志情(しなさき)の海へ

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動物愛護センターから引き取られたウルトラマンタロウは痩せていて、血も吐いた!

2012-03-06 17:50:55 | 動植物
           (元気を取り戻しつつあるウルトラマンタロウ)

いきなり痩せた太郎は愛護センターに三泊したのである。捕獲された他の犬と一緒に入れられていた。これらの犬たちは5日間据え置かれ、飼い主が引き取りにこないと処分されるのである。

「死刑囚といっしょだね」と若者が言った。殺される前に連れ戻されるのは10頭に一頭だという。「それにしても5日は短いよね」とさらに言った。「せめて1週間でも拘束して待ったらいいのにね、それにネットで情報を流していることも、もっとみんなに知らせなければね」と彼。

犬を食料にする中国や韓国では捕獲された犬は食用にするのだろうか?いずれにしても動物を食して生きている人間がいることは確かで、ペット用の犬や猫が捨てられ殺されるという今の制度があり、それに対して動物愛護協会やボランティアサークルなども頑張っているようだが、捨て犬や捨て猫は後を絶たない様子である。生きることの原罪のような痛みが走るのはその通りで、生きることは食べることであり、食べないと死ぬ。捨てられ殺されるペットがいてそれらのペットを食にする国々がある。

犬猫を食にする文化圏を忌み嫌うことも矛盾している。「殺すくらいならまだ食料にするのがいいのかもしれないね」の若者ことばも単純に否定できない。子猫を崖から捨てて殺したと発言した作家がいて【?】世間の顰蹙をかったことがあった。生き物を可愛いと思い溺愛する文化がある一方で人間社会の規範に合わなくなり、監視社会の管理のシステムにそぐわない存在の在り方、統治システムの合理性や適合成にそわない存在は人間もあらゆる生き物もまた抹消の対象になりうる。飼い主の身勝手さで犬猫が捨てられ殺されることが多い。また人間が同じ人間を大量に殺戮してきた戦争は現在に至るまで続いている。(一方、人間は自ら自殺する。それは自己処罰のような殺人なのかもしれないし、国のシステムに殺されていることになるのかもしれない。生きる(生きれる)システムがどこか破綻しているゆえとも言えるのだろうか)

文化システムと慣習の違いがある。犬猫を食とする国や地域とまったく犬猫ではなく豚や牛を食べる文化があるが、犬猫を食さない文化が優秀な文化だと自認する国や地域もある。猿やワニを食する国も地域もある。鳥やウシはOKでイルカやクジラはだめの文化圏(キリスト教圏だけではなく)もある。豚は不浄で食さない文化があり、愛らしい子羊をたくさん食する文化圏もある。


元に戻ると、隣で今犬が吠えている。人間と共生している犬猫との生き方もそれなりの規制があり、その規制にそぐわないと哀れな結末が待っている。生きることのきつさがそこにまたある。生きることの厳しさや痛みがそこここに満ちている。余裕のある人間とそうではない人間に真っ二つに引き裂かれる人間界があり、その狭間でペットの犬猫もまた運命が左右されているということかもしれない。単に人間の慾が問題なのか?犬の歴史を調べたくなった。(ゴーストタウンの街でウシが草を食う日本!)
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犬食文化としてWikipediaは詳細を紹介している。犬を食とする文化はアジアだけではなく、フランスでも!

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