9月8日(土)は、中原街道を通って南武線の武蔵中原駅から東急線の新丸子駅まで歩いてみました。
きっかけは、「孤独のグルメ」で俳優の松重さんが、新丸子駅の近くにある「三ちゃん食堂」を訪れていたからです。
<武蔵中原駅>

JR武蔵中原駅に下りるのは初めてなので、エスカレーターのある踊り場を撮ってみました。
尚、踊り場の左側が武蔵中原駅の北口、右側が南口になります。

北口から道路に出ると、改札口からエポック中原(?)に直結している歩道橋があったので撮ってみました。

川崎駅方面に歩いて、中原街道に出ることにしました。
中原街道は、江戸と平塚の中原を結んでいた道ですが、現在は川崎市中原区の丸子橋交差点と茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅前交差点を結んでいるので丸子茅ケ崎線とも呼ばれています。

交差点の手前に、ご覧のような「中原街道ルート案内図」があったので現在地と中原街道にあるガイドパネル(?)を確認しました。
<地蔵尊>


中原街道に出て暫く歩くと、ご覧のような地蔵尊があったので撮ってみました。

柔和なお顔をしていたのでアップで撮ってみました。
<泉澤寺(せんたくじ)>

地蔵尊を後に、中原街道を10分程歩くと、左側に泉澤寺の山門がありました。

入口の右側に、保存樹林の看板があったので撮ってみました。
保存樹林の主な樹種には、シイ・ケヤキ・カシの名前がありましたが、左の木はイチョウですね!


又、左側には、ご覧のようなお地蔵さん(?)が祀ってあったので撮ってみました。


取り敢えず、立派な山門と山号「宝林山」を撮ってみました。

山門の手前に、泉澤寺の説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『浄土宗泉澤寺は、領主吉良氏の菩提寺として世田谷の烏山にあったものが焼失したため、室町時代末(1550年)に現在の地に再興されました。』と書いてありました。

山門をくぐると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。

左側に、ご覧のような観音堂があったので行ってみました。

折角なので、観音堂の内部も撮らせて頂きました。

参道に戻って、ご覧のような手水舎で身を清めて本堂に向かいました。

参道の左側に、立派な鐘楼があったので百日紅と一緒に撮ってみました。


本堂の前に着くと、例の保存樹林があったので本堂をバックに撮ってみました。

取り敢えず、本堂の入母屋造りの向拝を撮ってみました。


扁額を撮っていると、立派な菱灯籠(?)があったので一緒に撮ってみました。

ついでに、本堂の内部も撮らせて頂きましたが、御本尊の阿弥陀如来像は拝めませんでした。

本堂から山門を撮って、出入口に向かいました。


本堂の前に、ご覧のような保存樹木(チャボヒバ?)があったのでアップで撮ってみました。

折角なので、チャボヒバの上の方も撮ってみました。

境内に日露戦役記念碑があったので撮って、泉澤寺を後にしました。
<小杉十字路>

中原街道を暫く歩くと、府中街道を横切る小杉十字路に出ました。

ガイドパネル「小杉十字路」が交差点にあったので、別角度から撮ってみました。

小杉十字路を渡って中原街道を暫く歩くと、左側に鳥居が見えたので行ってみました。
<小杉神社>

鳥居に小杉神社の提灯があって、8日(土)と9日(日)には例大祭があるみたいでした。

参道では、露店商が準備を始めていました。

参道を左に曲がって拝殿の方に行くと、手水舎があって隣りには御神輿も置いてありました。

取り敢えず、手水舎を撮ってみました。

御神輿も撮ってみましたが、未だ準備をしているところでした。

取り敢えず、拝殿でお参りをすることにしました。

拝殿の扁額を撮って、道に迷わないで「三ちゃん食堂」に行けますようにお参りをしました。

お参りしてから拝殿の内部を撮ってみました。
お参りしてから振り返ると、別の鳥居が見えたので、そちらの参道から帰ることにしました。

参道の左側に、境内社の小杉天満宮があったので撮ってみました。


又、右側には樹齢150年の御神木(ケヤキ)と神楽殿があったので撮ってみました。

参道から拝殿を撮ってみましたが、例大祭の準備中なので人は殆どいません。

取り敢えず、こちらの鳥居も撮ってみました。

小杉神社の外に出ましたが、どうやら、こちらが正規の参拝ルートみたいです。
<等々力緑地>

小杉神社の左側に等々力緑地があって、ご覧のような案内図があったので現在地を確認しました。
又、陸上競技場では日本インカレ(日本学生陸上競技対抗選手権)を遣っていて騒がしかったです。

取り敢えず、陸上競技場を左に見ながら先に行って、適当な所で右に曲がって中原街道に戻ることにしました。

暫く歩くと、右側にご覧のような道路があったので入ってみました。
<小杉御殿の御主殿(ごしゅでん)跡>

道なりに5分程歩いて、四つ角を右に曲がって歩いていると、右側の奥の方に赤い鳥居があったので行ってみました。

近くに、ガイドパネル「小杉御殿の御主殿跡」がありました。
ガイドパネルには、『二代将軍秀忠が建てた小杉御殿は、家康の送迎のはか、鷹狩りの休息所などに使われた。・・』と書いてありました。

取り敢えず、鳥居の後にあった社を撮って、来た道を戻りました。
<西明寺(さいみょうじ)>

中原街道に出ると、右側に西明寺の参道があったので行ってみました。

左側に史蹟「徳川将軍 小杉御殿跡」、後ろに石塔「大師遍照金剛」があったので撮ってみました。

又、右側にガイドパネル「西明寺と小杉学舎」があったので撮ってみました。
ガイドパネルには、『西明寺は真言宗智山派のお寺で、明治6年には本堂に「小杉学舎」が置かれ、近代小学教育の場になった。』ようなことが書いてありました。

傍に、ご覧のような「小杉御殿見取絵図」があったので撮ってみました。
見取絵図には、現在位置も出ていたのですが良く分かりませんでした。
尚、中原街道がここでカギ形に曲がっているのは、防衛の工夫だったみたいです。

参道に西明寺の石碑があったので撮ってみました。

ご覧のような立派な仁王門に着いたので撮ってみました。


取り敢えず、仁王様をアップで撮ってみました。


仁王様の裏側に、ご覧のような狛犬(?)がいたので、ついでに撮ってみました。

仁王門の先には、ご覧のような山門あって、右側には保存樹林(主な樹種として、マツ・イチョウ・クスノキ)の看板もありました。

山門の前に着いたので、立派なん山門を撮ってみました。

山門の右側に、ご覧のような「龍宿山金剛院西明寺縁起」があったのですが、字がぼやけていて読めませんでした。

取り敢えず、山門の扁額を撮ってみました。尚、龍宿山は西明寺の山号です(金剛院は院号)。

山門をくぐると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。

右側に、ご覧のような手水舎があったので行ってみました。


手水の龍が恐ろしい顔をしていたのでアップで撮ってみました。

手水舎の後ろに、鐘楼があったので撮りに行ってみました。

ついでに、横からも撮ってみました。


参道の脇に立派な松があって、松の下に歌碑「後のよに のこりてことのはとならん 松やちとせの 人にこたえて」がありました。
この歌碑は、多摩川の流路を変える工事が完成した時に、田中丘隅が詠んだ歌みたいです。

本堂に向かって参道を歩いていると、左側に弘法大師像があったので撮ってみました。
尚、南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)は、弘法大師空海に帰依する意味で、遍照金剛は空海の金剛名みたいです。

本堂に着いたので、立派な本堂を撮ってみました。

本堂で、道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

お参りしてから本堂の扁額を撮ってみました。

本堂の階段の下に、ご覧のような大黒様がいたので撮ってみました。

本堂の左手前に、ご覧のような慰霊塔があったので撮ってみました。

折角なので、本堂を斜めから撮ってみました。

山門の左側にあった、観音堂に行ってみました。

取り敢えず、扁額「大悲閣殿」を撮ってお参りをしました。

お参りしてから、観音堂の内部を撮らせて頂きました。

観音堂の前に、ご覧のような池(鏡の池?)があったので撮ってみました。

山門の右側に行くと、新客殿の前に落慶記念に寄贈された黒松があったので撮ってみました。


山門の横に、大きな山門(?)があったので撮ってみました。
取り敢えず、この山門から出て左の方に行ってみました。
<等々力緑地>

道なりに5分程歩くと、見覚えのある等々力緑地の横に出ていました。
仕方がないので、陸上競技場の横を通って先に行ってみました。

盛り上がっている陸上競技場の客席を隙間から撮ってみました。

気になったので、陸上競技場に入ってみることにしました。
一番近い入口ゲートに行ってみると、制限中で入ることは出来ませでした(残念!)。
駐車場の出入口から道路に出て、東急線の新丸子駅に向かうことにしました。
<新丸子駅に向かう>

道路を道なりに5分程歩くと、右側に墓地のある妙泉寺祖師堂がありました。
説明案内板もなかったので、妙泉寺祖師堂の由緒などは分かりません。


道路に戻って、更に5分程歩くと、ご覧のような小杉陣屋町公園がありました。
名前からすると、昔はこの辺りには陣屋があったのかも知れませんね!?
道に迷ってしまったようなので、南の方に行って中原街道に出ることにしました。

小杉陣屋町公園の近くに、表札の出ている真言宗の成就院がありました。

小さな境内に入ると、正面に本堂があったので撮ってみました。

境内の左側には、ご覧のような庚申塔がありました。

庚申塔の隣りに、水子地蔵と弘法大師像があったので撮ってみました。

右側には、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。

取り敢えず、本堂でお参りをして扁額(惠日山は山号)を撮ってみました。

中原街道に出て、そのまま直進すると祭囃子が聞こえてきたので行ってみました。
そこは、小杉神社例大祭の小杉壱丁目町会神酒所で、新丸子駅からは離れていました。

仕方がないので、少し戻って右に行くと、新丸子駅の近くに「三ちゃん食堂」がありました。
結局、西明寺からは50分程掛かっていましたが、時間は13時を過ぎていました。
お昼を過ぎていたので席は空いていると思ったら、60席程ある座席は満杯でした。
運良く、帰る人がいたので交代で座ることが出来ました。
「三ちゃん食堂」の入口は、中華屋のような感じがしたのですが、お刺身や焼き魚もありました。
結局、1時間半程いたのですが、何を食べても安くて・早くて・美味しかったです。
又、「三ちゃん食堂」は騒がしいのですが、隣りの人と気軽に話が出来るのが良いですね!
帰りは、南武線の武蔵小杉駅に出て登戸駅経由で帰りました。
今回の「中原街道(武蔵中原駅~新丸子駅)をぶらり」は、最後は道に迷ってしまったのですが、どうにか「三ちゃん食堂」に着けて良かったです。
尚、万歩計は道に迷った関係で14,000歩を超えていました。
きっかけは、「孤独のグルメ」で俳優の松重さんが、新丸子駅の近くにある「三ちゃん食堂」を訪れていたからです。
<武蔵中原駅>

JR武蔵中原駅に下りるのは初めてなので、エスカレーターのある踊り場を撮ってみました。
尚、踊り場の左側が武蔵中原駅の北口、右側が南口になります。

北口から道路に出ると、改札口からエポック中原(?)に直結している歩道橋があったので撮ってみました。

川崎駅方面に歩いて、中原街道に出ることにしました。
中原街道は、江戸と平塚の中原を結んでいた道ですが、現在は川崎市中原区の丸子橋交差点と茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅前交差点を結んでいるので丸子茅ケ崎線とも呼ばれています。

交差点の手前に、ご覧のような「中原街道ルート案内図」があったので現在地と中原街道にあるガイドパネル(?)を確認しました。
<地蔵尊>


中原街道に出て暫く歩くと、ご覧のような地蔵尊があったので撮ってみました。

柔和なお顔をしていたのでアップで撮ってみました。
<泉澤寺(せんたくじ)>

地蔵尊を後に、中原街道を10分程歩くと、左側に泉澤寺の山門がありました。

入口の右側に、保存樹林の看板があったので撮ってみました。
保存樹林の主な樹種には、シイ・ケヤキ・カシの名前がありましたが、左の木はイチョウですね!


又、左側には、ご覧のようなお地蔵さん(?)が祀ってあったので撮ってみました。


取り敢えず、立派な山門と山号「宝林山」を撮ってみました。

山門の手前に、泉澤寺の説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板には、『浄土宗泉澤寺は、領主吉良氏の菩提寺として世田谷の烏山にあったものが焼失したため、室町時代末(1550年)に現在の地に再興されました。』と書いてありました。

山門をくぐると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。

左側に、ご覧のような観音堂があったので行ってみました。

折角なので、観音堂の内部も撮らせて頂きました。

参道に戻って、ご覧のような手水舎で身を清めて本堂に向かいました。

参道の左側に、立派な鐘楼があったので百日紅と一緒に撮ってみました。


本堂の前に着くと、例の保存樹林があったので本堂をバックに撮ってみました。

取り敢えず、本堂の入母屋造りの向拝を撮ってみました。


扁額を撮っていると、立派な菱灯籠(?)があったので一緒に撮ってみました。

ついでに、本堂の内部も撮らせて頂きましたが、御本尊の阿弥陀如来像は拝めませんでした。

本堂から山門を撮って、出入口に向かいました。


本堂の前に、ご覧のような保存樹木(チャボヒバ?)があったのでアップで撮ってみました。

折角なので、チャボヒバの上の方も撮ってみました。

境内に日露戦役記念碑があったので撮って、泉澤寺を後にしました。
<小杉十字路>

中原街道を暫く歩くと、府中街道を横切る小杉十字路に出ました。

ガイドパネル「小杉十字路」が交差点にあったので、別角度から撮ってみました。

小杉十字路を渡って中原街道を暫く歩くと、左側に鳥居が見えたので行ってみました。
<小杉神社>

鳥居に小杉神社の提灯があって、8日(土)と9日(日)には例大祭があるみたいでした。

参道では、露店商が準備を始めていました。

参道を左に曲がって拝殿の方に行くと、手水舎があって隣りには御神輿も置いてありました。

取り敢えず、手水舎を撮ってみました。

御神輿も撮ってみましたが、未だ準備をしているところでした。

取り敢えず、拝殿でお参りをすることにしました。

拝殿の扁額を撮って、道に迷わないで「三ちゃん食堂」に行けますようにお参りをしました。

お参りしてから拝殿の内部を撮ってみました。
お参りしてから振り返ると、別の鳥居が見えたので、そちらの参道から帰ることにしました。

参道の左側に、境内社の小杉天満宮があったので撮ってみました。


又、右側には樹齢150年の御神木(ケヤキ)と神楽殿があったので撮ってみました。

参道から拝殿を撮ってみましたが、例大祭の準備中なので人は殆どいません。

取り敢えず、こちらの鳥居も撮ってみました。

小杉神社の外に出ましたが、どうやら、こちらが正規の参拝ルートみたいです。
<等々力緑地>

小杉神社の左側に等々力緑地があって、ご覧のような案内図があったので現在地を確認しました。
又、陸上競技場では日本インカレ(日本学生陸上競技対抗選手権)を遣っていて騒がしかったです。

取り敢えず、陸上競技場を左に見ながら先に行って、適当な所で右に曲がって中原街道に戻ることにしました。

暫く歩くと、右側にご覧のような道路があったので入ってみました。
<小杉御殿の御主殿(ごしゅでん)跡>

道なりに5分程歩いて、四つ角を右に曲がって歩いていると、右側の奥の方に赤い鳥居があったので行ってみました。

近くに、ガイドパネル「小杉御殿の御主殿跡」がありました。
ガイドパネルには、『二代将軍秀忠が建てた小杉御殿は、家康の送迎のはか、鷹狩りの休息所などに使われた。・・』と書いてありました。

取り敢えず、鳥居の後にあった社を撮って、来た道を戻りました。
<西明寺(さいみょうじ)>

中原街道に出ると、右側に西明寺の参道があったので行ってみました。

左側に史蹟「徳川将軍 小杉御殿跡」、後ろに石塔「大師遍照金剛」があったので撮ってみました。

又、右側にガイドパネル「西明寺と小杉学舎」があったので撮ってみました。
ガイドパネルには、『西明寺は真言宗智山派のお寺で、明治6年には本堂に「小杉学舎」が置かれ、近代小学教育の場になった。』ようなことが書いてありました。

傍に、ご覧のような「小杉御殿見取絵図」があったので撮ってみました。
見取絵図には、現在位置も出ていたのですが良く分かりませんでした。
尚、中原街道がここでカギ形に曲がっているのは、防衛の工夫だったみたいです。

参道に西明寺の石碑があったので撮ってみました。

ご覧のような立派な仁王門に着いたので撮ってみました。


取り敢えず、仁王様をアップで撮ってみました。


仁王様の裏側に、ご覧のような狛犬(?)がいたので、ついでに撮ってみました。

仁王門の先には、ご覧のような山門あって、右側には保存樹林(主な樹種として、マツ・イチョウ・クスノキ)の看板もありました。

山門の前に着いたので、立派なん山門を撮ってみました。

山門の右側に、ご覧のような「龍宿山金剛院西明寺縁起」があったのですが、字がぼやけていて読めませんでした。

取り敢えず、山門の扁額を撮ってみました。尚、龍宿山は西明寺の山号です(金剛院は院号)。

山門をくぐると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。

右側に、ご覧のような手水舎があったので行ってみました。


手水の龍が恐ろしい顔をしていたのでアップで撮ってみました。

手水舎の後ろに、鐘楼があったので撮りに行ってみました。

ついでに、横からも撮ってみました。


参道の脇に立派な松があって、松の下に歌碑「後のよに のこりてことのはとならん 松やちとせの 人にこたえて」がありました。
この歌碑は、多摩川の流路を変える工事が完成した時に、田中丘隅が詠んだ歌みたいです。

本堂に向かって参道を歩いていると、左側に弘法大師像があったので撮ってみました。
尚、南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)は、弘法大師空海に帰依する意味で、遍照金剛は空海の金剛名みたいです。

本堂に着いたので、立派な本堂を撮ってみました。

本堂で、道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

お参りしてから本堂の扁額を撮ってみました。

本堂の階段の下に、ご覧のような大黒様がいたので撮ってみました。

本堂の左手前に、ご覧のような慰霊塔があったので撮ってみました。

折角なので、本堂を斜めから撮ってみました。

山門の左側にあった、観音堂に行ってみました。

取り敢えず、扁額「大悲閣殿」を撮ってお参りをしました。

お参りしてから、観音堂の内部を撮らせて頂きました。

観音堂の前に、ご覧のような池(鏡の池?)があったので撮ってみました。

山門の右側に行くと、新客殿の前に落慶記念に寄贈された黒松があったので撮ってみました。


山門の横に、大きな山門(?)があったので撮ってみました。
取り敢えず、この山門から出て左の方に行ってみました。
<等々力緑地>

道なりに5分程歩くと、見覚えのある等々力緑地の横に出ていました。
仕方がないので、陸上競技場の横を通って先に行ってみました。

盛り上がっている陸上競技場の客席を隙間から撮ってみました。

気になったので、陸上競技場に入ってみることにしました。
一番近い入口ゲートに行ってみると、制限中で入ることは出来ませでした(残念!)。
駐車場の出入口から道路に出て、東急線の新丸子駅に向かうことにしました。
<新丸子駅に向かう>

道路を道なりに5分程歩くと、右側に墓地のある妙泉寺祖師堂がありました。
説明案内板もなかったので、妙泉寺祖師堂の由緒などは分かりません。


道路に戻って、更に5分程歩くと、ご覧のような小杉陣屋町公園がありました。
名前からすると、昔はこの辺りには陣屋があったのかも知れませんね!?
道に迷ってしまったようなので、南の方に行って中原街道に出ることにしました。

小杉陣屋町公園の近くに、表札の出ている真言宗の成就院がありました。

小さな境内に入ると、正面に本堂があったので撮ってみました。

境内の左側には、ご覧のような庚申塔がありました。

庚申塔の隣りに、水子地蔵と弘法大師像があったので撮ってみました。

右側には、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。

取り敢えず、本堂でお参りをして扁額(惠日山は山号)を撮ってみました。

中原街道に出て、そのまま直進すると祭囃子が聞こえてきたので行ってみました。
そこは、小杉神社例大祭の小杉壱丁目町会神酒所で、新丸子駅からは離れていました。

仕方がないので、少し戻って右に行くと、新丸子駅の近くに「三ちゃん食堂」がありました。
結局、西明寺からは50分程掛かっていましたが、時間は13時を過ぎていました。
お昼を過ぎていたので席は空いていると思ったら、60席程ある座席は満杯でした。
運良く、帰る人がいたので交代で座ることが出来ました。
「三ちゃん食堂」の入口は、中華屋のような感じがしたのですが、お刺身や焼き魚もありました。
結局、1時間半程いたのですが、何を食べても安くて・早くて・美味しかったです。
又、「三ちゃん食堂」は騒がしいのですが、隣りの人と気軽に話が出来るのが良いですね!
帰りは、南武線の武蔵小杉駅に出て登戸駅経由で帰りました。
今回の「中原街道(武蔵中原駅~新丸子駅)をぶらり」は、最後は道に迷ってしまったのですが、どうにか「三ちゃん食堂」に着けて良かったです。
尚、万歩計は道に迷った関係で14,000歩を超えていました。