フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

逃げられない象のこと

2020年07月11日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

象使いが、最初に象に教え込むのは、逃げ出すという気持ちをなくすことだそうです。

象が赤ん坊のときに、足を鎖で太い丸太につないでおく。

子象が逃げようと思っても逃げられなくすることで、あきらめの気持ちを植え付ける。

こうしておくと、象が大人になって、簡単に鎖を引きちぎれるようになっても、象は逃げ出さなくなる。

ちょっと、気分の悪くなる話ですが、こういうのを、学習性無気力感といいます。

簡単にいうと、何をやっても無駄と思うことです。

こういうふうになった時の、考え方には大きく2つあります。

自分には能力や才能がないから、現状は変えられないと考える。

もう一つは、努力が足りないだけで努力すれば変えられると考えることです。

能力や才能は先天的なものなので、変えることはできません。これを固定思考といいます。

努力は、いつでも出来ます。やれば変われます。これを成長思考といいます。

誰でも、自分はもうダメだって思うことがありますよね。

自分には絶対これはできない、と思うこともある。


アメリカ海軍のウイリアム・マクレイヴンの「世界を変える10の教訓」という有名なスピーチがあります。

その中で「シュガークッキー」という話があるので、それを紹介しましょう。

週に数回、指導教官による制服チェックがあるそうです。検査は徹底していて、OKが出ません。

必ず、どこかにイチャモンをつけられ、不合格になり、海岸の波打ち際を走らされます。

すると、濡れた状態で走ったり転げ回ったりするので、砂まみれになるわけです。

この状態をシュガークッキーと呼ぶそうです。

いくらやっても合格が出ないので、多くの訓練生が不満を持ちます。そして、正当な評価を求める。

彼らは、不満から訓練を続けることが出来ず、やめてしまう。

でも、制服検査について、正当な評価を求めてはいけないんです。

なぜなら、絶対合格の出ない制服検査だからです。それが目的です。

どんなに頑張っても、「シュガークッキー」になるしかない訓練だからです。

何かにチャレンジして、それが成し遂げられないときがある。人生ってそういうものですよね。

それでも、君はどうするんだ、と問いかけられているんです。


もう一つ「サーカス」という話です。

訓練の長距離走や水泳などは、すべてタイムが測られています。

そして、基準タイムに達しないものは、その日の終りに「サーカス」というのに呼び出される。

サーカスとは、さらに2時間、体操させられることです。

ただでさえ疲れ果ているのに、そこから2時間体操させられる。

サーカスすると、次の日に疲れが残るので、その次の日もサーカスさせられる羽目になる。

この悪循環に陥る。地獄です。

しかし、サーカスの常連に面白いことが起こり始めます。

サーカスを受ける者が、どんどん強靭になっていくのです。

一度失敗すると、また失敗を繰り返し、悪循環の地獄にはまる。

しかし、その中で、諦めずに、立ち上がる者は、失敗しない者より、強靭になっていく。

失敗は問題ではない。むしろ、したほうがいい。その後に、再度挑戦していくことが、人を強くするんです。


もう一度話を戻しましょう。

人生に必要なのは、才能や能力なのでしょうか?

それとも、絶対絶命の困難でも、自分が変わることを信じて、努力することなのでしょうか?

まあ、答えは分かりますよね。

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はじめて経験することのように

2020年07月10日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

ツイッターで面白いツイートを見つけました。

猫柳墓場さんの6月30日のツイートで、20万以上、いいねがついたやつです。

ちょっと紹介します。

小学生の時、腕を骨折したので整形外科に行ったんだけど。
処置室で右腕に温かくてヌルヌルしたものを巻かれ、
「何やってんだコレ」と思ってる内にそのヌルヌルが硬化し、ギプスになった。
未経験の化学作用に驚愕する俺には、「折れたの左腕なんですが」ということしか出来なかった。

看護師の人「巻いている途中で言ってくれればよかったのに!」
俺「何やってるのかな、と思って」

で、すぐにさっきのRTであったような回転ノコギリが持ってこられ、硬化したばかりのギプスの切断作業が開始された。その圧倒的な回転迫力に完全にビビった俺は「これで右腕も怪我したら俺バカみたいだな」とか考えていた。


ハハハ、ってなりますよね。かわいい小学生です。

笑える話ですが、昨日のパターン認識の話とちょっとだけ関係しています。

これは、生まれてはじめてギプスをしたときの話です。

つまり、自分の経験したことのない出来事だったわけです。

それで、彼は自分が何をされるのか、興味深くじーっと見ていた。

本来、見るとはこういうことですよね。

子供の頃って、こういうことの連続です。経験が浅いから、はじめてのことばかり。

なんでも初体験って覚えていますよね。ファーストキスとかあれとか。

でも、世の中に同じ行為ってないんですよね。すべて初めてすることです。

だから、すべてのことを、一期一会だと思いましょう。

すべての出来事は、一生に一度だけの機会で、生涯に一度限りでのことです。

そうすれば、真剣にその出来事に向きあえます。

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シンプルに、そのままモノを見ること

2020年07月09日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

経験が増えると、理解できることが増えていきます。

それは、単に記憶の量が増えているだけではなく、パターン認識をしているからです。

パターン認識といっても、ちょっと分かりづらいから、具体的に説明しますね。

たとえば、スーパーに行ったとします。そのスーパーに入るのははじめてです。

卵を買いたい。ふつうに買えますよね。問題なく。

それは、買い物のパターンを認識してるからです。記憶だけに頼ると買い物が難しくなる。

それぞれのスーパーの買い方あって、いちいちそれを覚えないとダメだからです。

たとえば、そうですね。そのスーパーは、一回、自分でバーコードリーダーにかけて、レジに持っていくみたいな。

知らんよ、そんなのってなります。いちいち覚えてられません。

でも、だいたい同じ買い物の手順があって、それをパターン認識しているから、どのスーパーでも問題なく買えるわけです


歳をとって、色んなことができるようになるのは、こういうことです。

様々なパターンを覚えていて、それに当てはめるから、理解が早い。

パターン認識は、すごく効率のいい脳の利用方法で、物事の理解を早めるのには役に立ちます。

しかし、問題もあります。

まったく想像していない出来事に遭遇すると、うまく機能しないのです。

つまり、そのパターンから外れたとき、新しい考え方をするのが難しくなるんです。

よく、歳を取ったら頭が固くなると言われますよね。

それは、このパターン認識が原因だと思われます。

つまり、自分の思考の型から抜け出せなくなるわけです。

しかし、このパターン認識から逃れて、新しい発想をするのに有効な方法があります。

それは、アートを鑑賞することです。とくに絵画を鑑賞することがいい。

絵画は、経験に基づいたパターン認識を使うことはできません。

そこには独特の観察眼を必要とする。

絵画の鑑賞は、言葉にはできない美意識を必要とします。

美意識は、過去のパターンから起こるのではなく、いまこの瞬間に自分が感じている心を、味わうことです。

もう一度、小林秀雄の「美を求める心」を引用してみますね。

諸君が野原を歩いていて、一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。
見ると、それは菫の花だと解る。
何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。
諸君は心の中でお喋りをしたのです。
菫の花という言葉が、諸君の心のうちに入って来れば、諸君はもう目を閉じるのです。
それほど、黙ってものを見るという事は難しいことです。


このパターン認識から自由になることは、イノベーションと密接に関わっています。

イノベーションは、今までにない新しいパターンを自分で見つけ出すことだからです。

だからこそ、世界のエリートが、「美意識」を見直し始めているのです。

過去の経験にとらわれることなく、ここに今あるモノをシンプルに見ることは、簡単ではありません。

美しいものに触れることが、その近道でしょう。



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CWTCH クチュという言葉

2020年07月08日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

イングランドの西にウェールズという国がありますね。

もちろん、The United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandの一つですが。

微妙にイングランドと文化が違います。

僕たちには、その微妙な違いはよく分かりません。

たとえば、英語の他に、ウェールズ語が話されています。

そのウェールズ語に「クチュ」という言葉があります。

簡単にいうと、ハグとか抱きしめるという意味だそうです。

ただ、「抱きしめることは誰でもできるが、クチュはウェールズ人にしかできない」と言われています。

恋人などの恋愛関係だけではなく、身内や友人など広く愛する人を対象とします。

人に寄り添い、愛情を抱き、相手を優しく包み込むという意味のようです。

しかし、普通のハグとは違う。じゃあ、どこが違うのだろうか?

僕はウェールズ人ではないので、はっきりとは分かりません。

だから、ここからは推測になります。

まず、クチュには、隠れ家という意味もあります。

これをヒントに考えてみましょう。

たぶん、抱きしめるという行為より、場をつくるところに、重きがあるのではないかと思います。

つまり、抱きしめることによって、人を守る空間をつくる。

そして、そこに愛する人を逃げ込ませる、という意味だと思うのです。

安全で安心な愛の空間をつくるということです。

たしかに、愛情に包まれた安らぎの空間を作るというのは、意識しないと、なかなか難しいことですよね。

強く愛し合っていても、相手を不安にしてしまうことがありますから。

愛するだけでなく、安心させるような信頼関係も必要なのでしょう。


僕たちの使っている「頑張れ」という言葉も、意外と英語に訳しづらいそうです。

でも、頑張れって、いい言葉ですよね。

それぞれの国で、それぞれの文化に沿った素晴らしい言葉があります。


これはクチュに関する詩です。

クチュは、歴史に染み込んだウェールズの言葉です。

クチュがどこから来たのかは謎です。

そして、クチュから得る感覚を説明するのは難しい

しかし、最初のクチュを経験したら、決して忘れることができません。

クチュは素晴らしい朝または夜を与えてくれます。

クチュは、戦いを乗り越えるためには、一番いい方法です。

クチュは、鎮痛剤として、錠剤よりも優れています。

すべての病気を忘れます。

クチュは中毒性のある薬物です。

一度、クチュを楽しんだら、もっと欲しくなるでしょう。

クチュは抱擁以上のものです。それはあなたが特別な人に与えるものです。

クチュの芸術は、私の人生に受け継がれています

両親や恋人から、私が学んだことは真実です

クチュの精神が、わたしたちの中に生きています!

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モーツァルト・ピアノ協奏曲20番

2020年07月07日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

どうも僕の気分は、天候に左右されるみたいだ。

雨が降ると、気分が落ち込んでくる。

やっぱり、そんなときは音楽を聴くのがいい。クラッシックがいいかな。

クラシックの中でも、とくにうっとりと聴き入ってしまう曲がある。

モーツァルトのピアノ協奏曲20番だ。それも内田光子さんの演奏が最高です。

というか、ピアノ協奏曲に関しては(特に20番)、内田さん以外はあんまり聴く気がしない。

それくらい、内田光子さんの演奏が好きだ。

モーツァルトのピアノ協奏曲は、明るい長調が多い。

しかし、20番はめずらしく短調の曲だ。

第1楽章は、不穏な嵐の中にいるような出だしで、重く暗い雰囲気で始まる。

しかし、しばらくすると美しいピアノソロが、静かに入ってくる。

激しい嵐が穏やかになり、美しい風景があらわれてくる。

第1楽章は、内田さんのピアノソロが入るところまで、ぜひ聴いてくださいね。とにかく感動します。

第2楽章は、美しい楽曲で人気がある。僕も悪くないと思っている。

しかし、僕は、第3楽章の最初の激しいピアノのソロの部分が、一番だ。

もう好きどころか、愛してると言っても良い。好きすぎて、心がかき乱される。

11年前にも同じような内容のブログを書いていて笑える。人の好みは変わらないようだ。

そのピアノ・ソロの部分は、激しい恋愛をしてしまった男が、恋い焦がれている女性を思い浮かべ、頭をかきむしって苦悩している姿を、想像してしまう。

ぜひ、第3楽章のピアノ・ソロを聴いてみてください。好きになると思います。


35分くらいかけて、この曲を聴き終わる。すっかり気分が落ち込んでいることを忘れている。

本当に不思議だ。音楽って素晴らしいですね。

内田さんの演奏するピアノ協奏曲20番のyoutubeの動画をアップしておきます。

前にこの動画を友人に教えたところ、内田さんの指揮が面白すぎて、演奏に集中できないとの指摘がありました。

その気持ちはよーく分かります。僕だってちょっと笑ってしまう。

しかし、僕が指揮しても、感情が入りすぎて、あんな感じになると思いますよ。ほんとに。

ただ、演奏は超一流です。それだけは保証します。

第2楽章

第3楽章

Mozart: Concerto for piano and Orchestra (d-minor) K.466, Uchida

 

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極限の状態で何を考えるか?

2020年07月06日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

わかりやすくするために、細かいことは省きます。

ペルーのアンデス山脈に、南半球最大の山、シウラグランデ峰(6344m)がある。

1985年に、ジョーとサイモンが世界で初めて登頂に成功した。

しかし、下山のときに、ジョーがつまずいて足を骨折した。

このレベルの山で、足を骨折したらほとんど死の宣告に近い。

しかし、二人はあきらめなかった。

二人をロープにつなぎ、骨を折ったジョーを先に滑らせて、サイモンは足で踏ん張って止める。

そして、サイモンはジョーのところまで降りる。それを何回も繰り返し、下山する作戦をとった。

この作戦は、まあまあうまく行っていた。

しかし、ついに運命の時が来る。

ジョーの降りた先が、クレバス(雪の割れ目)だったのだ。

サイモンのロープが、ピンと張り詰めた。ジョーの体重のすべてがロープにかかっていた。

サイモンは二つの選択を強いられる。

このまま力尽きて一緒にクレバスに落ちていくか、ロープをナイフで切るかだ。

サイモンはロープを切った。そして、ジョーはクレバスの闇に落下していった。

しかし、落下したジョーは死ななかった。

クレバスの底は、地上へつながっていたのだった。

ジョーはここで二つの選択があった。ゆっくり休んで死を待つか、クラバスの出口へ向かうか。

ジョーは出口に向かい、闘う道を選んだ。そして、これをゲームだと考えることにした。

「20分であそこの場所までいく」というゲームに。

骨折して歩けないから、ほふく前進で進んでいった。

決めた時間に間に合わなそうなときには、ピッケル(雪に刺して使う道具)を杖代わりにして歩いた。

このゲームをクリアできたとき、ジョーは高揚感でゾクゾクしたそうだ。

そういうふうに、小さい目標を決めて、困難をひとつひとつクリアしていった。

このゲームを4日間続けた。そして、ついにベースキャンプにまで、たどり着いた。

しかし、力尽きて、そこで眠ってしまう。

しばらくして、あまりの臭さに目をさます。自分の顔の付近に排泄物があったのだ。

そこはベースキャンプのトイレだった。

ジョーが大声でサイモンを呼ぶと、サイモンがやってきてジョーを抱きしめた。

ジョーは奇跡的に助かった。


この話は、僕たちに何か重要なことを教えてくれます。

どんな過酷な状況でも、それを楽しめるということです。

ジョーは最悪な状況をゲームにして楽しんだ。

結局、それが生きることにつながったのです。

運命を分けたザイル 予告編 -Touching The Void-

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考えるより、行動しよう

2020年07月05日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

Think clearly という本がある。

この本は、最新の学術研究をもとに、良い人生を送るための思考方法を扱った本だ。

なかなか面白いし、ためになる。

最初の章に「考えるより、行動しよう」という項目がある。

文章がどんどん書けるようになるための秘訣は?と著者は問う。

アイディアは、考えているときではなく、書いている最中に浮かぶのだ、だから、とにかく書き始めろ、と著者は答える。

著者いわく、この法則は人間が行うありとあらゆる領域の活動に当てはまるそうだ。


僕は、何を書くか、おおよそ決めて、書き始める。

しかし、何かがハッとひらめいて、まったく違う内容になることが多い。

だから、前半と後半が微妙にちがう内容になっている時がある。

たしかに、アイディアは、書いている最中に浮かぶ。

そして、適当に思いついた内容のほうが、意外と面白かったりする。

そういう意味では著者の言うことは当たっていますね。


じゃあ、たとえば、「ニヤリとする言葉」という本を、たった今、取り出しました。

パラパラとめくってみる。

「教授とは、寝ている人に話す人」という言葉がありました。

ハハハ、まったくそんな感じですね。それで、昔のことを思い出しました。

適当に書いてみます。


大学で、すごく印象に残っている授業がある。社会思想の講義だ。

その講義は人気がなく、だれも真剣に話を聞いていない。

教授は学生のことはお構いなしに、どんどん話を進めていく。ほとんど黒板には書かない。

ちょっとオタクっぽいおじいさん先生で、みんなバカにしてた。

だけど、僕はあんなに面白い授業はなかったと思っている。

僕は、一番前の席に座って、教授が話している言葉を、漏らさないように一生懸命ノートに書いた。

授業が終わると、そのノートをきれいに整理して、書き直した。

大学のときに書いたノートで、唯一、今も手元にあるノートだ。

授業を聞きに来ている学生は、僕を入れて3人くらいのときもあった。

学生の中で、目を輝かせて、講義を聞いているのは僕だけだ。

教授とは一回も言葉を交わさなかったが、二人の間に言葉にはできない関係があったと思う。

教授は、僕の存在で、ずいぶん心が温められたに違いない。

学期末試験のとき、教授は長いこと僕の横に立って、僕の書いている答案を読んでいた。

それ以来、教授にはあっていない。

成績は、まあ、Aでした。自慢ではないです。

そう聞こえたら、申し訳ありません。

 

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孤独について

2020年07月04日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

新潟の友人が、東京に1人で遊びに来たことがある。

それで渋谷を歩いてるとき、今までに感じたことのない孤独感を味わったそうだ。

沢山の人が歩いているが、誰一人俺のことを知らないんだな、と思ったそうだ。

なるほど、群衆の中の孤独だ。

僕はそれについてはあんまりピンとこなかった。

東京に住んでいて、そういうことに慣れているし、もしかしたら、そういう孤独には強いのかも知れない。

少なくとも僕の孤独感とは違う。

僕には僕の孤独がある。

ちょっと深夜の遅い時間にブログを書いているから、やばいかな。変な方向にいきそう。

まあいいか、たまには。

僕はたくさんの人を好きになることはない。しかし、限定された少数の人を深く愛してしまう傾向にある。

そして逆説的だが、どれだけその人を愛していたかは、その人を失ったときにわかる。

僕はその失った時の悲しみに耐えられないようだ。

そのときに深い孤独感を感じる。

顔では笑っていられるし、冗談も言える。普通に生活していられる。

しかし、心の中は空っぽの真っ暗闇だ。

どうして、人生でそういうことが起きるのだろうかと思う。

そして、これから先も起こるだろう。

想像してください。

窓のない鉄でできた大きな真四角の部屋を。

その大きな部屋に、1人で閉じ込められている。

光は一切ない。音もしない。ただの暗闇だ。

何にも見えず、手探りで、何かを探している。しかし、何も見つからない。

自分が何を探しているのかすら分からない。

そして、この部屋は、僕の魂を凍りつかせる。

魂が凍りつくと、感情は消えさり、二度と人を愛することはできない。

僕は、その中で最善を尽くしている。少なくとも、負けないつもりで戦っている。

だが、もうそろそろ終わりだ。もう力尽きた。僕は戦いに破れてしまった。

ほとんど魂は凍りついている。もう、魂が死ぬときが来たようだ。

そのとき、天井からまっすぐ一筋の光が差す。

僕はゆっくり顔をあげて、光の方に体を向ける。

両手を広げて、その光を浴びる。光は、ほのかに温かい。

その温かさが、凍りつきそうになっていた僕の魂をゆっくりと溶かしていく。

溶けた魂は、僕のまぶたから、ゆっくり溢れ出る。

そのとき、僕はこの光の意味を知る。

それは、僕にもう一回立ち上がる勇気を与えてくれた、あなたの愛だ。

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恐怖について

2020年07月03日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

むかし、知り合いと恐怖について話をしたことがある。

「なにか、怖いのってありますか」と聞かれた。

「うーん、あんまりないけど、高いところが怖いかな」と僕は答えた。

僕は山に登るくせに、高いところがちょっと怖い。怖いから、かなり注意して登る。

「彼女が、異常にゴキブリを怖がるんですよね」と彼は言った。

「普通じゃない。それは」

「いやいや、異常な怖がり方なんです。ブルブル震えるくらい。ゴキブリ恐怖症なんですって」

「そうなんだ」僕は冷めた声で言った。

なんでもかんでも恐怖症つければいいってもんじゃないだろ、と思ったからだ。

「でも、世の中には、まんじゅうが怖い人がいるそうですよ」

「えー、まんじゅうが怖いの?なんで?」僕は言った。

「知らないけど、そうらしいですよ」彼はそういった。

そのとき、僕は、まんじゅう恐怖症ってあるんだ、と漠然と考えていた。

ちょっと調べると、世の中にはありとあらゆる恐怖症がある。

面白いのをちょっとあげてみる。

美人恐怖症 美人を見ると吐き気がするようだ。かわいそうに思います。

吉報恐怖症 良い知らせが怖いそううです。 じゃあ、悪い知らせのほうがいいのか。

ピーナッツバター恐怖症 ピーナッツバターが上あごにくっつくのが怖いそうだ。わけわからん。

失笑恐怖症 お葬式など、笑ってはいけない場面で急に笑いがこみ上げてくる。それに対する恐怖症です。漫画家の蛭子さんがこれです。

人の恐怖って笑えますが、恐怖を感じている人たちは笑い事ではないですよね。

ただ一つだけ言えることは、恐怖を感じるのは、わからないもの、未知のもの、コントロールできないものです。

逆に言えば、扱い方を分かっていたら、ぜんぜん怖くない。

美人が怖い人は、美人のことが、わからず自分ではコントロールできないと思っているのです。

だから、恐怖する対象を、できるだけコントロールずればいいわけです。

しかし、そんなに簡単ではない場合があります。

僕は「死」が怖いですが、死はどんなに頑張っても、未知のものでコントロールできません。

だから、僕が死への恐怖から逃れることはできないでしょう。

できるのは恐怖を弱くすることだけです。

恐怖とどう向き合うかは、人生の質を上げるために、すごく重要なことだと思っています。

恐怖は、無知と弱い内面から起こるからです。

ところで、あるとき古典落語に「まんじゅうがこわい」という演目があるのを知った。

たぶん、彼が言っていたのはこれだったんじゃないかと思っている。

あるとき誰かが落語の話をしていた。しかし、彼は誤解して、まんじゅうが怖いという人が、世の中にいると思ったのだろう。

僕も落語のことをよく知らず、突っ込むことができなかった。

まぬけとアホが、2人いたわけです。

じゃあ、僕は、まぬけの方でしょうか?アホの方でしょうか?

ハハハ、教えません。

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ちょっと気になるWEBマンガ

2020年07月02日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

「妻が口をきいてくれません」というWEBマンガがある。

題名のように、ある日、突然、妻が口をきいてくれなくなる。

読んでいると、ホラー映画のような恐ろしさがある。

6年間、生活は一緒にしているが、妻とはいっさい話しをしなくなる。

夫には、その理由がわからない。

夫の視点と妻の視点の両方から描かれている。

妻の視点から描かれた部分で、その理由が明らかになる。

これを読んで、いろいろ考えさせられた。

妻は、洗濯して、ご飯作って、家の中片付けて、いろいろ精一杯やっているのに、感謝もさせず、否定ばかりされる。

そういう気持ちを察してあげられないのは、良くないことだとは思うが、6年も話をしないとは。

マンガでは、夫がいちいち細かいことに小言を言っている。

しかし、夫は妻を傷つけていることには気づいていない。

たしかに、子供っぽい男だなとは思う。それでも、悪い男には思えない。普通の人だ。

男にもいろいろタイプがある。

1、妻をよく観察していて、いろいろ察知するタイプ

2、気づくところと気づかないところが半々なタイプ

3、言われないとまったく気づかないタイプ
  ①言われれば直すタイプ
  ②言われても直さないタイプ
  ③言われるとキレるタイプ

3②と③の場合、離婚を考えてもいいと思いますが、2と3①の場合、きちんと話をするほうがいいでしょうね。

マンガの夫は、3の①ですね。話せばわかるタイプです。

この夫婦のどこに問題があるんだろうか。簡単なようで難しいですね。

この夫婦の行方に,ちょっと興味があります。まだ連載は終わっていないので。

夫の視点から

1妻が口をきいてくれません(3日目)

2妻が口をきいてくれなくなった(2週間目)

3妻が口をきいてくれるよう頑張ってみた(1ヵ月目)

4妻が口をきいてくれなくても(2カ月目)

5妻が口をきいてくれないから家に帰りたくありません(3カ月目)

6妻が口をきいてくれなくてもそれでも日々は続く(1年目)

7妻が口をきいてくれないからあの二文字が頭をよぎります(5年目)

8妻が口をきいてくれました(6年目)


妻の視点から

9そのセリフを言うものは

10夫の背中に妻はつぶやく

11期待して、失望して、そして「あの日」が訪れた

12夫には期待などしないと決めたのです

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