「魔法のフライパン」を初めて知ったのは昨年6月の新聞記事。
【厚さ4~5ミリが常識とされる鋳物で、1.5ミリの魔法のフライパンを開発し世界デビューする鋳造会社社長】だった。
その記事を引用させて戴く。
三重県木曽岬町にある従業員7人で、工業製品の部品の下請けだった。バブル崩壊後、メーカーから「かわりはいくらでもいる」と切り捨てられた。そんな時、新聞の言葉が目にとまった。「3分の1の価格競争で戦うか、3倍困難な技術で戦うか」。鋳物フライパンの薄さを極めると決めた。試作をくりかえすこと9年、鉄や炭素の配合ミスによる偶然で「1.5ミリ」が生まれた。試作品を使った有名レストラントのシェフは「鉄板、フッ素樹脂に続く第3のフライパン革命と絶賛した。熱伝動にすぐれ、焼きむらができない。注文が相次いだ。
昨年6月24日に投稿の私のブログ「魔法のフライパン京都へ」に書いているが、肥後のことばで「新しいものをいつも欲しがる人を“わさ(早稲)もん好(ず)き”」という。まさにこの私“わさもんずき”。
早速、その会社をPCで探して「魔法のフライパン」を購入した。注文するのが早かったのか1週間くらいで「魔法のフライパン」は我が家の一員となった。それを使った“うちの奥さま”喜ぶこと喜ぶこと。使い勝手が良く、料理は早く仕上がり料理のおいしさが抜群と。「ありがとうさん」と久しぶりにおくさまからお誉めの言葉を頂いた。
ところが京都の大学に入学予定の孫が入学祝に「魔法のフライパン」が欲しいという。“うちの奥さま”そこで「また購入すればよい」と、残念そうに魔法のフライパンを京都へ嫁がせた。
その後すぐに2代目の「魔法のフライパン」の注文を出した。早速「ご注文ありがとうございます。」とメール届いた。ところが納品は30カ月後とある。びっくり仰天、2年半後に自分達もどうなっているか分からない。それからは暦を繰りながら「魔法のフライパン」の到着を待つ日々だった。
待ちくたびれてもう忘れ掛けていた昨日、「魔法のフライパンは料理の本場、フランスで大人気。製造が間に合わずご迷惑をお掛けしました」とメールが届いた。
“うちの奥さま”大喜び。2代目の「魔法のフライパン」が我が家に着くのは何時になるだろう。待ち遠しくてならないようだ。発送予定は30カ月後だったが、待ったのは18カ月。なんだか嬉しくて仕様がないようす。大切に使いましょと夫婦の会話もその夜、格別に弾んだ。