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「勤労感謝の日」は父の命日

2014-11-23 21:24:07 | 日記

  11月23日は勤労感謝の日。戦前からの新嘗祭(にいなめさい)が戦後改められたのが勤労感謝の日だ。

  新嘗祭は太平洋戦争の敗戦により、GHQの占領政策の一環で天皇行事・国事行為とされ切り離される形で廃止された。農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があり、その年の収穫物は国家としても、それからの一年を養う大切な蓄えとなることからも、収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代から面々と続いてきた行事である。

  1948年(昭和23年)に公布・施行された勤労感謝の日は「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日」とある。

  しかしこの日は私たち一家にとって忘れることのできない暗い想い出の日でもある。2年前のこの日、父が心臓麻痺で一晩だけ苦しみあっけなくこの世を去っていったのだ。享年37歳、あまりにも早い死だった。

  太平洋戦争がやっと終わり1年が経過し、猛烈なインフレが襲ってきた年。食糧は不足し、お金の価値が日に日に下がる超インフレの中で、残されたのは母と、当時13歳、工業学校2年生だった兄を筆頭に4人の兄弟、それに父の母の6人。途方に暮れる長い苦労の生活が始まった。まだ若かった母の苦労は大変なものがあった。その母も既にこの世にいない。

  今年は結婚してから50年。傘寿を迎える。ところが先月、思わぬ病気と自動車事故で体調を崩し入院となってしまった。まだ貧血気味だが父の生月命日。暖かい小春日和に誘われ、海の見える小高い丘の上のお墓に“うちの奥さま”と一緒にお参りした。亡き父や母の墓前を掃除しながら、父なきあとの沢山の思い出が走馬灯のように走り過ぎて行った。

  お参りの後、墓前でお酒の好きだった父に供えた1合コップのお酒で乾杯した。多分父も天国で母と一緒に喜んでいることだろう。少しのお酒だったが酔いがまわってきた。

  ふと考える。あと何年生きることができるだろうか。来年もまた今年のように夫婦連れだってお参り出来るだろうかと。不安ばかりが増してくる。