人間って、自分ひとりで生きていたら、何者でもないんですよね。
へんな言い方ですかね。
わかりやすく言うと、自分という人間は、まわりとの関係で決定されます。
「あなたは優しいね」と人が言います。
優しい自分が、そこに一人でいるのではなく、その人との関係で「優しい私」が出てくる。
まどろっこしい言い方ですね。ごめんなさい。
つまり、僕が言いたいのはこういうことです。
自分を語るとき(描写する時)は、関係性を意識しましょう、ということです。
そして、関係性には3つあります。1人、2物、3自然です。
ある小説から、例文を抜粋してみます。
1 抱えてきた紙袋から瓶をとりだし、プラスチックの小さなカップにウイスキーをそそいだ。
手が震えて少しこぼれた。一日の最初の一杯が喉を焼いてすぎた。
2 秋の陽射しはやわらかく、静かに降り注いでいた。
透明な光のなか、イチョウの落葉が平穏な世界を舞っている。
問題はない。なにも、問題はないのだ。あらゆる人間にそんなふうに思わせる陽射し。
午後の十一時の光が降り注いでいた。
3 二杯目を注いだ。また手が震え、ウイスキーがこぼれた。
だが、しばらくすれば、それもおさまることを知っている。
何しろ最初の一杯はすぎたのだ。
瓶の中身がほぼなくなる夕方、私はしっかりしたまともな人間になっている。
4 そのとき、私は見つめられていることに気づいた。
顔をあげると、女の子が私を見下ろしていた。
五、六歳といった年ごろだ。赤いコートを身に着けている。
首をかしげて私を見つめ、私が見つめていた私の手を見る。
「寒いの?」
「いや寒くない。どうして」
「手が震えている。ぶるぶる」
私は笑った。「ぶるぶる、か。たしかにそうだ。でも寒くない」
この文は「テロリストのパラソル」の出だしから二ページ目くらいのところの文章です。
最初の出だしは、本当にお手本になるような完璧な出だしです。
いつ読んでもうっとりする文章です。
テロリストのパラソルは、グイグイ読者を引っ張っていく隠れた傑作です。
でも、終わり方が嫌いなんで、あんまり読みません。書き直してもらいたいくらいです。
まあ、それはそうとして。
よく晴れた午前中の公園です。
平和な一日の始まりに、アルコール依存症の男が女の子と出会います。
その描写です。どんな関係性から、自分というものを浮かび上がらせているんでしょうか。
1は物です。ウイスキーと自分の関係です。まだアル中かどうかはわかりません。
ただ、紙袋に隠して持ってきているウイスキーから、普通ではない人間像が想像できます。
2は自然です。午前中の秋の陽射しとイチョウの落葉。
その自然が自分に平和な気分をもたらしてくれます。
もしかしたら、不安な日常の中に生きていて、そこがわずかな平穏な時間なのかもしれませんね。
3は物です。ここでアルコール依存症であることが分かります。
ウイスキーと自分との関係が明確になります。手の震えから、かなり依存度が進行していることが分かります。
4は人です。女の子です。この女の子は、小説の中で一回しか出てきませんが、物語の背骨(行動の動機)となる重要な人物です。
主人公と女の子との関係が、その後の物語を引っ張っていきます。
こんな感じで、グイグイ読ませる文章には、人、物、自然の3つの関係性がうまくミックスされています。