フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

坊っちゃんについて

2020年08月10日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

今日は相当ハードにスポーツをしまして、体が疲れ切っています。

そういうときは、頭が全く働きません。

そうです。書くことが思いつかないんです。

こういうときは、目をつぶって頭を空っぽにして、なにか思いつくのを待ちます。

 

そうだ。思いついた。

今日は、無償の愛について語りましょうか。

頭が働かないので、うまく書けなかったらすいません。

無償の愛とは、夏目漱石の「坊っちゃん」に出てくるお婆ちゃんの清さんについてです。

主人公の坊っちゃんは、父親にもお兄さんにも嫌われている。

しかし、下女の清さんは坊っちゃんを心から愛している。

「あなたは真っ直ぐでよいご気性だ」と言って坊っちゃんを褒める。

坊っちゃんが今でも読まれているのは、物語の核に清さんの愛情があるからではないかと僕は密かに思っています。

この小説には、真っ直ぐで正義感の強い人間とずる賢く要領のいい人間の2つのタイプが出てきます。

正直な人たちは、坊っちゃん、山嵐、うらなりです。

悪どい奴らは、赤シャツと野だです。

しかし、正直者たちはバカを見る。

つまり、坊っちゃんと山嵐は教師を辞めさせられ、うらなりは無理やり延岡に転勤になる。

それに対し、赤シャツと野だはのうのうと、自分たちの地位を確立していく。

真っ直ぐな者たちは敗者に、要領のいい者たちは勝者になる。

なんとも不条理な話だ。

しかし、話はそんなに単純ではない。

人生の負け組ではあるが、真っ直ぐで純粋な心を持った者こそが、本当の愛情を受ける資格がある。

坊っちゃんが、そういう人間だったからこそ、清に愛されたのです。

人生に負けても愛がある。

漱石はそれを言いたかったのではないだろうか。


坊っちゃんの最後のシーンです。

清は今年の二月に、肺炎に罹って死んでしまった。
死ぬ前日、おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺に埋めてください。
お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみにおりますと云った。
だから清の墓は小日向の養源寺にある。


最後の「だから」って接続詞は、不器用な坊っちゃんの気持ちが現れていると思いませんか。

清のことを大好きだったよ、だからお墓でおれを待っていておくれと。

最後の「だから」で清への愛を表現しているのです。

あらすじを知りたい人は5分でまとめられた動画があります。

よかったらどうぞ。

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