11月10日(土)は、いつもの山行グループ(女性2人、男性4人)で、鎌倉の葛原岡から大仏までの葛原岡・大仏ハイキングコースを歩いてみました。
尚、葛原岡神社のある源氏山公園までは、JR北鎌倉駅から東慶寺と浄智寺でお参りしてから行ってみました。
<北鎌倉駅>

当日の集合場所は、10時にJR北鎌倉駅の西口になりました。
<東慶寺(とうけいじ)>

四季折々の花が楽しめる東慶寺は何回か訪れていますが、直近は今年2月の「鶴岡八幡宮から東慶寺」です。

参道の右側に、夏目漱石参禅百年記念碑があるので撮ってみました。

山門で、拝観料200円を払って境内に入ります。


鐘楼の手前に、次のような文章(?)が刻まれている女流作家田村俊子の記念碑があったので撮ってみました。
「この女作者はいつも おしろひをつけてゐる この女の書くものは 大がひおしろひの中から うまれてくるのである 田村」

いつも扉が閉ざされている書院(?)が開いていたので撮ってみました(法要?)。

ご覧のような参道を通って先に行ってみました。

右側に、歌碑が建っている本堂があるので撮ってみました。

四賀光子の歌碑「流らふる大悲の海に よばふこゑ時をへだてて なほたしかなり」をアップで撮ってみました。

中門を撮って中に入ってみました。

取り敢えず、本堂を撮ってお参りをしました。

お参りしてから本堂の内部を撮らせていただきました。

折角なので、御本尊の釈迦如来坐像も撮らせていただきました。

境内にあった石灯篭を撮って本堂を後にしました。

参道を進むと、金仏が祀ってあるので撮ってみました。

折角なので、アップでも撮ってみました。


松岡宝蔵の前に遣って来たので入口を撮ってみました。

松岡宝蔵の前に、国歌「君が代」で詠まれている「さざれ石」があるので撮ってみました。

又、ご覧のような「十月桜」が咲いていたので撮ってみました。

「後醍醐天皇・皇女 用堂女王墓」の石標の下に着いたので、参道を戻ることにしました。


参道を戻っていると、左側の岩壁にお地蔵さんが祀ってあるので撮ってみました。

折角なので、アップでも撮ってみました。

参道を戻っていると、ご覧のような茶室の入口があったので撮ってみました。

入口近くに、ご覧のような菊(?)が咲いていたので撮ってみました。

黄色い花が素晴らしかったのでアップでも撮ってみました。

又、近くにリンドウの蕾があったので撮ってみました。

東慶寺の外に出ると、東慶寺の塀の脇に「かけこみ寺」の標識柱があったので撮ってみました。
<浄智寺(じょうちじ)>

東慶寺を後に、鎌倉方面に向かって県道21号線を5分程歩くと、浄智寺の惣門の下にある石橋に着きました。
尚、浄智寺も何回か訪れていますが、直近は2015年11月「鎌倉七福神をぶらり」ですが、この時は拝観時間(9:00~16:30)を過ぎていて山門まででした。

取り敢えず、石橋の下の池を撮ってみました。

池の上端に、「甘露の井」と書かれた石柱があって、左側に井戸がありました。

取り敢えず、井戸をアップで撮ってみましたが、今まで気が付きませんでした。
尚、「甘露の井」は鎌倉十井の一つになっています。

別角度から、「甘露の井」と惣門を一緒に撮ってみました。

扁額「寶所在近」が掲げられている惣門(高麗門)を撮って先に行ってみました。
惣門の先の受付で、拝観料200円を払って本堂に向かいました。

参道には、ご覧のようなイベント(写真供養感謝祭?)の幟が立っていました。

扁額「山居幽勝」が掲げられている山門(鐘楼門)に着いたので撮ってみました。

本堂の前に遣って来ると、ご覧のようなテントが立っていました(イベントの関係?)。

扁額「曇華殿(どんげでん)」が掲げられている本堂(仏殿)を撮ってみました。

本堂でお参りをしてから、県指定重要文化財の木像三世仏坐像が祀られている内部を撮らせていただきました。

折角なので、御本尊の木像三世仏坐像をアップで撮ってみました。
尚、左から阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来で、過去・現在・ 未来を現しているようです。

本堂を別角度から撮って、本堂の後ろから境内を一回りすることにしました。


本堂の裏側に、ご覧のような格子があって、手前に立札がありました。

格子の中には、南北朝時代に造られた木造観音菩薩立像が安置されていました。

折角なので、アップで撮ってみました。

散策路の左側に、市指定天然記念物のコウヤマキ(高野槙)があったので撮ってみました。

又、右側の奥に、ご覧のような庫裡が見えたので撮ってみました。




庫裡の横の庭園を眺めながら奥の墓地に行ってみました。

墓地の前の道を右に行くと、ご覧のような手押し井戸ポンプがあったので撮ってみました。
井戸の左手奥にある墓地の山際に、「やぐら」と呼ばれる岩の壁を掘った窪みがあったので行ってみました。


ご覧のような祠や横井戸があったので撮ってみました。

又、石像が並んでいたので撮ってみました。

井戸まで戻って水場の先に行くと、左側にも「やぐら群」がありました。

奥に、案内板が立っている所があったので行ってみました。

栃木県小山市で兄弟(一斗、隼人)が誘拐・殺害された事件で、兄弟の供養の為のお地蔵様が祀られていました。

手前の「やぐら」には、ご覧のような横穴があって、親子の狸が立っていました。
この横穴は、古くは住いとして、その後、墓所になり、やがて倉庫としても使われていました。

布袋尊が祀ってある洞窟に行けるトンネルがあったので入ってみました。

ご覧のような墓地の前を通って、布袋尊が祀ってある洞窟に行ってみました。

洞窟に、ご覧のような布袋尊が祀ってあったので撮ってみました。

折角なので、布袋尊のお腹を擦ってアップで撮ってみました。
取り敢えず、境内を一回りしたので山門に戻ることにしました。

山門の近くに遣って来ると、 ご覧のような棟門があったので撮ってみました。

扁額「梅花樹下」が掲げられている棟門を反対側から撮ってみました。

再び、山門に戻って来たので、山門を撮って横から浄智寺の外に出ました。
<源氏山公園に向かう>

ご覧のような浄智寺の横を通って、源氏山公園に向かいました。

竹林の近くで、竹で何か作業している人達がいました。
⇒ 作業をしている人に聞いてみると、映画祭の囲いを作っていると言っていました。

平坦な道を暫く進むと、道が二股になっているので左の方に進みます。

途中に民家があるので、暫くは歩き易い山道を登ります。



山道は、ご覧のように徐々に険しくなって来ます。

山道を10分程上ると、ご覧のような天柱峰に着きました。

葛原岡神社・源氏山公園まで200mのところに遣ってきました。

山道を下っていると、根元が剥き出しで傾ている木があったので撮ってみました。

山道に、かなり急な木段があったので撮ってみました。
⇒ 昨日の雨で滑りやすくなっているので注意深く下ります。

又、蔓が絡み合っている木があったので撮ってみました。

山道を30分程歩くと、ご覧のような源氏山公園の外れに着きました。
<源氏山公園>

源氏山公園に着いたので、葛原岡・大仏ハイキングコースで現在地を確認しました。

又、葛原岡神社の説明案内板があったので撮ってみました。
葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基朝臣(ひのとしもとあそん)をお祀りする神社で、建武の中興(1333年)を計画するも1331年に鎌倉幕府の北条高時に捕らえら、悲愴な最期をこの葛原岡で遂げられたようです。

少し早かったのですが、「こもれび広場」で昼食を取ることになりました。
<葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)>

昼食を食べてから、ご覧のような鳥居のある葛原岡神社に行ってみました。

鳥居の右側に、ご覧のような「魔去ル石」(100円/枚)があったので撮ってみました。

鳥居を通って参道を進むと、ご覧のような「縁結び石」があったので撮ってみました。

折角なので、アップで撮ってみました(左が女石、右が男石)。


ついでに、ハート型の「縁結び絵馬」や「恋みくじ」が掛けてあったので撮ってみました。

参道の正面に、ご覧のような手水石があったので撮ってみました。

手水石で身を清めてから、ご覧のような参道を通って本殿に行ってみました。
又、参道の左に合鎚稲荷社があったので後で行ってみます。

参道を歩いていると、本殿の手前にご覧のような石のテーブルの休憩所(?)があったので撮ってみました。
句碑「鎌倉に 雪降る離乃 別れかな」もあって、敷居も高そなので中には入れませんでした。

本殿の前に着いたので、境内を撮ってみました。

葛原岡神社の案内板があったので撮ってみました。

取り敢えず、本殿の正面を撮ってお参りをしました。

右側に、「昇運の神龍」があったので撮ってみました。

本殿の左側に、「俊基郷終焉之地」があったので撮ってみました。
鎌倉幕府に捕らわれた日野俊基郷は、元弘2年(1332)6月3日に、この地で悲しい最期を遂げました。

本殿を後に、合鎚稲荷社(あいづちいなりじんじゃ)に行ってみました。

取り敢えず、合鎚稲荷社を撮ってお参りをしました。

近くに、素晴らしい菊(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。

葛原岡神社を後に、ご覧のような表参道を通って銭洗弁財天に向かいました。
<日野俊基墓>

表参道を歩いていると、右側に「国指定史跡 日野俊基墓入口」の標柱があったので行ってみました。

石碑の右側に、日野俊基墓の説明案内板があったので撮ってみました。

取り敢えず、日野俊基のお墓を撮ってみました。

又、ご覧のような石碑もあったので撮ってみました。
<銭洗弁財天に向かう>

日野俊基墓から表参道を5分程下ると、道は二股に分かれていました。

道標<頼朝像300m 大仏2.1km>は、ご覧のようになっていました。

間違っても300m戻れば良いので、頼朝像の方に行ってみることになりました。

舗装された山道を5分程下ると、源氏山公園案内図があったので現在地を確認しました。
どうやら、ここからは「化粧坂切通」になるので、急な下りの坂道になりました。
「山行:鎌倉葛原岡・大仏ハイキング(後編)」に続く。
尚、葛原岡神社のある源氏山公園までは、JR北鎌倉駅から東慶寺と浄智寺でお参りしてから行ってみました。
<北鎌倉駅>

当日の集合場所は、10時にJR北鎌倉駅の西口になりました。
<東慶寺(とうけいじ)>

四季折々の花が楽しめる東慶寺は何回か訪れていますが、直近は今年2月の「鶴岡八幡宮から東慶寺」です。

参道の右側に、夏目漱石参禅百年記念碑があるので撮ってみました。

山門で、拝観料200円を払って境内に入ります。


鐘楼の手前に、次のような文章(?)が刻まれている女流作家田村俊子の記念碑があったので撮ってみました。
「この女作者はいつも おしろひをつけてゐる この女の書くものは 大がひおしろひの中から うまれてくるのである 田村」

いつも扉が閉ざされている書院(?)が開いていたので撮ってみました(法要?)。

ご覧のような参道を通って先に行ってみました。

右側に、歌碑が建っている本堂があるので撮ってみました。

四賀光子の歌碑「流らふる大悲の海に よばふこゑ時をへだてて なほたしかなり」をアップで撮ってみました。

中門を撮って中に入ってみました。

取り敢えず、本堂を撮ってお参りをしました。

お参りしてから本堂の内部を撮らせていただきました。

折角なので、御本尊の釈迦如来坐像も撮らせていただきました。

境内にあった石灯篭を撮って本堂を後にしました。

参道を進むと、金仏が祀ってあるので撮ってみました。

折角なので、アップでも撮ってみました。


松岡宝蔵の前に遣って来たので入口を撮ってみました。

松岡宝蔵の前に、国歌「君が代」で詠まれている「さざれ石」があるので撮ってみました。

又、ご覧のような「十月桜」が咲いていたので撮ってみました。

「後醍醐天皇・皇女 用堂女王墓」の石標の下に着いたので、参道を戻ることにしました。


参道を戻っていると、左側の岩壁にお地蔵さんが祀ってあるので撮ってみました。

折角なので、アップでも撮ってみました。

参道を戻っていると、ご覧のような茶室の入口があったので撮ってみました。

入口近くに、ご覧のような菊(?)が咲いていたので撮ってみました。

黄色い花が素晴らしかったのでアップでも撮ってみました。

又、近くにリンドウの蕾があったので撮ってみました。

東慶寺の外に出ると、東慶寺の塀の脇に「かけこみ寺」の標識柱があったので撮ってみました。
<浄智寺(じょうちじ)>

東慶寺を後に、鎌倉方面に向かって県道21号線を5分程歩くと、浄智寺の惣門の下にある石橋に着きました。
尚、浄智寺も何回か訪れていますが、直近は2015年11月「鎌倉七福神をぶらり」ですが、この時は拝観時間(9:00~16:30)を過ぎていて山門まででした。

取り敢えず、石橋の下の池を撮ってみました。

池の上端に、「甘露の井」と書かれた石柱があって、左側に井戸がありました。

取り敢えず、井戸をアップで撮ってみましたが、今まで気が付きませんでした。
尚、「甘露の井」は鎌倉十井の一つになっています。

別角度から、「甘露の井」と惣門を一緒に撮ってみました。

扁額「寶所在近」が掲げられている惣門(高麗門)を撮って先に行ってみました。
惣門の先の受付で、拝観料200円を払って本堂に向かいました。

参道には、ご覧のようなイベント(写真供養感謝祭?)の幟が立っていました。

扁額「山居幽勝」が掲げられている山門(鐘楼門)に着いたので撮ってみました。

本堂の前に遣って来ると、ご覧のようなテントが立っていました(イベントの関係?)。

扁額「曇華殿(どんげでん)」が掲げられている本堂(仏殿)を撮ってみました。

本堂でお参りをしてから、県指定重要文化財の木像三世仏坐像が祀られている内部を撮らせていただきました。

折角なので、御本尊の木像三世仏坐像をアップで撮ってみました。
尚、左から阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来で、過去・現在・ 未来を現しているようです。

本堂を別角度から撮って、本堂の後ろから境内を一回りすることにしました。


本堂の裏側に、ご覧のような格子があって、手前に立札がありました。

格子の中には、南北朝時代に造られた木造観音菩薩立像が安置されていました。

折角なので、アップで撮ってみました。

散策路の左側に、市指定天然記念物のコウヤマキ(高野槙)があったので撮ってみました。

又、右側の奥に、ご覧のような庫裡が見えたので撮ってみました。




庫裡の横の庭園を眺めながら奥の墓地に行ってみました。

墓地の前の道を右に行くと、ご覧のような手押し井戸ポンプがあったので撮ってみました。
井戸の左手奥にある墓地の山際に、「やぐら」と呼ばれる岩の壁を掘った窪みがあったので行ってみました。


ご覧のような祠や横井戸があったので撮ってみました。

又、石像が並んでいたので撮ってみました。

井戸まで戻って水場の先に行くと、左側にも「やぐら群」がありました。

奥に、案内板が立っている所があったので行ってみました。

栃木県小山市で兄弟(一斗、隼人)が誘拐・殺害された事件で、兄弟の供養の為のお地蔵様が祀られていました。

手前の「やぐら」には、ご覧のような横穴があって、親子の狸が立っていました。
この横穴は、古くは住いとして、その後、墓所になり、やがて倉庫としても使われていました。

布袋尊が祀ってある洞窟に行けるトンネルがあったので入ってみました。

ご覧のような墓地の前を通って、布袋尊が祀ってある洞窟に行ってみました。

洞窟に、ご覧のような布袋尊が祀ってあったので撮ってみました。

折角なので、布袋尊のお腹を擦ってアップで撮ってみました。
取り敢えず、境内を一回りしたので山門に戻ることにしました。

山門の近くに遣って来ると、 ご覧のような棟門があったので撮ってみました。

扁額「梅花樹下」が掲げられている棟門を反対側から撮ってみました。

再び、山門に戻って来たので、山門を撮って横から浄智寺の外に出ました。
<源氏山公園に向かう>

ご覧のような浄智寺の横を通って、源氏山公園に向かいました。

竹林の近くで、竹で何か作業している人達がいました。
⇒ 作業をしている人に聞いてみると、映画祭の囲いを作っていると言っていました。

平坦な道を暫く進むと、道が二股になっているので左の方に進みます。

途中に民家があるので、暫くは歩き易い山道を登ります。



山道は、ご覧のように徐々に険しくなって来ます。

山道を10分程上ると、ご覧のような天柱峰に着きました。

葛原岡神社・源氏山公園まで200mのところに遣ってきました。

山道を下っていると、根元が剥き出しで傾ている木があったので撮ってみました。

山道に、かなり急な木段があったので撮ってみました。
⇒ 昨日の雨で滑りやすくなっているので注意深く下ります。

又、蔓が絡み合っている木があったので撮ってみました。

山道を30分程歩くと、ご覧のような源氏山公園の外れに着きました。
<源氏山公園>

源氏山公園に着いたので、葛原岡・大仏ハイキングコースで現在地を確認しました。

又、葛原岡神社の説明案内板があったので撮ってみました。
葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基朝臣(ひのとしもとあそん)をお祀りする神社で、建武の中興(1333年)を計画するも1331年に鎌倉幕府の北条高時に捕らえら、悲愴な最期をこの葛原岡で遂げられたようです。

少し早かったのですが、「こもれび広場」で昼食を取ることになりました。
<葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)>

昼食を食べてから、ご覧のような鳥居のある葛原岡神社に行ってみました。

鳥居の右側に、ご覧のような「魔去ル石」(100円/枚)があったので撮ってみました。

鳥居を通って参道を進むと、ご覧のような「縁結び石」があったので撮ってみました。

折角なので、アップで撮ってみました(左が女石、右が男石)。


ついでに、ハート型の「縁結び絵馬」や「恋みくじ」が掛けてあったので撮ってみました。

参道の正面に、ご覧のような手水石があったので撮ってみました。

手水石で身を清めてから、ご覧のような参道を通って本殿に行ってみました。
又、参道の左に合鎚稲荷社があったので後で行ってみます。

参道を歩いていると、本殿の手前にご覧のような石のテーブルの休憩所(?)があったので撮ってみました。
句碑「鎌倉に 雪降る離乃 別れかな」もあって、敷居も高そなので中には入れませんでした。

本殿の前に着いたので、境内を撮ってみました。

葛原岡神社の案内板があったので撮ってみました。

取り敢えず、本殿の正面を撮ってお参りをしました。

右側に、「昇運の神龍」があったので撮ってみました。

本殿の左側に、「俊基郷終焉之地」があったので撮ってみました。
鎌倉幕府に捕らわれた日野俊基郷は、元弘2年(1332)6月3日に、この地で悲しい最期を遂げました。

本殿を後に、合鎚稲荷社(あいづちいなりじんじゃ)に行ってみました。

取り敢えず、合鎚稲荷社を撮ってお参りをしました。

近くに、素晴らしい菊(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。

葛原岡神社を後に、ご覧のような表参道を通って銭洗弁財天に向かいました。
<日野俊基墓>

表参道を歩いていると、右側に「国指定史跡 日野俊基墓入口」の標柱があったので行ってみました。

石碑の右側に、日野俊基墓の説明案内板があったので撮ってみました。

取り敢えず、日野俊基のお墓を撮ってみました。

又、ご覧のような石碑もあったので撮ってみました。
<銭洗弁財天に向かう>

日野俊基墓から表参道を5分程下ると、道は二股に分かれていました。

道標<頼朝像300m 大仏2.1km>は、ご覧のようになっていました。

間違っても300m戻れば良いので、頼朝像の方に行ってみることになりました。

舗装された山道を5分程下ると、源氏山公園案内図があったので現在地を確認しました。
どうやら、ここからは「化粧坂切通」になるので、急な下りの坂道になりました。
「山行:鎌倉葛原岡・大仏ハイキング(後編)」に続く。