こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

県庁さん。佐賀で自分を知っている人は、もういないんだよ

2008年11月13日 03時06分11秒 | Weblog
 この前、佐賀県庁から一つの企画が提案されたのだが、自分はその計画にOKを出さなかった。
効果が出ないことが判っているからである。
スズノブの名前が、佐賀で罷り通っていた時代は、とっくに消え去ってしまっていて、既にスズノブという名前は過去のもの・・・
そのスズノブを今更使っても、佐賀では「誰。この米屋」となってしまうだけだろう。
それが判っていて、OKを出せるはずが無い。

 他の米屋から見れば、関東に佐賀の米を引っ張り込んだスズノブと佐賀県との関係は、シッカリした物のように見えるかもしれないが、残念ながら、今はそうではなく、佐賀で何が起こっているのか、何をしようとしているのかなどの情報は、あまり入っていないのである。
担当がサボっているというのではなく、一枚岩のようになっていた佐賀県でも、農協の合併等があったことで、足並みが揃わなくなってバラバラになってきているという事だ。

 佐賀県で自分が過去の物になってしまっていると確信したのは、今年の新米時期に、JA白石地区へ某新聞社が取材に行って、その時に、「担当の対応が悪いようだったら、スズノブの名前を出してみて」と言っておいたので、実際に記者が言葉にしたのだが、「誰?」という反応だったそうである。
 毎年、JA白石地区からは、直送で「七夕こしひかり」を仕入れている。
産地が売れ残らないようにと、産地が活性化するようにと、佐賀が九州一になるようにと、長い間ブランド化も手伝っているつもりだったのだが、そのスズノブをJA白石地区の職員は知らないということだ。

 もう一つ、今年のお米の出来が良かった地域で、品質によって流通を分けたいという要望が、流通が始まろうとしている直前に入ってきた。
自分は毎回、新しい計画を実行するには、前もって販売計画を作らなければならないので、直前で言わないようにと言い続けていたはずなのに、産地はそのルールを守らなかったので、せっかくのお米なのだが、販売することは出来なく無くってしまった。
こんなことが続いたことで、「あぁ。もう佐賀県でも、自分は用無しなんだな」と確信するに至ったのだ。
だから、自分を使っての企画に対して、OKをすることは、もう無いと思って欲しい。
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たかがスズノブ

2008年11月13日 02時30分42秒 | Weblog
 11月3日から、ブログは止まったまま・・・
今の自分は、苦しみ、悲しみ、惨めさ、屈辱感が強くなってしまっていて、全く前に進めないままとなってしまっている。
どうやら、産地のためにと思って行動してきたことは、全ておせっかいだったようだな。
どんなに産地のためにと思って知恵を絞っても、どんなに説明しても、その計画が動くことは、やっぱり無いようだ。運よく動いたとしても、その後の自分は、計画の中から放り出されているのが現実となっているし。
所詮、産地からすれば「たかが米屋」なのだろう。

 たかが米屋では、やはり大組織には勝てるはずが無い。
「それでも・・・」と思って、「産地のために・・・」と思って、肩で風を切って、真っ直ぐに進んできたのだが、さすがに疲れてきてしまっている。
深夜に玉川島屋へ納品へ行くために、家を出る前に鏡の前に立つのだが、そこに映っている自分の顔は、歳以上に疲れていて、老けてしまっている。

自分は、今まで何をしてきたのだろう。
それこそ、産地に言い続けていた「ひとりよがり」を、実は自分がしていたのではなかったのではないだろうか。
そう考え始めたら、「自分の役目は終わっている」と思えてきた。
だから、来年を区切りに、SPRは縮小していこうと思っている。
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ずっと悩んでいる

2008年11月03日 16時16分46秒 | Weblog
 しばらくブログを書かなかったのだが、実は、その間ずっと、「今まで自分が実行してきたSPR(Suzunobu Project Rice)は、産地にとって必要無かったのでは」と悩んでいたのだ。
産地の現在の状況や、将来のことなどについての問題は、本来、産地で解決するのが当たり前のことで、産地と関係が無い自分が、たかが1件の米屋が、わざわざ出しゃばる必要なかったのではないのだろうか。 と・・・・
 心臓に剛毛が生えている自分が、なぜ、このように考え始めてしまったかというと、仕掛けていた産地が、自分の意見を聞くことなく、ことごとく勝手に動き出してしまったのだ。
動くことでプラスとなるのなら、まだ良いのだが、現在の消費地は、ものすごくコントロールが難しい。
その難しさを知らずに、産地で考えた勝手な消費地イメージで動いてしまったり、たかが1~2年程度の成功で舞い上がってしまって、安易に動いたことで、自分で自分の首を絞めることとなってしまったのだ。
 ブランド化というのは、あるポイントにたどり着くまでは、細心の注意が必要で、些細なミスも許されない。
なのに、仕掛けていた産地は、ことごとく勝手なことをして、ブランド化を遠ざけてしまっている。
遠ざけているというより、自分から失敗に持って行っていってしまっている。
 今回のことは、自分のミスではない。
ブランド化するために、協力を頼まれていても、特別にお金を貰っているわけでもない。
ただ、産地が元気になればと思って、ブランド化を手伝い、進めていただけなのだ。
したがって、今回のことについても、わざわざ自分の意見を聞かなければならないという事はひとつも無い。
 しかし、どの産地も、たどり着ける可能性は十分に持っていたのに・・・・
キツイ現実だな。
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