残る人生も余り多くはありません。ボケ防止のためになるならとブログを始めて1年が過ぎたことには驚きました。
最初は「年寄りの冷や水」、いつまで続けられるかとの迷いが先に立ったものです。1年経った今はブログを書き続けてよかったとつくづく思っています。
この間には思わぬ気づきがありました。
最初のころは持ち駒も多く、すいすいと楽な気持ちで投稿することができました。だが、回を重ねるごとに持ち駒がなくなり、PCの前で頭を抱える日が多くなったのです。
ブログは毎日続けることが大切とあります。よくわかっています。だが、何を書けばよいか迷った時の苦しさは格別でした。ベットの中で目が冴えて眠れない日もありました。(デメリットでしょうか)
自分の文のつたないこと、文章のまずいこと。それに手持の語彙の少ないこと。文法、漢字、古事ことわざの知識が不十分なこと。足りないものばかりです。そのブログ日ごとに文調が変わります「ます調」になったり「文語調」になったり、哀れなものでした。
また、若者たちの新しい言葉にも悩まされたものです。若者言葉の変わり身の早いこと、早いこと。到底ついて行くことが出来ません。さらに、日常生活にあふれるどこの国の言葉かまったく分からないカタカナ語。毎日のように新語が誕生し、新聞やテレビを賑わせます。
まったく自信をなくし、ブログを辞めようとそのチャンスを窺ったことが何回かありました。
その対策と言えるかどうか。毎日のテレビや新聞で出ているカタカナ語、知らない言葉、若者語はその場でメモし、PCにその日のうちに残します。暇にあかせその意味を調べます。その整理がまた一仕事です。我が家のパソコンに新しくカタカナ語のページができました。新語辞典もできてその語数がだんだんと増えていきました。
さらに送り仮名、迷うことがしばしばです。人の知識はあやふやです。疑問になったら必ず辞書を引きます。引いた場所はピンクの蛍光色でマークします。1年もたてばどのページにも、1つくらいはピンクのマークがつきました。
ブログを書くことによるメリットは沢山あります。素晴らしいことが沢山ありました。箇条書きにしてみますと
1 国の政治や社会の出来ごと、経済情勢に強い関心を持つことが出来ました。保険や年金、医療、育児など巾広い分野についても関心が深まりました。
2 国際情勢の知識が増え、自分自身の問題としてとらえようとする意欲が出てきました。
3 哲学や宗教について、特にイスラムについておぼろげだが知る機会が増えました。
4 日本という国がこれからどう進むのか。年を取ったからと言って無関心ではいられなくなりました。
5 新聞やテレビのニュースなどから新鮮な知識を今まで以上に得ようとする意欲が涌いてきました。
6 読書の時間が大幅に増えました。
ETC。
毎日が日曜日!と言って安穏に過すことがないように。
「いくつになっても勉強は大切だよ」と毎日欠かさず書くブログは、いつまでも私の成長を促すことでしょう。
この1年を振り返ると、年をとってもさらなる勉強が大切。「新聞だけでなくもっともっと本を沢山読み、知識を広げなさい」と。「日々これ勉強ですよ」とブログが教えています。