セミナー「古代美術とローマ市民ーー教皇シクトゥス4世の寄贈からローマ首都宣言にいたるまでのカピトリーノ美術館」に行ってきました(2023.9.13)@イタリア文化会館
ようやく涼しくなりかけた9月 ひさびさにイタリア文化会館に行き クールでポップでちょっとレトロな都会感覚を日本人&イタリア人のコミックアーティストが描いた「TOKYO ARTE POP トーキョー・アルテ・ポップ──江口寿史×ルカ・ティエリ展」を見てきました
開催中の「トーキョー・アルテ・ポップ」展
作品の数々💕
そのあと 6時からのセミナー「古代美術とローマ市民 ――教皇シクストゥス4世の寄贈(1471年)からローマ首都宣言(1871年)にいたるまでのカピトリーノ美術館――」を聞いてきました
ちょうどこの土曜日からの「永遠の都ローマ」展(東京都美術館/上野)開始に合わせての開催で 会場は満席も満席です!
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立教大学文学部の加藤教授による「イントロダクション:象徴的な場としてのカピトリーノ」に続いて ローマ市文化財監督官プレシッチェ氏の専門的な内容のセミナー「古代美術とローマ市民――教皇シクストゥス4世紀の寄贈(1471年)からローマ首都宣言(1871年)にいたるまでのカピトリーノ美術館」を聞きました
イントロダクションでは 古代における政治・宗教の中心としてのローマとして 7つの丘 紀元前の神殿の数々 カピトリウム*はキャピタルの語源 西暦78年にTabularium/タブラリウム(古文書館)の跡が発見されたこと等を伺いました
* ローマの7つの丘の1つ、カピトリーノの丘に建つこの美術館は 一般市民に公開された美術館としては世界最古のものと言われています
カンピドリオ広場の奥正面は市庁舎 右にはパラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリ(コンセルヴァトーリ宮殿) 左にはパラッツォ・ヌオーヴォ(新宮殿)が建っています (Wiki)
ユピテル神殿は キリスト教の広がりとともにやがて機能を停止し破壊されたこと 古代建築の再利用について 初期中世においては 巡礼者のランドマークとなったことなど
そして世界的にもっとも古い美術館の一つに数えられるカピトリーノ美術館のはじまりは ルネサンス時代の教皇シクストゥス4世 Papa Sisto Ⅳ(本名フランチェスコ・デッラ・ローヴェレ(Francesco della Rovere)が 1471年にローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことにさかのぼることを伺いました
そして このカピトリーノ美術館とフォロ・ロマーノを天正遣欧使節が訪れ また岩倉使節団が訪れてから今年が150周年であることも知りました
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続く ローマ市文化財監督官プレシッチェ氏のスピーチはとても専門的なもので 通訳の方は疲れも見せず秀逸でした😊
建物内部が美術館として公開されるようになるのは1734年 クレメンス12世の時のことでしたが (アルバーニ枢機卿から多くの美術品を買った) これは一般市民に公開された美術館としては世界最古の事例とされています
ピウス2世(Pio Ⅱ)が 古代遺跡を破壊することを禁じたこと その際 コロッセオの切り石を聖ピエトロ寺院に使ったことは免除したこと それでも古代遺跡の不正流出はあとを絶たなかったとのこと
ローマ誕生のシンボルでもある有名な雌オオカミ(la lupa)のブロンズ像は カピトリーノ美術館のコンセルバトーリオ宮(Palazzo dei Conservatori)に保存されています
また 今回のローマ展で展示される数々の作品についても 多くの写真とともにご紹介いただきました
棘を抜く少年(spinario)←人気で多くのコピーが作られたそうです コンスタンティヌス大帝の巨像の頭部(Colossale di Costantino I 下の写真)や ルーブルで発見された左手(同左) サビーニ人の略奪の石棺等々...
カピトリーノのヴィーナス(la venere capitolina)は 今回は東京会場のみとのこと...
コンスタンティヌス帝の頭部と手
パラッツォ・ヌオーヴォ(新宮)の再整備や語源(サピエンツァ)について
16世紀のカンピドーリオの丘*は マルクス・アウレリウスの騎馬像(statua equestre di Marco Aurelio)を中心に置いて作られたこと
* この丘の上にあるカンピドリオ広場は 16世紀半ばにミケランジェロの設計で整備されたもの(Wiki)
新しく彫像を創るのではなく 台座を創り名を刻むのが主な仕事となった コンセルバトーリ(保存修復家)の活躍等について
パラッツォ・ヌォーヴォ (新宮)の元の名はサピエンツァであること
外観も内部も機能性を保った合理的な建物であること 17世紀に44体の彫像を新たに買い付けたり エジプトの作品の部屋がある等の説明をいただきましたが ナポレオン時代に多くがフランスに流れてしまっていたそうです
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ともあれ カピトリーノ美術館は それまで個人宅にランダムに置かれていた貴重な古代彫刻等の作品を収め ローマの栄華を増し 若者に美術教育を施し 学術的・年代順に作品を展示することで 他の美術館のモデルとなっていったこと またグランドツアー等で 多くの美術を志す若者たちがこぞってカピトリーノ美術館を訪れたこと 18世紀に出された初のカタログの映像や アカデミア・ディ・サン・ルーカとのつながり等について
1838年にグレゴリウス16世が管理権を返還し 1871年にローマ首都宣言がなされ カピトリーノ美術館と命名されたこと等を 貴重な画像とともにご紹介いただき 割れんばかりの拍手とともに終了いたしました
この「永遠の都ローマ」展は カピトリーノ美術館の所蔵品を中心に 建国から古代の栄光 教皇たちの時代から近代まで 約70点の彫刻 絵画 版画等を通じて 「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介するものです
セミナー「古代美術とローマ市民」は こちら
参考: 「イタリアの都からローマのカピトリーノ美術館」(イル・チェントロのオンラインセミナー/2023.9.17)
このセミナーでは 講師のおすすめとして Centrale Montemartini という 元発電所に移動美術館を作り そのまま別館となった美術館をご紹介いただきました via Ostienseにあり少し離れています それと 昔はブロンズ像が多く金メッキ像はレアで4体のみだったとのこと
素晴らしいセミナーを開催してくださいましたイタリア文化会館様に心よりお礼申し上げます
* この後 吉祥寺LCIのセミナー「永遠の都ローマ」(10/22, 25)にも申し込んでおります😊 ← リポートは こちら
*プレシッチェ氏のインタビュー『「建造物にも集団的記憶」 「永遠の都ローマ展」監修者に聞く文化財保護』は こちら