こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

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北海道米プロジェクトについて、改めて考えてみる-1

2008年11月23日 11時15分29秒 | Weblog
 ホクレンと産地の生産者がしでかした巨大なミスのために、現在、北海道米プロジェクトは止まってしまったままとなっている。
「どうやったら再起動できるのか」と、毎日考えてはいるのだが、その場しのぎの作戦なら、いつくか見つかったのだが、「これ」といった決定的な作戦についは、いまだに見つかっていない。

そもそも、北海道米プロジェクトというものは、どういう考えから実行することになったのか。
まだ実行してから、数年しか経っていないのだが、今では、ものすごく過去のプロジェクトのように感じていることから、もう一度北海道米プロジェクトについて、考え直してみようと思う。

北海道で農業土木の仕事をしていた関係から、北海道の水田環境については、ある程度の知識があった。
その中で自分としては、北海道は水田の実力を活かしきっていないという思いがあったのだが、水田を活かしきる品種と栽培が見つかっていないという現実があったため、今は北海道米をブランド化する時期ではないと、長い間、実行しないままでいた。
それと、自分ごときが出しゃばらなくても、北海道にはホクレンという大組織があることから、ホクレンでブランド化をしてくるのだろうと思っていた。

そんな中で、消費者に支持される実力をもって生まれた「きらら397」なのに、低品質の「きらら397」を消費地に送り込んで、スーパー・量販店で、低価格での販売をしてしまったことから、以前の銘柄米で言われていた「北海道米は不味い」というイメージを、さらに消費地で確実なものにしてしまったことで、日本の全ての柄米の中で「最低の米」と言われてしまい、その時点で、ブランドへの道は完全に断ち切られてしまっていた。

「きらら397」以降に、「ほしのゆめ」「ななつぼし」「彩」「あやひめ」などのお米も誕生したりしたのだが、消費地では「きらら397」の悪いイメージが強すぎてしまい、特売価格の「きらら397」だけは店頭に並んでいたが、その他の銘柄米は、ほとんど店頭に並ぶことが無いままとなってしまっていた。

よって、自分としては、「きらら397」をブランド化するのは不可能と考え、「ミルキークイーン」が人気となっている時期があったことから、「彩」「あやひめ」の低アミロース米をが誕生した時には、いち早く消費地で販売することが出来たら、少しでも北海道米のイメージアップになるのではないかと考えて、仕入れルートを作り出そうとしたが、結果として断念することとなってしまった。

それでは「ほしのゆめ」「ななつぼし」ならどうなのかと、色々とデータ分析をして、消費地での可能性を調べてみたのだが、結論から言えば「ほしのゆめ」については、「きらら397」の食感と近いことから、時既に遅く、いまさらブランド化を実行したとしても支持されることは無いと結論付けることとなった。

「ななつぼし」については、「コシヒカリ」系とは違う特徴を持っていて、この特徴については、お米の食べ比べが出来ない消費者でも判ってもらえる可能性があることが判ったのだが、とはいえ「コシヒカリ」とは反対側に位置する「ななつぼし」の特徴を、消費者がマイナスではなくプラスなんだと考えてもらうためには、ただ店頭で並べているだけでは不可能で、店頭で、それもリフレットなどではなく、口頭で、「ななつぼし」の特徴と、「ななつぼし」の特徴が秀でる食べ方を、消費者に直接提案しなければならないという、厳しい現実があることが判った。

したがって、「ななつぼし」のブランド化を実行するには、その前に「ななつぼし」の特徴を「美味しい」といってくれる、新しい食文化を作る必要があり、そのために仕掛けた食文化が、玄米食・分搗き米・雑穀米・朝食・おかゆ等であるが、残念ながら、この時代(流行)の寿命は短く、1回波が来たからといって、安易に仕掛けようとしてしまうと、この時代に対する産地の体制が出来上がった頃には、消費地では既に寿命が尽きていることは明らかのため、寿命が尽きないように、これらの時代を、ある一定のサイクルで、強制的に波が起きるように仕掛けなければならなかった。

玄米食・分搗き米・雑穀米・朝食・おかゆ等の時代が、一定のサイクルで波が来るように仕掛けるのに約10年。自分としては、もっと早く実現できると思っていたのだが、思った以上に時間がかかってしまう結果となってしまった。

その10年の間に、ブランド米になることが出来ないでいた北海道米は、消費地では忘れ去られる存在になり始めていて、北海道の生産者の意欲も、かなり落ち込んでしまっていたため、直ぐにでも「ななつぼし」を消費地に送り込まなければ、産地も崩壊してしまうだろうし、消費地でのブランド化も不可能になってしまうという限界時期となっていたのだが、残念ながらその波に乗せるための方法が見つからずに、かなり焦っていた。

そんな時に、うわさでは聞いていた、中央農試技術体系化チームの高度クリーン米栽培の体系化実証(クリーン農業:H16~17)が、本当に実証されていて、それも、自分が良く知っている芦別地域で、それも「ななつぼし」で行われていることを聞きたのだった。
さらに、その実証精度についても、自分の求めているレベルであったことから、「この米なら、作り上げてきた新しい食文化に送り込んでも、決してマイナスには評価されないだろう」と考え、ホクレンに良い顔をしてもらえない中でSuzunobu Project Riceとして販売に踏み切ったのだった。
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