…… 池 千之助   信州ありふれた普通便 ……。

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信州・真田十万石の城下町 松代城の春は、もうちょっと先かァ~~~~!

2021年03月21日 | まち歩き

  昨日20日(土)は、春分の日で、お彼岸の中日でしたね。多少薄曇りのところもあったようですが、おおむね晴れ日で、お墓参りをなされた皆さまも多かったと思われます。

 

 

  ブロ友さんなどは、この時期の美味しそうな「春=ぼたもち」(秋=おはぎ)の画像を載せていらっしゃって、甘いもの好きな私ですので、食べたくなりました。

 

 

  よく、「暑さ寒さも彼岸まで……!」という言葉があるように、徐々に春を感じるようになってきました。

 

 

  こちら長野は、先週は暖かな日が続いていましたが、新型コロナ感染では市内の某事業所でクラスターも発生し、長野県独自の感染警戒レベルも「注意報」から「警 報」にワンランクアップになりました。

 

 

  1都3県の緊急事態宣言が今日21日で解除となりますが、大勢の方達がリバウンドを恐れているようですね。

 

 

  こんな状態ですと、東京オリンピックやパラリンピックも暗雲立ち込める感じにもなりそうで、心配です。

 

 

  さて、今日の画像ですが、先日16日、こちら信州・長野の真田十万石の城下町「松代城」の桜の様子を見に行って来たので、それをご紹介させていただきます。

 

 

photo   1   二の丸南門から太鼓門を臨む

 

photo   2   前橋と太鼓門

 

photo   3   前橋と太鼓門

 

photo   4   太鼓門

 

photo   5   太鼓門から本丸址を臨む

 

  殆んどが桜の木ですが、3月16日の状況でした。

 

photo   6   本丸内址

 

photo   7   桜の蕾

 

photo   8   梅の蕾

 

 

  そして、珍しく本丸内に建っている「海津城」の石碑を撮ってきました。

 

photo   9   「海津城」の石碑

 

 

  この松代城は、1622年(元和8年)に真田信之公が上田から松代に移られて、明治時代まで真田家の居城になっていましたが、その昔1560年代には、甲斐(山梨)の武田信玄公の居城として、北信濃を制する目的で造られたと聞いています。

 

 

  武田信玄公の家臣の高坂弾正や軍師:山本勘助などが手掛けた城だと言われています。

 

 

photo   10   戌乾亥櫓(いぬいやぐら)の石垣

 

  現在は、この戌乾亥櫓(いぬいやぐら)石垣の上には鉄柵が張り巡らされていますが、私が子供の頃にはこれがなく、画像右下の石垣から上に登って冒険遊びをしたものでした。

 

 

  子供の頃は、全く怖さはありませんでしたが、現在はそんな気持ちはサラサラ起きません。

 

 

photo   11

 

photo   12   二の丸・東不明門橋

 

photo   13   カモの家族?

 

photo   14

 

 

  松代城をひと回りして撮ってみた感じで、お見せしたい処はまだまだ沢山ありますが、また桜が満開になる頃に行きますので、その時にでもと思っています。

 

 

  桜と云いますと、先日も、こちら信州・長野県の南部地域の飯田市の天龍峡(てんりゅうきょう)など、ソメイヨシノの開花が発表され、徐々にこちら北信地域にもそれが移って来ると思われます。

 

 

  春の桜を楽しみにしたいと思います。

 

 

 

 

  本日もこのブログにお立ち寄りいただき有難うございます。感謝申し上げます!

 

 

 

 

 

 

 

 



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