「沖縄タイムス」「琉球新報」両新聞で取りあげられた「琉球舞踊国指定重要文化財保持者認定」に関する問題について、琉球舞踊研修修了生(沖縄県無形文化財沖縄伝統舞踊保持者)からの嘆願書が出されています。嘆願書は文化庁長官、沖縄県知事、沖縄県教育委員会、教育長、琉球舞踊保存会会長宛に出されたものです。事態の詳細が分らないので、関係者に連絡して入手した「嘆願書」をご紹介したいと思います。
以前真喜志康忠氏から氏が1986年(昭和61)に63歳で、国指定重要無形文化財「組踊」保持者として認定されたいきさつをおうかがいしたことがあります。沖縄県から推薦された候補者の中に真喜志康忠の名前は当初なかったとのことです。氏を保持者にあえて推薦したのは矢野輝雄さんだった、とお聞きしました。その事例からしても、沖縄県が候補者として推薦された方々のリストが賢明な審査員の目から厳しく問われることは確かなことかと、推定できます。
沖縄県あるいは琉球舞踊保存会が候補者として内定されている方々がどなたで、その方々と、今回嘆願書を出されたみなさまとの芸暦や実績の差異はどうなのかも気になるところです。このブログで「嘆願書」を読まれるみなさんのご意見もおうかがいしたいです。
嘆願書を受け取られた文化庁、沖縄県教育委員会・教育長、琉球舞踊保存会会長が、真摯に嘆願書を受け止め、選考のあり方を再考し、「玉城盛重」1系統の偏りを含め是正されることを希望します。どうも「沖縄タイムス」と「琉球新報」系統でも琉球舞踊の手や型に違いが生じているのですね。その場合、沖縄タイムス系統の流派と琉球新報系統の流派にさらに分かれた候補選考がなされているのでしょうか?「どこへいく沖縄伝統琉球舞踊」ですね!火の無いところに煙は立たないのことわざのように、問題があるからこそ紛糾しているかといえます。公の目に晒されても公平で納得がいく選考がなされることを、第三者として念じます。
公金が投入されているのにもかかわらず
県は指導しなかった
島元先生が新聞で警鐘をならしたのにも関わらず
県は指導しなかった
保持者推薦事業で何が行われたか
結果どうなったか
悪意ある排除によって選考から外された先生方がどれだけ苦しんでいるか
なぜ、公共事業の伝承者養成事業で他流儀の弾圧が行われているのか
なぜ、県の先生方は立ち上がったのか
琉球芸能の希少な技が、豊かな世界が失われようとしている
国の保存会、沖縄のマスコミ、県の文化財課の三つは共犯
コンクール形式の保持者推薦事業を提案したのは誰だ!!
アリバイ作りの保持者推薦事業を提案したのは誰だ!!
県文化財課の責任が一番重い
マスコミの良心は殺された
沈黙したまま
今、真実は闇の中
本当にこれでいいのか?
二人の指導がないと補助金の流用は出来ない。島元先生とのやり取りからも明らかだ。さらに琉球舞踊保存会の歯止めとなっていた島元先生を担当から外し、パワハラで追い詰めた。
結果として萩尾前課長、野原前班長は琉球舞踊保存会に資金的な援助を行い、行政的なお墨付きを与えた。二人がいなければ琉球舞踊保存会は保持者候補者を選ぶのに第三者を排除した歪なコンクールが出来なかっただろう。そして、流儀間の憎しみの炎に油を注ぐこともなかった。
口車に乗った国の保存会の先生方は許されないが、影で指導していた萩尾前課長、野原前班長も決して許してはならない。
補助金の不正流用によって行われた不当なコンクールが、誰の指導によって補助金が流用されて資金源になり、大御所が気に入らない人間を排除するためにどのようなこと行われていたかを、身内の噂話ではなく公にしなければならない。
真実が明らかになることは、憎しみの炎を小さくし、若い世代の希望の灯りとなる。
そして、琉球舞踊の全ての流儀を身を挺して守ろうとした島元先生に報いることだ。
ただし、誰でも公に出来るわけではない。舞踊家として真摯に琉球舞踊に向き合いながらも今回の候補者選定コンクールで不当に排除された人物でなければ、多くの人に共感を与えることは難しいだろう。
こんな酷い見解、公式に発表すると完璧にアウトです。
この見解は、担当課内で上司や同僚あての報告としての情報なので、公式見解には出せない「本音」でしょう。
さらに当時の萩尾課長や野原班長は、問題を指摘した県の伝統舞踊保存会にわざわざ足を運び、自主的に会を解散するように指導しています。自分たちにたてつくめんどくさい団体はつぶしてしまえということでしょう。
積極的な行政の職務怠慢です。
不正を指摘して陳情書を県に提出した先生方が私利私欲で動いたことになっています。
どちらが私利私欲でしょうか?
祝賀ムードの中で、絶望している人がいることを想像するだけで胸が痛みます。
だからこそ、追加認定問題を風化させないため訴え続けることが大事です。
県文化財課は恣意的な保持者の追加認定、補助金の不正流用、パワハラによる人権侵害など、本来であれば当時の萩尾課長や野原班長などの責任者の首が飛ぶほどの不正を今でも隠蔽しています。
文化財課では問題が何一つ起こっていないことになっています。
起こっていない問題は解決する必要がありません。
前に進むためには、教委育委員会に問題を問題として認めさせ顕在化させる必要があります。
問題が社会一般に顕在化してはじめて教育委員会に行政としての責任をしっかりと負わせることが出来ます。
当然、教育委員会は問題を隠蔽した当時の萩尾課長、野原班長を処分する必要に迫られるでしょう。
さらに教育長は島元先生へ正式に謝罪し、先生の健康状態が許すなら担当に復帰してもらいたいです。
勇気ある投書をした島元先生の名誉回復です。
島元先生の復帰が難しい場合は芸能に詳しく情熱のある専門職員を新規に採用します。
文化財課の組織が正常化してはじめて、芸能の伝統と未来について行政と実演家、学識経験者が話しあう。というのが理想のロードマップでしょうか。
その時は今回の不正に関わっていた人が自己弁護やアリバイ工作をしないように、候補者選考に関わった保存会役員(会長、副会長、事務局長)、保存会顧問、文化財課現担当、旧担当(島元さんの出席が可能なら)、外部の有識者(大城學先生、当間一郎先生、狩俣恵一先生等)に集まってもらいたいものです。
これくらいやってもらわないと文化財課、さらに国の保存会を正常化することは出来ないでしょう。
恣意的な保持者の追加認定には指導すべき県文化財課(萩尾課長・野原班長)が積極的に関与していました。
ダメなものはダメとケジメをつけなければ、今後、国の保存会はますます一部の人の利益供与組織に成り下がってしまうでしょう。
琉球舞踊問題は誰を顕彰したかどうかという個人の問題ではなく、後世に残す必要がある琉球舞踊の技を見極めていく過程で不正が行われたという、沖縄の芸能、ひいては文化全体におよぶものです。
だからこそ流儀をこえて、心ある芸能家が大同団結し、芸能のために声を上げた信頼ある人物の知恵を借りこの問題を社会に明らかにし、個人の問題から琉球舞踊、そして沖縄の文化の問題にしていく必要があります。
こんな酷い見解、公式に発表すると完璧にアウトです。
この見解は、担当課内で上司や同僚あての報告としての情報なので、公式見解には出せない「本音」でしょう。
資料⑩の31ページにあります。
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/462a79ec997192f2fc83eed51e34ef1c
こんな酷い見解、公式に発表すると完璧にアウトです。
この見解は、担当課内で上司や同僚あての報告としての情報なので、公式見解には出せない「本音」でしょう。
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/462a79ec997192f2fc83eed51e34ef1c
選考者に親しい特定少数の関係者が序列のような順番で受賞していませんか?
選考委員(?)を公開した方が良いのでは?
先生方の嘆願書について、県の教育委員会は、「具体的に」どのような指導助言を行なったのか。説明を求めてはどうでしょう。ポイントは、あくまでも「具体的に」です。県議会で、「今後とも適切な指導助言を行う」と教育長は、仰っています。口だけならなんとでも言えます。「今後とも」ですから、「今も」適切な助言を行なっていることになっているんで、「実際にはどのような指導助言」を行なっているのか。回答を求めたらどうでしょう。
技量も生き方も凄い方々が無造作に外されてます。
unknownさんは、あえて逆説的な言い方をしている気がします。
確かに、識者の寄稿は、一般の方々がそう思ってもしょうがない内容だなと私も思います。
私は識者の「期待と必要性を加味」という言葉より「厳選なる審査の上で」という言葉の方が気になります。
今回の不透明で不公正な選考に、この顧問も加担していることを表明しているからです。
としか思えんな。有識者の話から思うに、認定されなかった人達は本当に最悪な技量と実績なんだろうな。
大城學は沖縄タイムス(平成29年7月22日)に書いた。
「保持者は厳選な審査の上で、期待と必要性を加味されて認定される経緯がある」。
なんだ?「期待と必要性を加味」って何?しまーの俺にも分かる日本語で書いてくれ。今回認定されなかった方々は、期待も出来なければ必要もない方々な訳?
田中英機も沖縄タイムス(平成29年12月26日)に書いた。
「(保持者の認定は)芸と技の質と水準の高さ、優秀性(これもどういう意味?前に書いてある「質と水準の高さ」とどう違うの?俺が頭悪いだけ?)を問う難しさがあった」。
どういうこと?今回認定されなかった方々は、芸と技が水準満たしてなくて優秀性(?)にも疑問があるってか?
文化庁は特に認定する保持者の人数を限定してないって新聞に書いていたから、人数の枠があって惜しくも僅差で認定されませんでしたということにならないさ。
落ちた先生方は、期待も出来ないし、必要でもないし、芸の水準も低くて優秀でもないってか?散々だね。他にも「芸道の志に生き」ってあったな。あんたらには見て分かるんか志があるかどうか?ふざけるなよ。
先生方を馬鹿にして傷つけるこの有識者どもは、独りよがりでエコひいきの腐れ保持者どもより、もっともらしいけど意味分からん言葉使ってる分たちが悪い。
こんな有識者だったらいらん。どっか行ってくれ!
今読み返しても、至極真っ当な主張、要望だと思います。先生方の切実な思いはどのくらい今回の認定に反映されたのでしょう?一番肝心なのが、1系統だけでなく他の6系統総てにも目を向けてくれという思い。結局玉城盛重1系統のみでした。前回認定されて保持者になった方々は全員盛重系統らしいから、今回の認定のこの結果に文句ないのでしょうが(情けない)。
沖縄県はどう考えてる?他の6系統はなくなってもいい訳?これは県の指導の結果ですか。
県議会の答弁では考えてるふーじーだったけど、言ってることと、やってることが違う。
技倆の問題なら、前回の認定も今回の認定も、スゴイ人はスゴイけど、「大丈夫か?」という人も入っている。そんだけゆるいものなら、技倆よりもまず、その技がなくならないことを優先すべきでは?
技がなくなったら、どっちが上手かと意味ない。
みんな自分のしんかは大事だけど、他の人も大事にしないとだよ
踊りのエライ先生なんかも、自分のしんかーだけひいきしてたら、おもこーねーらんどー」
やいびーさ。おもこーねーやびらん。
県内某のシーシしんかぁとしては、「わったー村のシーシが1番じょ~と~!」と言うしそうは思うけども、他のに同じシーシをやれとは思わんよ
自分がのシーシが大事なのと同じで、他ののシーシしんかぁも、自分のとこのシーシを大事にしてるはずさーね
子供が見るテレビの歌で、みんな違ってみんないいって言ってたけど、踊りもみんな違ってみんないいってことよ!
踊りの先生たちも、いろんな踊りを大事にしたらいいのにと思うわけさ
みんな自分のしんかは大事だけど、他の人も大事にしないとだよ
踊りのエライ先生なんかも、自分のしんかーだけひいきしてたら、おもこーねーらんどー
同感です。
「沖縄文化の多様性は奇跡だ」の評価を考慮してほしいですね。思うに戦後は型の統一がなされ、玉城流、真境名流、宮城流、親泊流、島袋流などほとんど同じ手並みではないでしょうか?違いが明瞭ではないですね。むしろ戦前の渡嘉敷系統、新垣松含系統、金武系統、他に異なる手があったと云えるでしょうか。そうなると現在の保持者には差異がないということになりますので、それらの流派の代表が国の保持者になってもおかしくないですね。同じ流派系統が5つも並んでいるのですから、おかしいですね。
沖縄タイムスを中心に型が統一されたのですよね。その型からすると上に挙げた皆さんは同じということになりますね。傍系になった流派から国の保持者を出してほしいですね!型の違いも明瞭に提示すべきですね。どう異なるのか、その魅力はどこにあるのか、ですね。
現在沖縄タイムス系と琉球新報系に型の小さな違いがあるのでしょうか?その差異があるなら、それらを明瞭に示してほしいですね。どこがどう異なるのか?戦前は全く同じだったのか?
どうも近代の66年間の型なり手はかなり変容してきたのですね。現在の琉球舞踊は戦後の「修正バージョン」だといえるのかもしれませんね。2017年は戦後72年目です。戦後の変容が、固定化した型になっているのだと推察できますがー。
玉城盛重系統に比べて、渡嘉敷流と松含流の型の違いが知りたいですね。玉城流と全く同じではないはずですね。差異のない5つの流派の代表が多いことは、問題になります。ユネスコの無形文化遺産は危機的状況にある無形文化財の保護です。それからすると、国の無形文化財保護も危機的な状況にあるマイナーの流派の保護をすべきということになります。
するとおのずと多数派の論理ではなく、小さい流派ながら貴重な戦前からの型を継承している流派の保護をしないといけないというのが「理」になりますね。
保持者の選考基準等が曖昧かつ不透明な点、一つの流派(でいいのかな?)に片寄った推薦という不公平な点等々を含め、素晴らしい多様性を持った沖縄の誇るべき芸能文化が、一部の人達の名誉欲に利用され、破壊されかねない事だと思いますね。
沖縄文化のスゴいところは、この小さな島々それぞれに個性的な文化と歴史があり、その違いを認めあって切磋琢磨し合って築き上げた多様性妥当思います。
ある外国の大学教授も、沖縄文化の多様性は奇跡だと称賛していました。
自分はそれを耳にしたとき、ますます沖縄文化を誇りに思えました。
その代表とも言うべき琉球舞踊が、一部の人達に支配され、その名誉に利用される様な事態を招くことは、沖縄大好き地元民としては、許しがたい事だと感じてます。
沖縄の各地域に伝わるエイサーや獅子舞が、全部同じ踊り方になったとしたらどうでしょうか?面白いですか?ワクワクしますか?
もしそうなったとき、恐らくその魅力は今の10000分の1にも満たないと思います。
観光客も皆さんにも、いつかは飽きられてしまうことでしょう。
琉球舞踊が魅力の無いものになるかどうか、今、本当に正念場なのかも知れませんね。
戦禍にも絶えること無く残された琉球舞踊をはじめ沖縄文化は、一部の人や、流派、会派の占有物ではなく、名誉欲を満たす道具類ではありません。どの文化も、沖縄の先人達の血と汗とで築き上げられた、沖縄全体の宝物だと思います。
素人が長々と申し訳ありませんでしたが、皆様もちょいと考えてみてください。