フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

検温モニターと昔ながらの体温計

2020年07月21日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

コロナの影響で、体温計の進化がすごい。

最近は、スマホみたいなのに顔をかざすと体温が検知されのがある。

体温計というか検温モニターというらしい。

いつも行ってる建物にも、この検温モニターというのが導入された。

顔にかざして数秒で、体温が出る。おう、いいねって感じだ。

それで、今日だ。二十日の月曜日。

久しぶりに東京は、30℃くらいだった。

クソ暑かった。ああ、嫌な季節がやってきたな。暑すぎてだるいよ。

そんなことを考えながら、いつものように検温モニターに顔をかざした。

ピピピピーって鳴った。けっこう大きめの音だ。はぁー、何だ。

37.6℃です。中に入れません。

えっーーーーーー。

僕は声を出して驚いた。だって、会社で体温を測ったときは36.5℃だったから。

でも、そう言えばちょっとだるいな。体があんまり動かないし。

うわー、もしかしたら、コロナにかかったかも。どうしようか。まいったな。

どっかの薄暗いホテルに隔離されて、1人孤独に一週間くらい過ごさないといけないのか。

ついにやっちまったな。

そんなことを、数秒のうちに、あれこれ考えてしまった。

「えーっとですね。これでもう一回測ってもらえますか」と警備員さんが言った。

家庭にある普通の体温計を僕に差し出した。

「脇にさして使うやつですよね」当たり前なんだけど、一応確認した。アホみたいだが、一応ね。

「そうです」警備員さんは軽く薄笑いを浮かべていた。

一分くらい経って、ピピとなる。出して見ると、36.1℃ 

「あっ、大丈夫ですね。通っていいですよ」警備員さんにそう言われた。

ハハハ、なんだよ。ビビらせやがって。

「あのモニターおかしいんですか」と僕は聞いてみた。

「ええ、そうなんです。外気の温度が高いと、体温が高く出るみたいで」警備員さんが言った。

それを聞いたとき、何でも最新型がいいわけではないな、と思った。

夏に使えないなんて、役に立たないじゃん。

やっぱり、昔ながらの体温計が最強なんだな。アナログアナログ。

でも、間違ってるにせよ体温が高く出ると、健康なくせに急に具合が悪く感じるのは、やっぱりアホなんでしょうね。

つくづく自分が情けなくなります。

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もうすぐ土用の丑の日ですね

2020年07月20日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

もう十五年くらい経つのかな。

当時、一緒に仕事をしていた年配のおじいちゃんが、うなぎをご馳走してあげるから、淺草で待ち合わせようということになりました。

あの有名なアサヒビール本社のうんこのオブジェからそんなに遠く離れていない場所でした。

ちょっと一軒家っぽくて小さい鰻屋さんで、ほんと美味しいのかなって感じの店でした。

名前は覚えていません。すいません。

うな重のたっぷりというのを頼んだのを覚えています。

全部おごってもらったので、値段も覚えていません。

うなぎって時間がかかるんですよね。出来上がって、いただくまでに。

その頃は、スマホもありませんでした。だから、おじいちゃんといろんな話をしました。

福島出身で、いろんな苦労をされている人でした。

東京に出てきて、辛かったことや、ちょっとここでは言えない話も聞きました。

おじいちゃんが若い頃に、この店につれて来られて、うなぎをご馳走になったそうです。

だから、僕にもご馳走しようということになったのでしょうね。

僕にその資格があったのかどうかわかりませんが。

最初はあんまり乗り気ではありませんでした。めんどくさいなって。

あんまり食べ物では、動かないタイプなんです。

でも、ああいう雰囲気のある場所で、いっしょに食事をして、いろんな話をしたことは、すごくよかったと思っています。

うなぎはすごくうまかった。僕が今まで食べたうなぎの中でも一番美味かったと思います。

日本人にとって、うなぎを食べるということは、ちょっと儀式的な要素がありますよね。

なんとなく特別な感じがする。

だけど、堅苦しい感じでもない。穏やかでニッコリしてしまうような空間です。

ふわふわの柔らかいうなぎを頂いて、不機嫌になる人はいませんよね。

もう、おじいちゃんは亡くなられて、この世にはいません。

しかし、土用の丑の日になると、あの二人の過ごした穏やかな時間を思い出します。

僕も彼が好きだったし、彼も僕が好きだった。今はそれがすごくよくわかります。

うなぎのちょっとした思い出です。

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不条理の滑稽さについて

2020年07月19日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

世の中には、不条理な話があリますよね。

それで、暗いタイプの不条理な話と、明るいタイプの不条理な話があります。

暗いのは、カフカなんかがよく書いています。突然、虫になったり、いきなり裁判にかけられたり。

こっちはあんまり好きではないです。気が滅入ってくる。

でも、明るい不条理の話は、なんとなく滑稽なので、けっこう好きです

では、ここで不条理を定義しておきましょう。

不条理とは、物事の筋道が通らず、予想外の方向にいくことです。


明るい不条理の小説を、
ちょっと紹介しましょう。手元に本がなくて、うろ覚えですが。

夜中に寝てるのに、しつこく電話がなっている。何だと思って、起きて電話をとる。

「〇〇というところに住んでいる〇〇という者ですが、ラーメンを持ってきて、ガチャン」

女が勝手にそれだけ言って、電話を切ってしまう。

なんだよ。うちはラーメン屋じゃないんだよ。間違えてるじゃん電話番号。

あの人、あそこの通りの角の〇〇さんだよな。

まてよ、棚にラーメンがあるな、彼はそう思った。

それで、彼は台所に行って、ラーメンをせっせと作りはじめた。

話の筋としては、間違い電話なんだから、無視するのが普通です。

しかし、彼はラーメン屋でもないのに、自分でラーメンを作って持っていこうとしている。

ここが予想外の行動です。


もう一つ、「傘で私の頭を叩くのが習慣の男がいる」という題の小説です。

この短編小説は、控えめに言っても、最高です。マジで笑えます。

アルゼンチンの作家、フェルナンド・ソレンティーノの小説で、「SUDDEN FICTION 世界編」という超短編小説集にあります。

冒頭を紹介しましょう。

傘で私の頭を叩くのが習慣の男がいる。
男が傘で頭を叩きはじめてから、今日できっかり五年になる。はじめはとても我慢がならなかった。いまはもう慣れてしまった。
男の名前は知らない。私が知っているのは、彼が平凡な男で、無地の背広を着ていて、こめかみのあたりに白髪が見えはじめ、これといって特徴のない顔をしているということだ。
彼との出会いは、五年前のある蒸し暑い朝にさかのぼる。
パレルモ公園のベンチに座って、木陰でのんびり新聞を読んでいてときのことだった。
突然、何かが自分の頭に触れるのを私は感じた。それがこの、いま私がこうしてこれを書いているあいだも、機械的に、無表情に傘で私の頭を殴りつづけている男だったのである。
そのはじめての朝、私はカッとなって後ろをふり向いた。男はそのまま平然と私を叩きつづけた。
君、気でも狂ったのかね、と私は男に言った。彼は私の言葉が耳に入らぬ様子だった。
次に警官を呼ぶぞと脅した。だが男は一向に動じる気配もなく、相変わらず同じ動作をくりかえした。
私は立ち上がり、男の顔に一発思いっ切りお見舞いした。
明らかに彼はやわな男である。そう断言できるのは、いかに怒りの念に燃えたぎっていたとはいえ、私のパンチはそんなに強くないからだ。にもかかわらず、小さなうめき声を立てて、男は地面に崩れ落ちた。
そして、ただちに、懸命に力をふりしぼる様子で、男は立ち上がり、再び傘で私の頭を叩きはじめた、男は鼻血を出していた。私はその瞬間、私はなぜか彼が気の毒になってしまった。

こういう感じで、男は殴られて鼻血を出しても、走って逃げても、何をしても追ってきて傘で頭を叩き続けます。男は何も食べず、眠らず頭を叩き続けます。
ほんとおかしな話です。それで、
最後のところです。

その反面、最近思ったのだが、彼に叩かれなくては、私はもはや生きていけないのではあるまいか。
あの恐ろしい予感がしばしば私を襲う。その頻度は増える一方だ。
すなわち、もしかするとこの男は私が彼をもっとも必要とするときに、いなくなってしまうのではあるまいか。
そうなれば、私は、かくも安らかな眠りを与えてくれる、あの柔らかな傘の打撃を感じることがなくなるだろう。
そう思うと気が滅入る。言いようもなく気が滅入るのである。


僕は不条理の中にある滑稽さのようなものを、すごく愛しています。

筋道の通らない変な状況のときに、それを受け入れて、とにかく笑い飛ばすのが、生きていくための技なんです。

とにかく、笑いましょう。怒ったりイライラしたらだめですよ。

死ぬなんてもってのほかです。

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脳内将棋盤について

2020年07月18日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

将棋を指さない人は興味がないかも知れませんが、将棋は読みが重要です。

僕なんかのヘボ将棋だと3手先くらいですが、プロだとかなり先まで読む。

そのときに、目の前にある将棋盤の駒を動かすと、反則ですから、頭の中の将棋盤で考えるわけです。

これを、脳内将棋盤といいます。どんなプロでも、脳内将棋盤を持っています。ふつうは。

しかし、藤井聡太棋聖(もう藤井くんなんて簡単には言えなくなった)は、脳内将棋盤がないそうだ。


ちょっとインタビューの内容を抜粋してみますね。

白鳥 棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事で拝見したのですが。

藤井 「はい」

白鳥 では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜で思考している?

藤井 「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」

白鳥 盤は思い浮かべない?

藤井 「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」

白鳥 詰将棋を解くときなどはどうです?

藤井 「詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」

白鳥 えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。


このように、藤井棋聖はどうやら脳内将棋盤を使っていないようだ。

じゃあ、どうやって思考しているんだろうか?

一応、素人ですが、将棋を指すので、将棋とはどういうものなのかは、分かる。

実はですね。何手先かは知りませんが、読むこと自体は、大したことはないんです。

たとえば、5手先を読んだとしますよね。

その時の盤面の状況について、どっちが有利なのか、その形勢判断が出来ないだめなんです。

5手先の場面で、自分が有利だと思えば指すし、不利だと思えばやめる。

でも、人間はコンピューターではないので、形勢判断を間違えます。

だから、読んだ先の形勢判断が重要になります。

でも、脳内に将棋盤がなければ、イメージできないので、形勢判断も難しくなる。

藤井棋聖は、どうやって形勢判断をしてるんでしょうか?

ほんとに謎です。

たぶん、かなり省エネの方法で思考しているんだと思われます。

明らかに、他の人に比べて読みが速いですから。

これは、マジで研究に値することですね。天才の脳の使い方として。

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エコバッグをすぐ忘れる

2020年07月17日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

いわゆるエコバッグというものを2つくらい持っています。

でも、忘れるんです。

買い物をして、「レジ袋いりますか?」と聞かれたところで、あっ、となります。

そのときに、五円くらいまあいいかな、と思ってしまう。

こんな感じで反省もしないで、ボヤボヤしてるから、また忘れるのでしょう。


いちおうですが、記憶についての原則があります。確認してみましょう。

注意→短期記憶→長期記憶→記憶を想起する。この流れです。

1、注意を向け、情報を短期記憶に入れ、

2、想起練習を繰り返し、情報を長期記憶に入れ、

3、記憶したことを、手がかりと結びつけ、想起する。

学校の勉強を例にとってみますか。

授業で「応仁の乱1467年」を習ったとします。

授業で、応仁の乱について、注意を向けました。

そして、授業中に「応仁の乱1467年」と覚えました。しかし、短期記憶です。

家に帰って、応仁の乱について、ノートを整理しました。

メモ書きに、何回も応仁の乱1467年と書きました。

このように記憶を想起する練習をして、長期記憶にします。

そして、ひとよむなし(1467)応仁の乱という語呂を覚えて、思いだす手がかりを作りました。

ここまですれば、テストに出ても大丈夫かもしれません。

でも、たまに思い出さないと(記憶の手入れ)、また忘れます。

けっこう大変ですよね。ものを覚えるって。


じゃあ、僕がエコバッグ忘れないようにするにはどうすればいいか?

エコバッグ、エコバッグ、エコバッグって、紙に書いていけばいいんでしょうかね。

なんか、ばかみたい。

なにかいい語呂はありませんか?

でも、語呂を覚えても、思い出すタイミングを間違えると意味ないですよね。

たとえば、風呂入る前に、ああエコバッグねって、思い出しても。

結局、こういうくだらないことばっかり言ってるから、また忘れるんですよね。

まあいいですよ。五円寄付したと思って、また忘れてやる。ハハハ。

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強盗に入られた小林秀雄の話について

2020年07月16日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

小林秀雄伝説というものがありまして、

それについて、石原慎太郎が本の中で書いている。

少し短くして紹介します。


ある日、小林秀雄の家に強盗が押し入った。
強盗は小林に抜き身の日本刀を頬にかざし、「おい、起きろ」と言った。
小林は目を開け、またいで突っ立っている男を見た。頬のわきにある刀はブルブル震えていた。
「なんだい、おまえたちは」と小林秀雄は聞いた。
「おれは強盗だ」と彼は言った。

「ああそうか」といったまま、小林は身動きもせず、突っ立って見下ろしている3人の男たちの股間を見ていた。
ほっぺたにくっつけている刀は相変わらず、ブルブル震えていた。
これは素人だなと小林は思った。

その後、小林は3人の強盗をそこに座らせ、寝たまま彼らに向かって説教した。
しばらくして、3人のうちのひとりが、おいおい涙を流して、泣きはじめた。

石原慎太郎は、ハードボイルド的なタッチで、小林秀雄を肝のすわった男として、描いています。

この話を読んだ時、小林秀雄ってコワモテなんだなと思いました。

しかし、最近、ちょっと違うのではないかと思っています。

別に石原慎太郎を疑ってるわけじゃありませんが。

ここからは僕の推測です。

小林秀雄は、文章や美術品など、あれだけのものを目利きするわけですから、人の心を読み解くのも得意だったでしょう。

それで、強盗の心を読んだ。強盗は手が震え、素人同然だった。

彼らは、何か事情があって強盗をしたのではないか、と小林秀雄は考えた。

それで、強盗に事情を聞いてみた。強盗にも強盗をするだけの事情があった。

それでお金が欲しいならあげるから、こんな事はやめなさいと説得した。

強盗は、小林秀雄が怖かったのではなく、彼の慈愛に満ちた情に触れて泣き出したのではないか。

後日、強盗は菓子折りをもって、小林秀雄のところに謝りに来たそうだ。

そういうことを考えると、僕の推測もあながち間違いではないと思っています。

彼の文章を読むと、そういう情の深い優しさがありますから。

やっぱり、人の心を動かすのは、力ではなく情だと思います。

甘いかな。僕は。

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試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。 尾形真理子

2020年07月15日 07時00分00秒 | 読書・書籍

アマゾンで見つけた短編集なんですが、なかなか素敵な題名だと思いませんか。

「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う」

尾形さんは、博報堂のコピーライターだそうです。さすがという感じです。

言葉選びにセンスがある。

「悪い女ほど、清楚な服がよく似合う」って、松本清張の小説みたいですよね。うまい。


この小説は、プロローグとエピローグを入れて7つの短編からできています。

プロローグ

あなたといたい、とひとりで平気、をいったりきたり。

悪い女ほど、清楚な服がよく似合う。

可愛くなりたいって思うのは、ひとりぼっちじゃないってこと。

ドレスコードは、花嫁未満の、わき役以上で。

好きは、片思い。似合うは、両思い。

エピローグ

こんな感じの短編が収録されています。


女性の感性で、ぜんぶ女性視点で書かれています。

だから、共感はできませんが、新鮮な気持ちで読むことができました。

なるほど、そういう事を考えてるんだなって感じです。

Closetという洋服屋に、洋服を買いに来る女性たちの人生や日々の生活を、描いた作品です。

基本的に、僕は体を鍛えていれば、Tシャツとジーンズで十分だという考えです。

だから、あんまりファッションに、こだわりはありません。

しかし、女性にとって、体に身につけるものって、人生の様々な場面で、すごく重要なことなんですね。

男には、あんまりわからない感覚です。不思議な感覚。

小説の中の女性たちも、人生の岐路で、渾身の一着を選ぶ。

洋服を選ぶことが、あたかも人生における重要な選択のように、自分自身の人生と重なっていく。

いろんな形の恋愛があって、いろんな男がいて、いろんな選択がある。

ファッションのように。

まあ、僕としては単純に、女性がキレイだと嬉しいです。


この小説のショップClosetのオーナーは、カナメという女性で、自分でも洋裁をしています。

僕の友達にも、和裁をしている女性がいます。とびっきりの腕前です。

美しいものに囲まれている人は、たしかに美的感覚に優れていますね。

ああいうことができる人ってほんと尊敬します。すごいものです。


そうそう、小説ですね。もし面白そうと思ったら、読んでみてください。


試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。 尾形真理子

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雨に負けないでがんばりましょう

2020年07月14日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

14日は、全国的にすごい雨だそうだ。被災地の方々の無事を祈っています。

東京も雨ですね。はぁー、めんどくさいね。いろいろと。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」みたいに頑張りたいと思う。

でも、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」はそんな内容ではなかったですよね。

みなさん、この詩を読んだことはありますか?

詩というか、メモに書かれた走り書きのようなものだったそうです。

そして、現実のモデルもいるそうです。

僕はこの詩を読むと、すごく感動すると同時に、とても複雑な気持ちになります。

というのも、世界は、力の信奉者や厳しいリアリストたちの跋扈する場所になっています。

まあ、ずーっと昔からそうかも知れませんが。

その世界に、この詩のようなバカ正直な人間が放り込まれたら、どうなるか?

もちろん彼らに食い物にされてしまうでしょう。実際そうなっている。

だから、すごく複雑な気持ちになるんです。

そういうことで、僕はこんな素晴らしい正直者にはなれません。

でも、この詩を読んで感動するとき、僕は日本人なんだなぁと感じます。

この詩のピュアな魂は、日本人の心の本質的な部分だと思っています。

だから、現実主義者であると同時に、この詩を理解できる人間になりたいと思っています。

そして、もしこんな人間がいたら、全力で守りたい。

「雨ニモマケズ」 語り手 宮沢りえ

「雨にも負けず」

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも
夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち
欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている
1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ 
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし 分かり そして忘れず
野原の松の林のかげの小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供があれば 行って看病してやり
西に疲れた母があれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人があれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい

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ロング・グッドバイ レイモンド・チャンドラー 村上春樹訳

2020年07月13日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

本の朗読って聴く機会ありますか。

僕はAmazonのオーディブルの会員になっています。

オーディブルとは、プロのナレーターが朗読した本をアプリで聴けるサービスです。

会員は月1500円で、毎月一冊もらえる。気にいらなければ返品や交換が可能です。

Amazonの回し者みたいになってきたので、やめます(笑)。

僕は、車の運転中や歩きながら聴いています。朗読で本を聴くというのはすごくいいですよ。

これから朗読はトレンドになっていくと思います。

2年くらい会員になっているので、かなりの量の本があって、まだ聴いていないのもある。

今回は、ロング・グッドバイの朗読を聴きました。19時間18分。かなり長い。

聴き終わるまで、2週間くらいかかりました。

朗読をしているのは、早乙女太一さんです。

朗読の良し悪しについて詳しく書きたいけど、長くなるのでやめます。

点数をつけると、前半60点・後半80点。途中から、だんだん上手くなっていきます。


そうそう、本の感想でしたね。

ロング・グッドバイを昔読んだことがありました。しかし、内容を全く忘れていました。

たぶん、よく読んでいなかったんでしょう。ほとんど初めて読んだようなものでした。

簡単にいうと、傑作でした。やっぱり、すごい小説だと思いました。

話にどんどん引き込まれていきました。

主人公の私立探偵フィリップ・マーロウは、友人の無罪を証明するために、真犯人を探り当てていきます。

マーロウは、もっと暴力的でマッチョなタイプだと思っていました。

まあ、マッチョはマッチョなんですが、思っていたのとは、ちょっと違う。

暴力はほとんど使わない。むしろ暴力を振るわれ、痛めつけられる。

それでも、マーロウは、自分の信念を絶対曲げない。そういうタフさです。

警察に脅される。ヤクザに脅される。大富豪に脅される。しかし、折れない。絶対、折れない。

身の危険を示唆されても、折れないんです。

このタフさは何なのだろうか?と考えました。

身の危険や人生を台無しにされる可能性があっても、折れないというのはどういうことなのか?

それは、命より大事なものがあるということです。

たとえば、親なら自分の子供は、命より大事かもしれない。

宗教を持っている人は、自分の信仰が命より大事かもしれない。

じゃあ、マーロウの大事なものはなんだ?ということです。

思うに、これ自体が謎になっています。

マーロウはなんでそんなに意固地になって頑張っているんだ、それが知りたいと。

最後のページを読み終わります(朗読が終わる)。事件のすべての謎は解けました。

すべてが一件落着すると、スッキリする。これが普通の小説ですよね。

しかし、この小説は、なんとも言えない余韻が残る。読み終わったあとも、何か後ろ髪を引かれるものがある。

この余韻は何なのだろうか?

それは、マーロウの内面の謎が解けないままだからです。

わかったようなわからないような、不思議な感覚に襲われます。

金よりも、楽しい生活よりも、愛よりも、守らなくてはいけないものは何なのか。

男の矜持、個人的な規範、男の生き方。

全部当たってるようで、全部見当違いにも思える。

ほんとお酒が飲みたくなります。全くお酒を飲まない僕でさえ。

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小指の傷

2020年07月12日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

何を書くか全く考えていません。どうしようか?

そうだ、僕の左手の小指のさきっぽの傷の話をしようか。

僕の小指の第一関節より上の部分に、大きな切り傷があります。

貯金箱のお金を入れるところの口みたいになっています。

ちょっと見えにくいところにあるので、人に指摘されたことはありません。

でも、たまに見せたりすると、「どうしたの?その傷?」と言われます。

けっこう大きめの傷です。

たぶん、悪いことして、指名手配されたとき、左手小指に大きな傷ありと記載されそうです。

ナイフで切った感じの傷ですが、ナイフではありません。

小学校の時、草引っこ抜きゲームをやっていました。そのゲームの開発者は僕です。

ゲームの内容は、シンプルで、大きい草を引っこ抜いた人間が勝ちというものです。

いつも僕が勝ちます。力が強いからです。

でもそのときは、年下の男の子が大きい草を引っこ抜いてきた。

そこで、僕は負けたくないので、アホみたいな大きい草に手をかけて力いっぱい引っこ抜いた。

でも、引っこ抜けなくて、左手の小指に草が食い込んで、小指を切ってしまった。

思いの外、大きい傷で、びっくりしました。かなり深い傷でした。

オチはありまぜん。特に面白い話でもありません。

じゃあ、最後に思いつきで書いた「吾輩はタコである」の冒頭だけ紹介して終わりにしますか。

吾輩はタコである。名前はマダイ。イカではない。
海で生まれたと思いきや、山で生まれた養殖だ。
なんでも、やわらかくするために、棒でぼこぼこ叩かれたことだけは記憶している。

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