フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

六部殺しのフォークロア

2020年08月08日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

夏なんでちょっとだけ怖い話をしましょうか。

怪談というか、フォークロアです。

江戸時代になって治水がしっかりしてきたので、人々はやっと平野に住めるようになりました。

それ以前は、川が氾濫して荒れて荒れて、危なくて平野には住めなかった。

それで、みんな山の付近に住んでいたわけです。

山の集落は、尾根や谷に阻まれて分断されていていました。

それぞれの集落は、すごく閉鎖的な空間だったわけです。

隣の集落に行くためには、わざわざ峠を越えていかなくてはなりませんでした。

長い間そういうふうにして、ほそぼそと他の地域と交流していました。

そんな時代に、法華経を持って六十六の霊場をめぐる僧がいました。

いわゆる六部といわれる人たちです。

それである集落に、六部がやってきました。

貧しい百姓の家にやってきて、泊めてくださいとと言います。

その家の夫婦は、六部を泊めることにしました。

貧しいながら食事を振る舞い、お風呂を焚いて、六部をお風呂に入れました。

風呂に入っているときに、夫婦は六部の荷物の中を見ます。

そこには見たこともない大金が入っていました。

百姓の夫婦は、どうしてもその金が欲しくなりました。

そして、六部が夜中に寝ているところを、首を締めて殺しました。

その後、百姓夫婦は奪った金を元手に高利貸をはじめました。

田畑を担保にとって土地を奪い、どんどん裕福になっていきました。

そして、やっと子宝に恵まれます。ところがいくつになっても口が利けなかったそうです。

ある夜、子どもが寝付かないので、背中におぶって外に出た。キレイな月夜でした。

そのとき、はじめて子どもが口を利きます。

「おまえに殺された日も、こんな晩だったな」と。

この子供は殺された六部の生まれ変わりだったんです。

この「こんな晩だったな」が決まり文句になります。

六部殺しの話は、日本の各地に存在します。

だから、珍しいことではなく、けっこう頻繁に起こっていた事件だったとも言えるわけです。

それで、僕はこの手の怖い話を聞くと、いつも思うんです。

怖いのは幽霊やお化けではありません。実際の人間たちです。

自分の私利私欲のために、平気で人を欺き、殺してしまうような人たちです。

むしろ、幽霊話にすることで、怖さを緩和させているのではないかと思ってるくらいです。

ちょっと、真面目に話しすぎましたかね。


お化け屋敷にいくでしょ。ちょっとワクワクしませんか?

だって、女の子がキャーって騒ぐじゃないですか。

それで怖がって、僕の腕を掴んでくる。なんかのひょうしで胸が当たるときもある。

すると、反対の手で小さくガッツポーズする。

お化けなんてなんだ。怖くないさ。

お化けより、かわいいこですよ。人生楽しんだもの勝ちです。楽しみましょうね。


ところで、夏目漱石の夢十夜の第三夜は、この六部殺しをもとに書いたものだといわれています。

朗読をアップしておきます。よかったらどうぞ。

『夢十夜』より 第三夜

コメント (2)
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