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「江戸の骨は語る 甦った宣教師シドッチのDNA」(篠田謙一著/岩波書店)を読んで切支丹屋敷跡を散策(2018.6月)
イタリア人の宣教師シドッチ ご存知ですか? 実は鎖国時代の日本に単身乗り込んだ宣教師とのこと
その遺骨が最近発見され DNA鑑定でシドッチだと認定されたという本「江戸の骨は語る 甦った宣教師シドッチのDNA」(篠田謙一著/岩波書店)を読みました
文京区にあった切支丹屋敷には 切支丹狩りで捕らえられた宣教師や信者たちが収容されており 生涯閉じ込められていたそうです
その調べにあたったのが かの新井白石とのこと
シドッチの博学に舌を巻き 彼の地理文物にいたく感心を寄せた白石は 尋問をもとに「西洋紀聞」を書いたのだそうです
この遺骨がシドッチのものと判定されても 国際問題等を恐れて公開したがらず それでもこの発掘の成果が評判になり 公の展示も考えられているとのこと
このシドッチの顔の復元図はとても威厳に満ちた表情で惹かれますね
本には 「シドッチ発見の意義」として こうありました:
DNA鑑定をして 高校教科書にも載るような歴史上の人物だとつきとめたが その意義は?
彼が実在し 荒井白石と話し 1714年に切支丹屋敷で亡くなったのも歴史上の事実であり 遺骨の発見はそれを裏付けるものだが 歴史を覆す発見というわけでもない
それでも遺骨発見のニュースには心震わせるものがあるし また今回の発見から新たな謎(埋葬の状態から当時の状況を探る等)も生まれることとなった
雨の中 この本を読んだ家族がこの文京区小日向界隈に散策に行き シドッチの人骨が出土した小日向一丁目東遺跡(小日向一丁目23番地、丸ノ内線茗荷谷駅から10分)を見に行きました ここは 東京都指定の史跡「切支丹屋敷跡」です
* * *
島原の乱(1637~1638)の5年後、イタリアの宣教師ペトロ・マルクエズら10人が筑前に漂着、すぐに江戸送りとなり伝馬町の牢に入れられた。
その後、宗門改役の井上政重の下屋敷内に牢や番所などを建て収容したのが 切支丹屋敷の起こりである。
寛政4年(1792)の宗門改役の廃止まで続いた。
鎖国禁教政策の下で、宣教師や信者を収容した。
宝永5年(1708)イタリアの宣教師ヨハン・シドッチが屋久島に渡来し、切支丹屋敷に入れられた。
徳川6代将軍家宣に仕えた新井白石はシドッチを尋問し、『西洋紀聞』にまとめられた。
切支丹屋敷跡(文京区HPより)
「江戸の骨は語る 甦った宣教師シドッチのDNA」は こちら
(解剖学的な記述が多い本です)
* 長崎の教会群とキリスト教関連遺産が世界遺産になった年に こうした発見があるのも何かの縁ですね...
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イタリア人の宣教師シドッチ ご存知ですか? 実は鎖国時代の日本に単身乗り込んだ宣教師とのこと
その遺骨が最近発見され DNA鑑定でシドッチだと認定されたという本「江戸の骨は語る 甦った宣教師シドッチのDNA」(篠田謙一著/岩波書店)を読みました
文京区にあった切支丹屋敷には 切支丹狩りで捕らえられた宣教師や信者たちが収容されており 生涯閉じ込められていたそうです
その調べにあたったのが かの新井白石とのこと
シドッチの博学に舌を巻き 彼の地理文物にいたく感心を寄せた白石は 尋問をもとに「西洋紀聞」を書いたのだそうです
この遺骨がシドッチのものと判定されても 国際問題等を恐れて公開したがらず それでもこの発掘の成果が評判になり 公の展示も考えられているとのこと
このシドッチの顔の復元図はとても威厳に満ちた表情で惹かれますね
本には 「シドッチ発見の意義」として こうありました:
DNA鑑定をして 高校教科書にも載るような歴史上の人物だとつきとめたが その意義は?
彼が実在し 荒井白石と話し 1714年に切支丹屋敷で亡くなったのも歴史上の事実であり 遺骨の発見はそれを裏付けるものだが 歴史を覆す発見というわけでもない
それでも遺骨発見のニュースには心震わせるものがあるし また今回の発見から新たな謎(埋葬の状態から当時の状況を探る等)も生まれることとなった
雨の中 この本を読んだ家族がこの文京区小日向界隈に散策に行き シドッチの人骨が出土した小日向一丁目東遺跡(小日向一丁目23番地、丸ノ内線茗荷谷駅から10分)を見に行きました ここは 東京都指定の史跡「切支丹屋敷跡」です
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島原の乱(1637~1638)の5年後、イタリアの宣教師ペトロ・マルクエズら10人が筑前に漂着、すぐに江戸送りとなり伝馬町の牢に入れられた。
その後、宗門改役の井上政重の下屋敷内に牢や番所などを建て収容したのが 切支丹屋敷の起こりである。
寛政4年(1792)の宗門改役の廃止まで続いた。
鎖国禁教政策の下で、宣教師や信者を収容した。
宝永5年(1708)イタリアの宣教師ヨハン・シドッチが屋久島に渡来し、切支丹屋敷に入れられた。
徳川6代将軍家宣に仕えた新井白石はシドッチを尋問し、『西洋紀聞』にまとめられた。
切支丹屋敷跡(文京区HPより)
「江戸の骨は語る 甦った宣教師シドッチのDNA」は こちら
(解剖学的な記述が多い本です)
* 長崎の教会群とキリスト教関連遺産が世界遺産になった年に こうした発見があるのも何かの縁ですね...
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企画展では発掘の状態などを記した小冊子を配布していましたが、書籍化されていたとは知りませんでした。書店で探して読んでみようかと思います。
こちらは企画展のことは存じ上げませんでしたが 新聞の書評欄でこの本のことをたまたま見つけました
ただこの本は 歴史的なことよりも 解剖学的な記述が多めです
そちらの記事もまた読ませていただきますね!