夏なんでちょっとだけ怖い話をしましょうか。
怪談というか、フォークロアです。
江戸時代になって治水がしっかりしてきたので、人々はやっと平野に住めるようになりました。
それ以前は、川が氾濫して荒れて荒れて、危なくて平野には住めなかった。
それで、みんな山の付近に住んでいたわけです。
山の集落は、尾根や谷に阻まれて分断されていていました。
それぞれの集落は、すごく閉鎖的な空間だったわけです。
隣の集落に行くためには、わざわざ峠を越えていかなくてはなりませんでした。
長い間そういうふうにして、ほそぼそと他の地域と交流していました。
そんな時代に、法華経を持って六十六の霊場をめぐる僧がいました。
いわゆる六部といわれる人たちです。
それである集落に、六部がやってきました。
貧しい百姓の家にやってきて、泊めてくださいとと言います。
その家の夫婦は、六部を泊めることにしました。
貧しいながら食事を振る舞い、お風呂を焚いて、六部をお風呂に入れました。
風呂に入っているときに、夫婦は六部の荷物の中を見ます。
そこには見たこともない大金が入っていました。
百姓の夫婦は、どうしてもその金が欲しくなりました。
そして、六部が夜中に寝ているところを、首を締めて殺しました。
その後、百姓夫婦は奪った金を元手に高利貸をはじめました。
田畑を担保にとって土地を奪い、どんどん裕福になっていきました。
そして、やっと子宝に恵まれます。ところがいくつになっても口が利けなかったそうです。
ある夜、子どもが寝付かないので、背中におぶって外に出た。キレイな月夜でした。
そのとき、はじめて子どもが口を利きます。
「おまえに殺された日も、こんな晩だったな」と。
この子供は殺された六部の生まれ変わりだったんです。
この「こんな晩だったな」が決まり文句になります。
六部殺しの話は、日本の各地に存在します。
だから、珍しいことではなく、けっこう頻繁に起こっていた事件だったとも言えるわけです。
それで、僕はこの手の怖い話を聞くと、いつも思うんです。
怖いのは幽霊やお化けではありません。実際の人間たちです。
自分の私利私欲のために、平気で人を欺き、殺してしまうような人たちです。
むしろ、幽霊話にすることで、怖さを緩和させているのではないかと思ってるくらいです。
ちょっと、真面目に話しすぎましたかね。
お化け屋敷にいくでしょ。ちょっとワクワクしませんか?
だって、女の子がキャーって騒ぐじゃないですか。
それで怖がって、僕の腕を掴んでくる。なんかのひょうしで胸が当たるときもある。
すると、反対の手で小さくガッツポーズする。
お化けなんてなんだ。怖くないさ。
お化けより、かわいいこですよ。人生楽しんだもの勝ちです。楽しみましょうね。
ところで、夏目漱石の夢十夜の第三夜は、この六部殺しをもとに書いたものだといわれています。
朗読をアップしておきます。よかったらどうぞ。
『夢十夜』より 第三夜