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ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)

日本コンピュータクラブ連盟・日本霊能者連盟・日本占い師連盟各理事長・メイドリラク萌とカードカルト経営者 山本隆雄の日記帳

満開桜の中を通る三江線最高。石見川本駅に邑南スバイダーマンを発見。川本町長も車内であいさつ。沿線の人すべてが三江線に手ふり。人も渡れる第一江川橋梁を激写。明日88年の歴史を閉じます。

2018-03-30 14:02:11 | 三江線

石見畳が浦を見たあと、下府駅から、三次行に乗車。

11時53分浜田始発。12時34分江津発ですが、江津からの乗車では、立つことになるので、その一つ手前の都野津駅での乗車でもよいという考えを持っていました。
浜田から乗れば、窓側の良い席に座れると思っていましたが、下府からでは、希望の席(ボックス席の進行方向窓側)には座れないものの、席には座れると思っていました。
甘かったです。

車内は、満員。立ち客となりました。
ほとんどが三江線乗車目当ての乗客。
着席している乗客は、江津で降りそうにありません。

このまま、三次まで5時間近くの乗車となります。
考えると気が狂いそうです。
老夫婦が乗っていて、この夫婦は、江津で降りると踏んで、その前に立っていました。
車窓からは、波子の街並みが。

そして、ふと、少し離れたロングシートをみると、一席あいているではありませんか。
かばんは、そこ(通路)に置いたまま、人をかきわけ、その席に着席。
すると、隣にいた鉄オタが、「そこには、人がいますよ」と。
すると、隣にいたオジサンが「いいですよ」と。
そして、同行者に、私のカバンを持ってきてもらいました。
すると、そのおじさんは、私に同行者がいることを知ると、おつれさんがいるのですね。と言って、どうぞと言って、
立ち上がって、席を譲ってくれました。
奇跡が起こったと思われました。
佐々木家のご先祖様が、席を与えてくれたのだなぁと感謝しました。
その席に二人並んで座りました。三次までの4時間半、立たずに済んだので、ほっとしました。
ちなみに、私が座った席は、そのおじさんの娘さんの席で、娘さんは、座れなかった他の兄弟と、別のところにいました。
その親子4人連れは、江津駅で下車しました。
ちなみに、2両編成のこの車内。私が、狙っていたボックス席に座っていた老夫婦は、江津駅で下車しませんでした。
ロングシートに座っていたおばあさん一人が下車。江津駅到着以前に、立っていた乗客のうち江津駅で座れたのは、そのおばあさんの前にいた一人だけでした。
私が、下府駅で乗車した時にすでに満員だったので、浜田から三次まで5時間の立ち客も多く出る感じとなりました。
江津駅で、下車する人も多くいましたが、それ以上の数の人が乗車。満員電車並みに。
江津駅から乗車した人は三次駅まで、立ったままで。気の毒です。

江津駅の停車時間の間に駅トイレへ。
車内が混雑しているため、車内のトイレにたどり着くのが大変なためです。

ホームにまだ、多数の撮り鉄が写真を撮っている間でも、この混雑ぶり。

車内は、超満員のため、向かいの窓の車窓は見えません。ロングシートに座っている私は、後ろを向かない限り、車窓が見えませんでした。
後ろを向いて、車窓を眺めました。
江津駅から川平駅までは、ずっとビデオを回して、車窓をとっていました。
子供のころ、よく見ていた景色だったので。

川戸駅。川戸駅からバス(当時・現在は廃線))に乗って、市山というところに、親戚(母の妹)がいたので、そこにも、よく行きました。
川戸駅。懐かしの駅です。

ちなみに、88年前、三江線の最初の1930年の開通区間は、江津から川戸間。途中駅は、川平駅のみ。
1930年の三江線は、江津・川平・川戸の3駅を行ったり来たりしたものでした。


川戸駅から先の三江線は、この3月になって、初めて利用したことになります。
因原駅。
沿線のすべての人。野良仕事をしている農家のおばさんや、車に乗っている、すべてのひとが、三江線の列車を見て、手を振っているのが印象的でした。

 

そして、石見川本駅に到着。
この列車は、江津駅を特急のスーパーおきの到着待ちで5分遅れで出発。
川本駅到着が6分遅れとなり、停車時間が、10分から4分に。そのため、下車しませんでした。
向かい側には、13時45分発の江津行が停車。
そちらの列車が出発しようとしているところでした。

向かい側ホームにとまっていた江津行が動き出しました。

そして、お見送りが終わったようで、一部が、こちら側のホームへ。
2両目にいましたが、川本町長が車内に来てあいさつ。
川本町の人口は3355人。本日、それと同じくらいの人が、三江線を利用。
三江線がなくなっても、是非、川本町へお越しくださいと。
乗車口付近でしゃべっていた町長は、人影に隠れて撮れませんでした。

そして、向かい側ホームに。邑南スパイダーマンを発見。

子供に記念写真をせがまれ、記念撮影に応じるやさしい邑南スパイダーマン。

そして、三次行きは、石見川本駅を出発。
川本町観光協会などの人が向かい側のホームから見送り。
こちら側のホームでも見送っていたかもしれませんが、向かい側の車窓は立ち客に遮断されて見えなかったのでわかりませんでした。

 

そして、石見川本駅を出発。
亡き母が、川平から川本高等女学校への通学に使っていた石見川本駅をあとに。
母の三江線の思い出話と言えば、冬、雪が降ると、三江線(当時三江北線)は、遅れます。
何もない時は、川平と石見川本間は40分ほど。
でも、雪が降ると、列車は、駅ごとに止まり、ラッセル車が雪かきしてからの出発となります。
母は、遅れを見越して、朝4時か5時の始発列車に乗り込み、石見川本へ向かいました。
通常なら朝の7時台の列車で余裕に川本に着きます。
その日は、雪で、三江線は、猛烈に遅れ、始業時間までに、川本高女に到着できたのは、三江線利用者は、母一人だったといううことでした。
それで、全校生徒の前で、勉学熱心なたとえとして、母の事例がたびたび挙げられ、母は、めちゃ恥ずかしかったと言っていました。
私が神戸大学に通っているときも、朝、ごろごろ家にいると、母に「大学は・・」と聞かれて、2限目から行くというと、授業料一緒なんやから、1限目から授業受けんと損やろ。とよく怒られたものでした。

粕淵駅の手前で、第一江川(ごうがわ)橋梁を渡ります。
前回、乗車した時に、車掌が車内放送で紹介していました。
全国でも珍しい人も渡れる橋梁だと。
本日の車掌は、各駅の到着予定時刻をいうだけで、観光案内はなしでした。
あの鉄板のところが、歩行者用通路です。

こんなところにも、撮り鉄が。

そして、浜原駅へ。三江北線時代の終着駅です。

優雅に流れる江川(ごうがわ)。

そして、天空の駅 宇都井駅へ。
駐車している車列。
駐禁にはならないのでよろしいですなぁ。

地上21メートルにあるホームにも多くの人が、
前回、この駅で降りたとき、乗車時、駆け込み乗車となりました。
あと、1分で、、この電車に乗らないと、三次に戻れない。三次に予約しているホテルにたどり着けない。
必死でした。
でも、階段を登って登っても、ホームにたどり着けません。
もう、あきらめも半分。
上には、列車の到着する音が、
でも、頑張って駆け上がりました。
ホームに到着すると、20名ほどの乗車客が列をなしていて、乗車中でした。
そのため、助かりました。
駆け込み乗車に成功しました。

宇都井駅での駆け込み乗車、私が最初で最後だと思われました。


そして、途中、口羽駅で、江津行きとすれ違いました。

そして、三次駅に到着。
三江線利用の終了となりました。

そして、芸備線・福塩線経由の府中行に乗車。
1両編成でした。
普段は、ガラガラなのですが、三江線からの乗り換え客が多く、車内は、かなり混雑、立ち客も多くいました。
日ごろからの利用者は、本日に限って、なんでこんなに乗客がいるのか、不審がっていました。

立ち客もいる福塩線の1両編成に揺られて府中まで。



府中で、黄色い4両編成の電車に乗り換え、福山で、日生行きに乗り換え。
こちらは、6両編成でゆったり。
岡山20時33分着。
岡山21時09分発。
36分間、時間があるので、岡山駅を出て、昨日食べた、めりけんやへ。
昨日のランチで食べたのと同じメニュー ミニ肉玉丼+ぶっかけうどん+大盛り
昨日は、ランチであったため、950→880となっていましたが、今回は、夜のため、通常価格950円でした。
950+120 1070円。
でも、うどん大盛りなので満腹。


岡山から姫路行は、黄色い3両編成。
超満員。
毎回、座りますが、今回も、座れました。
ただ、座席が混雑しているため、隣の席にカバンを置くことができません。
そして、姫路駅へ。
姫路から大阪までは、12両編成の新快速。
1両目とか前の方は、ガラガラなので、ゆったりくつろげます。
そして、23時38分。大阪駅へ到着。
23時53分発の谷町線最終の八尾南行きに乗車。
駒川中野駅に、0時15分到着。

 

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本日は突然予定を変更。日本最強の心霊スポット「賽の河原」がある国天然記念物石見畳が浦へ。前回賽の河原で無数のオーブ撮影も今回はオーブ写りなし。千畳敷はめちゃ広い。下府駅の桜並木に感激。

2018-03-30 13:36:12 | 三江線

本日は、川平で、母方の墓参りを終えて、三江線で浜田へ。
江津12時34分発三次行は、浜田始発。
浜田駅11時53分発。
江津からでは、満員で、三次までの4時間半余り、立ちっぱなしが想定され、始発の浜田から乗ることに。

途中、波子(はし)駅付近では、白砂の波子海水浴場が、、
子供の時何度か、そして、最近でも、法事で江津に来た時に、泳ぎました。

波子駅 ソフトバンクCMに出ていた島根のおじさん(幸せのリングを口からふきだすイルカ)があるアクアスの最寄り駅です。



浜田に向かって、一つ手前の駅の手前付近で、次は、下府(しもこう)という列車の音声案内を聞来ました。
三次行の電車が出る1時間半のうちに、畳が浦に行こうと頭にひらめいて、同行者に告げると、畳が浦に行きたいというので、行くことに。
ホームに降りて、同行者が、時間があるか。やめとことか言い出したので、降りた列車に向かって歩きました。すると、いったん閉じていたドアが開きました。
でも、やっぱり行こうと思い、列車に背を向けると、その途端、ドアは閉まりました。
すると、階段を必死で駆け上がってくる小学生2名。運転手は、その2名を見つけて、ドアを再び開けたので、その小学生2名は無事乗れました。
もし、私が、下府で下車しなければ、あの女の子2名は、この列車に乗れなかったわけで、私は、いいことをしたと思いました。

そして、石見畳が浦へ。

国民宿舎 千畳苑です。法事の時、佐々木家一族で泊まったことがあります。

そして、石見畳が浦に向かって、国府海水浴場を歩いていきます。
向こうに見える小島のような岩から向こう側が、畳が浦です。

そして、昭和7年に国指定天然記念物に指定された石見畳が浦へ。

畳が浦・千畳敷にに行くには、この隧道を通っていかねばなりません。

途中、日本最強と言われる賽の河原を通っていきます。
今迄から、数々の心霊番組で取り上げられた心霊スポットです。
この付近の海で水死した遺体は、なぜか、ここに流れ着くと言われています。
不思議な場所です。

以前、法事で来た時に、ここで撮影すると、無数のオーブが写っていましたが、今回は、写っていませんでした。

そして、隧道を抜けると、畳が浦が広がります。

ここは、千畳敷と呼ばれています。とっても広い。
でも、強風で、吹きあげられた細かい砂が目に入ります。
コンタクトレンズをはめているので、目に砂が入ると、目が痛いこと。痛いこと。

千畳敷

子供のころ、ここで泳いだことがあります。
底が平らで、適当な深さで、プールで泳いでいる感じがしたのを覚えています。

天然の石でできた腰掛が多数あるのが特徴です。

そして、再び、隧道に。
賽の河原を通っていきます。

そして、下府駅へ向かって歩きます。

国府海水浴場

下府駅近くには、桜並木が。

浜田行で下府駅に到着が、10時27分。三次行到着が11時58分。下府には、1時間31分の滞在でした。
2両編成の三次行が到着しました。

 

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本日は母の出身江津市川平町ざんまい。佐々木家の先祖の墓参り3ヵ所。懐かしさ満載。天然コケッコーや砂時計の映画のロケで使われていた三江線川平駅は桜満開。駅前ロータリーが完成。超満員の列車で江津・浜田へ。

2018-03-30 13:31:32 | 三江線

本日の行程(変更後)
都野津一町内7時16分発 石見交通バス 江津駅行き 250円。

JR
川平  9時15分発 三江線 三次始発 普通 浜田行き 10時27分 下府着 2両 クロスシート16席 他はロングシート
下府 11時58分発 下府から江津まで山陰本線・江津から三次まで三江線 浜田始発 普通 三次行き 16時15分 三次着 2両 クロスシート16席 他はロングシート
三次 16時36分発 三次から塩町まで芸備線・塩町から府中まで福塩線 普通 府中行き 18時20分 府中着 1両 ロングシート
府中 18時42分発 福塩線  府中始発 普通 福山行き  19時29分 福山着  4両 ロングシート
福山 19時35分発 山陽本線 三原始発 普通 日生行き  20時33分 岡山着  6両 クロスシート
岡山 21時09分発 山陽本線 岡山始発 普通 姫路行き  22時33分 姫路着  3両 クロスシート
姫路 22時35分発 山陽本線 姫路始発 新快速 野洲行き 23時38分 大阪着 12両 クロスシート

 

 

江津から小型タクシーで江津市川平町の母の実家。佐々木家の跡地に。
20年くらいの前の、裏山の土砂崩れで、家の中まで、土砂が入って、家は撤去されています。
そこに、裏山から降ろされてきたお墓が立てられました。

3月7日にお参りした時の花は健在でしたが、水がほとんどなくなっていました。
前の川へ、水を汲みに行きました。

子供のころ、夏休み、この小川で、水遊びをしたものです。
きれいな小川です。

線香をたいて、お参りしました。
山本家は、真言宗ですが、佐々木家は、浄土真宗大谷派。
お墓のタイプが真言宗と異なります。
まず、浄土真宗では、お墓でろうそくは灯しません。そのため、ろうそく立てはありません。
また、線香も、立てません。
線香は、着火したあと、寝かします。

そして、佐々木家のお墓に参った後、叔父さん(次男)宅へ。
歩いていきましたが、途中、廃屋が。

叔父さん宅へ。叔父さんは、何年か前に交通事故で亡くなり、その奥さんが一人で住んでいましたが、体の調子が悪くなり、加古川にいる長男宅に現在身を寄せています。
そのため、現在、誰も住んでいません。
叔父さんのお墓参りを。

こちらでも、線香を手向けました。

そして、おじいさんの妹の墓へ。
井上家に嫁いだので、井上姓を名乗っています。
子供のころ、みみの遠いおばあちゃんと呼んでいました。
お線香を手向けました。
墓石のそばに、横たわった墓石がありました。
19歳で、戦死した息子さんの墓石でした。
井上家には、戦死した長男の写真が飾られていたのを覚えています。
「またも負けたか第4連隊」でおなじみ大阪人で結成された軍隊は、日本最弱、負けそうになるとさっさと逃げて戦死者を出さなかったことで有名です。
よって山本家の方は、戦死者がいません。また、大阪から戦争に行って、戦死したという話もまわりできいたことがありません。
戦争に行った人から聞く言葉は、「逃げて・逃げて、逃げ回った」でした。
島根県の人は、戦争でまじめにたたかったのだなぁと子供心に思っていました。
私と血のつながっているおじいちゃんの妹は、90何歳まで生きていて、江津市で2番目の高齢者となっていました。
井上家は、絶家となっていて、佐々木家の亡くなった次男の嫁が面倒を見ていましたが、その嫁が加古川の長男に引き取られてからは、
墓参りする人もいません。

そして、川平駅まで、歩きました。

私は、塾に行っていなかったので、夏休みは、フリー。
中学2年生の時まで、毎年、夏休みは、川平に来ていました。
長い時で、夏休みほぼ全部、40日を川平で過ごしていました。
中学2年生の時など、弟と2人だけで、大阪から特急やくもと三江線に乗って、川平まで来ていました。
カブトムシをとったり、川で遊んだり、自然を堪能した夏休みを過ごしていました。
なつかしい昔を思い出しながら。

江川(ごうがわ)に流れ込む川は、どれもきれいな川です。

川平駅に着きました。
3月7日に来た時は、工事中だった駅前は、工事が完成していました。

そして、駅舎へ。

川平駅がロケに使われた 天然コケッコーと砂時計のポスターや写真が貼られていました。

川平駅のホームへ。向かい側のホーム沿いには、桜満開です。

現在は、向かい側のホームは使われていませんが、以前は、使われていました。
浜原行きに乗るときは、ホームの一部にある鉄板がバカンと開けられ、そこにある階段で線路に降りて、向かい側にある同じく鉄板がパカンと開けられ、
そこにある階段で、ホームに上がるようになっていました。
それが、お役御免となり、コンクリートで埋められていることに気づきました。

私が、最後に川平で夏休みを過ごしたのは、1972年。
その当時は、三江北線と呼び、石見江津と浜原までの線でしたが、朝は、4両編成でした。1日に9往復か10往復走っていました。
川平駅での、すれ違い。江津方面4両編成の時は、この場所にも電車が、、。
どうやって向こう側のホームに行けば良いのか、子供心に疑問に思っていました。

そして、9時15分川平発の江津行きの列車が2両編成で来ました。三次を朝の5時38分に出発した列車です。


満員です。座れません。

ちなみに、三江線で、3両編成で走る便もありますが、3両目のドアはロックされていて、あきません。
なぜかというと、3両目に乗っていてわかったことは、旧三江南線(三次から口羽間)で、停車した時、ホームでないところに止まりました。
三江北線は、最盛期、5両で走っていたので、ホームに、3両編成の長さがありますが、三江南線側には、2両編成の長さのホームしかない訳です。
そのため、今回、3両編成にした便では、3両目のドアは、ロックされていたわけです。

そして、9時31分江津駅へ到着。この電車は、浜田行きです。

車内で座席を確保。
10時4分の発車まで33分ほど時間があるため、ホームヘ。


そして、改札を出て、向かいにあるパレット江津へ。

なつかしの三江線写真展を駆け足で見ました。

そして、道向かいの江津駅へ。

当初、川平から、三次から三江線経由で来た浜田行きのこの列車に乗車。
そのまま、終点浜田へ。
そこで、折り返しとなるこの列車に乗る予定にしていました。
理由は、始発駅でない江津からだと座れないので。
もし、江津で座れなかった場合、終点三次まで、4時間半、立ちっぱなしとなるためです。

 

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昨夜は、都野津のビジネスホテルサンモールに。三江線沿線三次市・江津市・浜田市すべての宿が満室の中たった1室あいていたのは佐々木家のご先祖様が押さえてくれていたから。都野津は柿本人麻呂の歌に出てくる地。

2018-03-30 13:22:07 | 三江線

今回の三江線の旅。1回目3月6日は、江津市二宮神主に住む叔父さん宅。2回目の3月18日は、三次市のアルファワン三次に。
3回目は、当初、川戸駅から行く市山に住む叔母さんのところにとめてもらおうと思いましたが、叔父さんに相談したころ、おばさん(母の妹)の年齢が86歳。その旦那の年齢が90歳。無理だろうという事でした。叔父さんも体調が悪く、今回は、とめられないとか。
それで、ホテルをじゃらんやその他で、調べました。また、ネットで予約できないところは、電話で問い合わせましたが、どこも満室。
江津・都野津(つのづ)のこのビジネスモールサンモールだけが、和室1室あいているだけでした。
このホテルでも、3月は29日のこの1室をのぞき、全ての日が満室。
私たち2名がとまれるように、佐々木家のご先祖様が見えない力で、押さえてくれていたのに違いないと思えました。
じゃらん経由で申し込みました。
ようきんさったなあ という特別割引キャンペーンの和室でした。

和室、2名で泊って、素泊まり11800円。一人当たり5900円。
朝食は、一人650円。朝6時半から8時まで。
朝食は、朝6時半からでお願いしました。

室内。空気洗浄機がありました。

トイレと風呂はセパレートとなっていました。

1階の玄関横の部屋113号室。朝まで、ぐっすり寝られました。

650円の朝ごはん。ごはんのみお替りできます。

一見、高すぎるように見えますが、用意されていた朝食は4食。うち2食がこちらのものなので、他の人は2食。
我々が泊まっていなかったら、用意する朝食は2食。1300円の収入を得るために、わざわざ朝食を用意するのは、面倒だと思われました。

朝の朝食を終え、チェックアウト。
ビジネスホテルサンモールは、2階建てのペンション風のビジネスホテルです。

ホテルにあったチラシ。

江津と言えば石見神楽。やまたのおろちのものが有名です。
そのうち、江津市内で行われる石見神楽のことを江津神楽というそうです。

そして、海岸通りを江津方面へ。
途中、小川が。
その先に、日本海が。

行ってみました。

さらに進むと、こんな案内板が。この歌はとっても有名な歌です。高校時代、古文の授業で習いました。都野津を舞台とした歌だったのですね。

そして、踏切を越えて、少し都野津駅寄りに戻ります。
都野津一町内という名称の石見交通のバス停があります。

そこから、始発に当たる7時16分発の江津駅行きのバスに乗車。

午前7時半に江津駅に到着。

駅前に止まっていた小型タクシーに乗ります。

三江線は、朝の5時53分の三次行きの次は、12時34分の三次行きとなります。
朝一の三江線で、川平駅に行っても、江津にもどってくるのは、川平発午前9時15分発となります。
川平で3時間も過ごすことができないので、タクシーで川平に行き、帰りは、三江線川平駅9時15分発に乗車。
浜田まで行き、折り返しの列車に乗る予定にしていました。

川平の母の実家跡地まで、タクシーで。

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3月29日(木)のつぶやき

2018-03-30 06:26:19 | つぶやき
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