こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

仕切り直すしかない

2008年11月13日 18時26分14秒 | Weblog
 今年から、新潟県佐渡市のお米の中でも、一番農薬使用量を抑えた、もっとも安全性の高い「朱鷺と暮らす郷」の販売が始まったのだが、最初から蹴躓いてしまった。

「朱鷺と暮らす郷」は、朱鷺の生活圏で栽培されているお米であることから、安全性を高めているために、生産量も限定されてしまうし、価格も高いことから、全国でも自分の店だけの販売となっている。
よって、他店の影響を受けずに、シッカリとした販売が出来ると考えていたのだが、現実は甘くなかった。

 どうしてなのかというと、同年から、佐渡コシヒカリ(安全性は別レベル)の販売を始めているスーパーがあるのだが、販売前にスーパー側として考えていた、佐渡コシヒカリの販売展開が、予想に反して出来ていないことから、当初設定していた価格よりも、既に5kgで200円ほど下がってしまっているらしいという情報が入り、さらに、その価格でさえも苦戦しているとの、悪い情報が入ってきている。
確か、スーパーと全農新潟との佐渡コシヒカリ(安全性は別レベル)の契約の中では、年間契約となっていると聞いているので、販売前のイメージ展開が出来ていないとなると、今後は、さらに価格を下げていく可能性がある。
 もう一つ、以前から販売をしている某組合では、安全性は言いながらも、産地の将来性や、産地が置かれている現在の状況を考慮しないで、相変わらず価格優先の販売を続けている。

 実はこれが、自分にとっても、佐渡のためにも、朱鷺のためにも必要不可欠な「朱鷺と暮らす郷」を販売していくに当たって、ものすごく邪魔な存在になってしまっているのだ。

 一つのブランド米を作り上げるには、膨大な時間とエネルギーが必要となるし、ブランド化が安定するまでは、どんな些細なミスも許されない。
ましてやこのお米は、朱鷺の将来にも影響する、とても大切なお米なのだ。
「話題だから」「今が旬だから」などという安易な考え方でお米を販売したりして、お願いだから足を引っ張らないでほしい。
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口約束で、大丈夫な仲でいたいのだが

2008年11月13日 15時51分46秒 | Weblog
 某産地と、今年の田植え前に、慣行栽培で安定品質の銘柄米を、年間同じ価格で1000俵(30kg×2000袋)欲しい。さらにそれを、毎月80俵ずつ、産地から配達して欲しいとお願いしておいた。
 この産地で1000俵というと、前もって生産者に、栽培と量の確保をお願いをしておかないと、なかなか実現できる事ではない。
それも80俵ずつ配達するとなると、当然トラックの手配もしなければならない。
だからこそ、田植え前にお願いしたのだ。

 しかし、いざ配送が始まるとなったら、このことについて産地は、全く準備をしていなかったため、当然、価格は見直さなくてはならなくなるし、仕入れるタイミングも、実際に仕入れる量も狂ってしまうという事態になってしまったのだ。
 こういうことにならないようにと、本当なら契約書を作ってしまったほうが良かったのだが、産地との信頼関係が出来ていると考えて、口だけの約束としておいたのだが、今回は、それが裏目に出てしまった。

 自分としては、「裏切られた」という思いが強くなってしまい、産地がモタモタすればするほど、電話で「いいかげんにしろ」と、怒鳴ることとなってしまったし、実際に会ったときでも、「ふざけるな」と怒ってしまった。

 お米を、一つの商品として、物のように扱うことは簡単なのだが、自分が取り扱っているお米だけは、そうあって欲しくないと思っているから、こんなトラブルは避けたいものだ。
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山形97号、ようやく本腰になったか

2008年11月13日 14時51分05秒 | Weblog
 なかなか産地での方向性が決まらないまま、宙に浮いた感じになっていた、山形県の新品種「山形97号」も、そろそろ名前が決まる最終段階となってきたことや、来年には消費地でのテスト販売も始まることから、本格的に動き出し始めたようだ。
 山形県にとっては、「はえぬき」「どまんなか」の2大銘柄のブランド化に失敗してしまったという、苦い過去があることから、今回の新品種については、何が何でも成功させて、産地の活性化をするための、若い後継者を作り出すための、魅力あるブランド米として、シッカリと成長させなければならないという、厳しい現実がある。

 しかし、消費地は冷え始めていて、少しでも価格の安いほうへと動きたがっている。
その中で、一定以上の価格を付けて、ブランド化していくためには、ただ「美味しいお米」「山形県の新しいお米」というだけでは、初めから無理なことは明らか。
どこが、どういう風に美味しいのか。どう食べれば、お米の一番良さがわかるのか。どんな料理にあうのかなど、調べなければならないことは山ほどある。
また産地側でも、ブランド化が完成するまで、個々が安易に行動したり、組織としても、うかつな計画をしないように、山形県全体で、最新の注意をし続けることが出来るのかなど、決めておかなければならないことが、さらに山ほどある。

 果たして本当に出来るのか。出来なければ、山形県の将来は無いだろう。
この、山形県の全てを背負っている、山形県最後の新品種、何が何でも成功させてほしいものだ。
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なんて愚かな。新潟が、値段を下げて販売するそうだ

2008年11月13日 09時19分33秒 | Weblog
 複数の情報筋から、「新潟県が昨年と同じように、年内中にコシヒカリの値段を下げての販売に変更するようだ」という情報が入った。
真偽に付いては、まだハッキリしていないのだが、もしもこれが本当だとしたら、「なんて愚かな」と思うと共に、「新潟は自滅の道を選んだんだ」と確信する事となるだろう。
 安く販売するということは、今まで自分が作り上げてきた「ブランド産地」を捨て、「お買い得産地」になるということだ。
「お買い得産地」は、何処まで行っても「お買い得産地」であって、「ブランド産地」とは明らかに違う。
有名な産地だから、誰もが知っている産地だからという理由が、「ブランド産地」という訳ではないのだから。

 これからお歳暮時期となる。今回は事故米の件もあることで、お歳暮にお米を使うのかどうかに疑問がある。
もしも使うというのであれば、誰もが知っている産地を贈ろうとするのは明らかだろう。
その産地が、安売りしている産地だとしたら、はたして贈り物として使ってくれるのだろうか。
自分が送る立場だとしたら、贈った側に失礼が無いように、安売りをしていない産地を選ぶだろう。

 産地からすると、5kg2000円弱だとしたら、「まだ良い価格だ」と思うかもしれないが、1キロ400円もしないお米については、、どんなに知られている産地であろうが「お買い得米」であって、「ブランド米」とは言わないのである。
消費地でのブランド米価格というのは、1kg500円弱からなのだ。
 また、一度値段を下げてしまったら、今の消費地での現状からすると、二度と価格を上げることは出来ないだろう。
そういうことを判って、それでも価格を下げるというのであれば、それはそれで仕方が無いのだろうが・・・・
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県庁さん。佐賀で自分を知っている人は、もういないんだよ

2008年11月13日 03時06分11秒 | Weblog
 この前、佐賀県庁から一つの企画が提案されたのだが、自分はその計画にOKを出さなかった。
効果が出ないことが判っているからである。
スズノブの名前が、佐賀で罷り通っていた時代は、とっくに消え去ってしまっていて、既にスズノブという名前は過去のもの・・・
そのスズノブを今更使っても、佐賀では「誰。この米屋」となってしまうだけだろう。
それが判っていて、OKを出せるはずが無い。

 他の米屋から見れば、関東に佐賀の米を引っ張り込んだスズノブと佐賀県との関係は、シッカリした物のように見えるかもしれないが、残念ながら、今はそうではなく、佐賀で何が起こっているのか、何をしようとしているのかなどの情報は、あまり入っていないのである。
担当がサボっているというのではなく、一枚岩のようになっていた佐賀県でも、農協の合併等があったことで、足並みが揃わなくなってバラバラになってきているという事だ。

 佐賀県で自分が過去の物になってしまっていると確信したのは、今年の新米時期に、JA白石地区へ某新聞社が取材に行って、その時に、「担当の対応が悪いようだったら、スズノブの名前を出してみて」と言っておいたので、実際に記者が言葉にしたのだが、「誰?」という反応だったそうである。
 毎年、JA白石地区からは、直送で「七夕こしひかり」を仕入れている。
産地が売れ残らないようにと、産地が活性化するようにと、佐賀が九州一になるようにと、長い間ブランド化も手伝っているつもりだったのだが、そのスズノブをJA白石地区の職員は知らないということだ。

 もう一つ、今年のお米の出来が良かった地域で、品質によって流通を分けたいという要望が、流通が始まろうとしている直前に入ってきた。
自分は毎回、新しい計画を実行するには、前もって販売計画を作らなければならないので、直前で言わないようにと言い続けていたはずなのに、産地はそのルールを守らなかったので、せっかくのお米なのだが、販売することは出来なく無くってしまった。
こんなことが続いたことで、「あぁ。もう佐賀県でも、自分は用無しなんだな」と確信するに至ったのだ。
だから、自分を使っての企画に対して、OKをすることは、もう無いと思って欲しい。
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たかがスズノブ

2008年11月13日 02時30分42秒 | Weblog
 11月3日から、ブログは止まったまま・・・
今の自分は、苦しみ、悲しみ、惨めさ、屈辱感が強くなってしまっていて、全く前に進めないままとなってしまっている。
どうやら、産地のためにと思って行動してきたことは、全ておせっかいだったようだな。
どんなに産地のためにと思って知恵を絞っても、どんなに説明しても、その計画が動くことは、やっぱり無いようだ。運よく動いたとしても、その後の自分は、計画の中から放り出されているのが現実となっているし。
所詮、産地からすれば「たかが米屋」なのだろう。

 たかが米屋では、やはり大組織には勝てるはずが無い。
「それでも・・・」と思って、「産地のために・・・」と思って、肩で風を切って、真っ直ぐに進んできたのだが、さすがに疲れてきてしまっている。
深夜に玉川島屋へ納品へ行くために、家を出る前に鏡の前に立つのだが、そこに映っている自分の顔は、歳以上に疲れていて、老けてしまっている。

自分は、今まで何をしてきたのだろう。
それこそ、産地に言い続けていた「ひとりよがり」を、実は自分がしていたのではなかったのではないだろうか。
そう考え始めたら、「自分の役目は終わっている」と思えてきた。
だから、来年を区切りに、SPRは縮小していこうと思っている。
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