の両側を塞ぐ道具です。
「天下り」?人事の風通しを良くし、真面目な官僚に大企業並みの生活保障をすることでやる気を持たせます。
民主党は天下り禁止したお蔭で組織がピラミツト型から台型にかわり人件費が増えた畳め、「出向」に名前を変えて事実上の「天下り」を認めなくては成りませんでした。
「官僚」?前述のように月に自らの健康を侵し、家庭崩壊の危機を乗り越えておそらくサービス残業をする人達もいます。
特に福島第一の大事故で政治家、マスコミ、一部の国民は挙って「原発」、東電を始めとする「電力会社」、「原子力村」を悪と決めつけました。
彼らは福島第二や女川は無事停止したことを見ようとしません。
その一方で「原発安全神話」をでっち上げたとして、政府始め関係者を批判しました。現実は厄介な原発を引き受けて貰うのに地域の多額の補償金を払っているのを目を瞑って。に。
そして原発は悪の空気の中で、関係者のレッテル貼りの中でどうしたか。
一番典型的な例は私が何度も言う、政府・国会の事故調査委員会です。
原発のごく一部しか知らない半素人の大学教授(事故の発端は外部電源、緊急電源、給水、計装機器、配管など原子炉以外の設備から起こっているのに)他の一般学科の教授、とそれこそ全く素人の地域代表。
これで本当の事故調査が出来る訳ありません。
彼らは事故発生後の混乱の批判で作られた空気で報告の多くを事故後の処理の拙さに当てました。
「原子力村」批判の中で作られた原子力規制委員会による、原発前提の再開の前提となる安全基準の作成に、事故調査委員会の報告は殆ど役にたってないと思います。
その混乱の中で一番現場を知っているそして原発の怖さ一番身に沁みて感じている原発の運転、保全関係者は完全な蚊帳の外。
これで物事が上手く進む筈はありません。
正に政府や国会がまでがマスコミやネットで貼られレッテルや、作られた空気に動かされて来たのが今までの事故後の処理でした。
私たちは原発問題だけでなく全ての点で「プロの見解を重んじ」て「ポピュリズムの罠」に嵌まらないように注意すべきと思います。
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