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自転車ロードレースやロングライドの話題が中心です。
脊椎関節炎と付き合いながら生活しています。

ツールド北海道2012 市民レース Cコース S5

2012-09-17 18:35:44 | 自転車
寝るときに目覚ましをかけるのをすっかり忘れていたのだが、奇跡的に(笑)朝4:45にパッチリと起床。
体重はきっちりと67kg。
67kgは、自分にとって絞り過ぎずパワーの保てる体重だと思っている。
レースの日の朝食は、恒例の「おはぎ」と「みそ汁」。
特に理由はないのだけど、油と食物繊維の多い食事は避けといた方がよいかなというくらいの根拠。
食後に習慣的に飲んでいるサプリメントにコエンザイムQ10とBCAAを追加。
軽量化もスッキリ済ませて自転車や着替えを車に詰め込んで6:45に出発。

同じ区内の師匠宅で師匠をピックアップして高速道路で旭川へ向けて順調に走行中に、ポツポツと雨が降り始め、間もなく豪雨に変わり、その後も小雨になったかと思えば豪雨に変わる繰り返し。
師匠がスマホで天気予報を確認するが、やはり、雨。
雨のレースではパンクや落車が怖いので、できるだけ集団の前の方にいた方がよいのではないかとか、カーブの手前で抜け出して他の選手と絡まないようにした方が良さそうだとか、下りは前の選手の落車を避けられる車間をとった方がよいのかも、とか話しながら2時間かからずに旭川鷹栖に到着。
市内を抜けて美瑛に向かう途中の天候も同じく豪雨と小雨の繰り返し。
美瑛方面の空が少し明るいのが救いだったけど、重い気分のままゴール地点の駐車場に2時間15分で到着。
既にたくさんの車が駐車していた。

Cコースの受付時間までは、まだまだ時間に余裕があるので、とりあえずトイレへ。
駐車場を抜けて体育館にむかいながら、他の選手達の自転車を見学。
いろんなメーカーのフレームやホイールが華やかで、見ているだけでも楽しくなってきた。
やはりレースになると、勝負ホイールということなのか、カーボンホイールの割合がとても多かったのが印象に残った。

しばらく車の中でテレビを見たり、バナナを食べて時間をつぶしていたが、その間にも雨が豪雨と小雨の繰り返しで、レース開始時の天候が読めず、悶々としたまま。雨が小降りになって、他の車から選手が出てきてバイクを組み立てはじめた。
9:15頃にレースのウエアに着替え、バイクを組み立て、ドリンクを作って補給食をポケットに入れてスタート地点の聖台ダムへ自走で出発。
師匠のNew SRAM REDのリアの調子が悪くてギアが飛んで、何度か止まりながら調整。
スタート地点に着くまでは、雨らしい雨は降らなかった。
既に多くの選手達が集まっていた。
受付を済ませ、検車を受けて、出走サインをして、荷物を預けて、ゼッケンを取り付けてスタートまで待機。
雨が少し強くなってきたかも。

トイレに行ったり知り合いを捜したりしているうちに、プロのレースの選手団が通過するとのアナウンスがあり、選手の多くが道路沿いで見学に移動。
あたりまえだけど、選手達の体型は格好よく、ポジションも無理な感じがせず、高速でも集団での走行は安定していた。
雨が少し強くなってきた頃に、開会式。
雨のためパンクが多いとのアナウンスがあった。できるだけ路肩側を走らないように注意しようと思った。

スタート5分前からカウントダウン。
あまり現実感がないままスタート。
スタートは全員がコース上に出るまではパレード走行だったが、スタート直後からそれなりにスピードは速かった。
まごまごしているうちに、かなりの数の選手に追い越されてしまい、いつのまにか集団の後ろの方へ後退。
リアルスタートはまだまださきなのかと思っていたが、いきなりサイレン音がしてリアルスタート!
周りの選手が一斉に加速。
自分も遅れまいと先頭集団を目指して加速を開始。

リアルスタート直後は、選手達が反対車線にまで大きく広がって前を目指すため、対向車が来たら大惨事の危険が。
そのうち、後ろからクラクションを鳴らしてバイクが左車線に戻るように注意。
スピードが上がってきて集団が縦に伸びた影響もあって、集団は左車線に納まった。
できるだけ集団の右側(中央車線)を走りながら集団の前の方を目指した。
集団内は速度差が大きく、コース選択を間違えるとブレーキを握らなければならなくなり、その都度インターバルがかかるので、消耗してしまう。しかし、あまりにも速度差がバラバラなので、すぐ前の選手だけを見て走行ラインを決めても、その前の選手はまっすぐ走っているわけではないし、後ろの左右からも選手は上がってくるので、このあたりは最も神経を使って走った区間だ。

少し無理をしてでも、ここで集団の先頭の動きがわかる位置にいなければ、勝負には絡めなくなることは明白。
右折する前に、なんとか先頭集団(というほど意思統一された集団ではないのだけど)に追いつくことができた。
右折してすぐに1.5kmくらいの登りが始まった。
ここで集団はさらに縦に長く伸びると予想していた通りに、選手間の登坂力には差が大きく、各選手間の車間がどんどん開いた。
登りが苦手な自分だが、ここで遅れるわけにはいかないので、なんとか踏ん張って先頭が見える位置で下りに入ることができた。
でも、このあたりで既にBコースの選手もちらほらと前に見えていて、正直いって、どの選手がS5クラスの先頭なのか、わからなくなってきていた。ゼッケンの色で区別できるはずだけど、眼が悪い自分は10mも離れると走りながら小さなゼッケンの色部分まで区別ができない。わるいことに、雨でサングラスに水滴が着いたり、湿度が高くて少し曇っていたりして、視認性が良くなかった。
このことが、後々大きな失敗につながるとは、このときは思いもしなかった。

坂を上り切って、下りで先行している先頭らしき選手達にこれ以上遅れをとらないように食らいついて走った。
懸念していた下りのカーブや交差点での走行も、ビクビクするほどではないことがわかった。
下り切って交差点を左折して白金ゴルフ場の登りが始まるまでの長い平坦な直線に入った。
自分の予想では、ここで集団はスピードアップするか、あるいは、登りに備えて脚をためる動きが出るか、どちらかだと考えていた。
序盤こそ35km/hで進んだが、その後は32km/hから33km/h程度で淡々と進んだ。
ここで重要なミスに気がついた。
サイコンのスタートボタンを押し忘れていた。
長い直線の途中でようやくスタートボタンを押した。
中途半端なデータになってしまったけども、レース後に記録として楽しむためのデータであって、走行中はほとんど見ないので、レースに影響はなかった。パワーメーターでも付けて走っていれば、よいペーサーになるのだけど。

集団の後方はどうなっていたのか、後ろを振り返っていなかったのでわからなかった。
ときおり車線の左側を走るBコースの選手をパスしながら、その都度、集団が右に膨らもうとするが、うしろからタイミング悪く上がってくる選手も影響して、ブレーキを握らざるをえない場面もあった。インターバルがかかってきつかったが、ここで遅れたらレースは終わる。隙間を見つけては前に上がり、スピードが落ちた選手に前に蓋をされては下がることの繰り返しだったが、なんとか集団の先頭らしき選手達を見失わない位置をキープした。

いよいよ、このレースを決定付けると読んでいた、およそ6kmも7~8%が続く白金ゴルフ場への登りが始まった。
まだ先頭らしき選手は見えていた。
ここで出し切っては、まだ半分近く残るレースが終わってしまうので、セーブしながらもそれなりに追い込んで登った。
ここで自分は大きなミスを犯してしまった。
車間が大きく開いたことに加え、サングラスが汗で曇って遠くまで見通すことができなくなり、どの選手がS5の先頭なのかわからなくなってしまった。
かなり脚が辛かったので、自分は完全に先頭から遅れたと思っていた。
自分よりも先に登りはじめた同じクラスの選手達はおよそ十数名くらいだと思っていたし、辛かったしサングラスが曇って良く見えなかったが、そもそも登りが得意ではない自分は、同じクラスの選手を追い越したとは思っていなかったので、自分は十数番目の位置にいるのだと思い込んでいた。

登りの途中で声を掛け合った水色のジャージーの選手が山頂を前にダンシングで加速して前に出た。
自分は着いてゆけなかったが、山頂で下り始めたときにまだ見えていたので、諦めずに水色の選手をマークして下り始めた。
自分は体重があるため下りは速いはず。
身体を出来る限り低くして脚を止めずに回し続けた。下りの途中で追いつき、同じクラスの選手4名で一緒に下った。
ここで本日の最高速、78.5km/hを記録。
下り切る直前に4名がばらけたので、先頭に出て足切りポイントのビルケの森へ右折。
スピードが出ていたのでコースアウトしそうになったが、なんとか踏ん張って左折してインフォメーションセンターへの直線をギアをかけて走った。
左折してインフォメーションセンターの前を通ると、観光客が声援を送ってくれた。
余裕をかまして子どもに手を振ったりしていたが、間もなく右折して長い直線へ。
この時点では単独。
交通規制で止められていた対向車線の車から声援が上がる。
「赤いジャージ!頑張れ!!」
50km/h以上にスピードを上げていたのでハンドルから手を離すことができず、声援に応えることができなかったが、とても勇気をもらった。
ここから先、この直線を左折するまでの区間は、はっきりとは覚えていないのだが、前にいた選手達と一緒に走ったのか、後ろから追いついてきた選手達と一緒だったのか、最初は5名くらいで声を掛け合って回してスピードを維持し、左折手前では8名くらいで回していた。
このあたりは脚はそろっていなかったが、皆、一生懸命に回して前を引いてくれた。
場所によっては雨が道路にたまっていたので、前のバイクが巻き上げる水がシャワーのように降り掛かってきた。
自分もできるだけ順番を飛ばさずに前をひいて、先行する選手との差を詰めようと頑張った。

神社の手前で左折。
この段階で、白金ゴルフ場への登り口で見覚えのある選手を何名か発見し、直線での協調で前に追いつけたことを嬉しく思った。
しかし、この時点でもS5クラスの先頭に追いついたとは思っていなかった。
10番くらいの位置に付けているのだろうと思っていた。
ここから先はカーブも多く、ローテーションして速いスピードを維持する雰囲気ではなかったので、1kmほど先にある登りに備えて、集団の後ろの方で様子を見ようと脚を緩めた。
ところどころ雨で泥が流れた路面があり、あらためて雨のレースの路面状態の悪さを実感した。
このことで、この集団(S5で10番目くらいの位置と思っていた集団)の最後尾になり、休んで顔を上げていなかったので、前を走っている選手の減速に付き合ってしまい、いつのまにか集団との差が開いてしまった。
焦って追走し、なんとか登り口の手前で追いつき、登りの途中で何人かを追い越したが、ここまでゴール近くになると、もういろんなカテゴリーの選手が混走していて誰を追い抜いたから自分は何番目くらいを走っているとか、まったくわからなくなっていた。
それでも、ここでレースから降りてしまったわけではないので、乗馬スクール?の前を足を攣ってしまったらしいAチームの中学生?と並んで走り、差が開いてしまった前の選手を追った。

このあたりで後ろを振り返って気がついたのだが、自動車が自分の30mくらい後ろをずっと着いてきていた。
「まさか、回収車?」と思い、ドキドキしながらも一生懸命走っていたので、車のことを忘れてしまいながらも後ろを振り返る度に見える車が気になっていた。
ゴール後に思い返してみると、あの車は各クラスの先頭に着いていたサポートカー(予備ホイールを積んでいる)だったのではなかっただろうか?ということは、自分はほぼ先頭に近い位置を走っていたことになるのだろうか?もし、それが本当で、自分がそのことに気がついていたなら、もっと踏ん張ることができたのかもしれない。
でも、あのときは、あれでいっぱいいっぱいだったのだろう。

左折してわずかにプラスの勾配になった道で前を追い切れず、それでも離されずに見える距離を維持した。
しかし、ここでこのレースを決定づける最大の危機が!!
白田牧場から三愛の丘へ登るところで、足が攣りはじめたのだ。
具体的には左のハムとふくらはぎ、そして右のふくらはぎも。
パワーをかけると完全に攣ってしまいそうで怖くなってしまい、10km/hを切ったかもしれないくらいヨタヨタと三愛の丘めがけて登った。ここで前を走っていた選手達と決定的に差がついてしまった。自分が坂の中腹をヨタヨタと登っている時に、前の選手達は登り切っていた。
「ああ、この集団からも遅れてしまったか。10位以内を目指していたけども、それも駄目なのかなあ。」
とぼんやり考えながらヨタヨタと登り続けた。
永遠とも思えるくらい長い坂だった。
登り切る直前の観客の応援でハッと目が覚めた。
「まだレースは終わっていない。」
7km先のゴールを目指して加速を始めた。

ここからは、緩やかではあるが、駅前を右折するまでは自分が得意な下りがメインだ。
攣りそうになった脚のことは、もう忘れていた。
前を走る選手を一人ずつパスしていった。
その選手のクラスは気にならなかった。
とにかく、前に見ている選手はすべて追い抜く気持ちで走った。
後ろから聞こえる息づかいは、自分のスリップストリームに入っている選手だろうか?
何人いるんだろう?
振り返ると、2名の選手が見えた。
その後ろには、やはり自動車が見えた。
2名の選手のうち、1名に追い越された。
アタックなのか?
しかし、その大柄な選手は自分の前にスッと入ってきた。
少しの間、その選手の後ろで足を溜めさせてもらい、再び自分が前に出て彼を引いた。
それが何度繰り返されたのだろう?
自分の後ろには何人いるのだろう?
もう、振り返る余裕さえ無かった。

赤い橋が見えてきた。
この橋は自分がラストスパートする場所と決めていた場所だ。
橋に先頭で入り、そのまま加速。
記録ではこのあたりで48km/hくらい。
後続を振り切るには十分だったのだろう。
振り返らずに、頭を低くして、売り切れにならない計算をしながらギアをかけて踏んだ。
ギアがかかっていた。
まだ踏める。

美瑛駅前。
右折して最後の1kmに入るときに、後ろを振り返った。
20m以上開いていた。
いける。
このまま独走でゴールできる。
計算してたはずなのに、もう足は売り切れ寸前。
腰を上げることもできなかった。
もう40km/hは出せていなかった。
道路の両側から観客が声援を送ってくれた。
力になった。
折れそうな心を声援が支えてくれた。
途中で深いマンホールに入ってしまい、大きく減速してしまった。
それだけ注意力が落ちていたのだろう。
しかし、踏んだ。
とにかく踏んだ。
前を走る3名か4名の選手達にじわじわと追いつき、もう少しで追いつけるところまで近づいた。
もっと踏め!
しかし、ゴールゲートがはっきり見えてきたことで、妥協してしまった。
もう、終わるんだ。
レースは終わるんだから、もう頑張らなくていいんだ。
そう、終わるんだ。
見えている選手に追いつけなかったことは悔しかったが、レースを走り切った自分が誇らしかった。
ゴールラインをガッツポーズで越えた。

ゴールラインを越えてから前を見ると、ビルケの森から先の長い直線で一緒にローテーションした同じS5の選手がいたので、握手をして健闘をたたえ合った。
知り合いの青パンダさんを見つけたので、とりあえず完走できたことを報告した。

師匠を待っている間に、続々と一緒に走っていた見覚えのある選手達が帰ってきた。
足が攣っていたのに一緒にローテーションを回してくれたAチームの中学生選手とグーサインの挨拶を交わした。
白金ゴルフ場への登りで抜きつ抜かれつしいた選手が戻ってきた。
挨拶することはできなかったが、心の中で「グーサイン」を出した。
だんだんと気持ちが落ち着いてきて、冷静に周りを見ることができるようになってきた。
ゴール地点は、AコースとBコースの選手達で足切りにならなかった選手達がゴール済みだったのだろうか、意外にあっさりとした雰囲気で、喚起の輪が広がるような状態ではなかった。
S5は11名がDNS。
トップがゴールしてから20分より後ろはDNFとなり、こちらがおよそ40名。
厳しいレースだった。

一緒に車に戻り、自転車を撤収し、着替え。
白い靴下がオイルと泥の汚れで、洗っても落ちそうにない色に変色。
靴下を脱ごうとしたら、強烈なふくらはぎの攣りがががが。
しかも、両足とも。
そのうち、腹筋も攣ってしまった。
心肺はそんなに苦しさを感じなかった(と思っているだけかもしれない)が、筋肉は正直なのか。
バナナを食べながら昼食のラーメン屋へ移動。

ラーメン屋さんでつぶやきながら昼食。
昼食から戻ってリザルトを確認し、「5位」だったことに驚いた。
4位の選手とは4秒差。
ゴール後に握手をした選手が4位だったのだろう。
3位とはおよそ30秒差。
1位とは1分差。
三愛の丘への登りで着いた差だったのだろう。
やはり登りを強化しなければとあらためて思った。

 タイム  1:48:45
 トップ差  1:00
 平均時速 34.2km/h

完走証がまだ配布されていなかったので、表彰式に参加。
表彰式が始まるまでの時間は、プロのインタビューを見たり、写真を撮ったり。
表彰式では青パンダさんが表彰台に上がり、同郷の選手の活躍が嬉しかった。
F選手が声をかけてくれ、序盤で落車してしまったことを聞いた。
落車して完走できたことに驚いたが、やはりけっこう痛むらしい。
怪我が大けがでないことを祈るのみ。
ひととおり表彰式を見てから、完走証を受け取って帰路についた。
美瑛駅前を富良野方面へ走ったときに、「この道をレースで走ってきたんだ。」、「この橋のところでアタックかけたなあ。」とか、感慨深く感じながら、桂沢湖経由で来札。

始めてのツールド北海道への参戦はS5クラスで5位という結果に終わった。
もうちょっとで表彰台だった、と終わってしまえば言えることだが、そのときはあれでいっぱいいっぱいだった。
10位以内を目指すことを家族に宣言して家を出た。
「10位」という順位が現実的なものなのかどうかまったくわからなかったが、目標を持って走った方が張り合いが出るはず。
10位以内だったら、お祝いにトリトンで回転寿司を食べに連れて行ってもらうことになっていた。
晴れてトリトンで食事できたのだけど、いつものとおり長い行列で2時間待ち。
でも、美味しかった。
残念なのは、「5位」だった、と言っても、「ふ~ん」という反応だったこと。(T T)